落とし前をつける悪役令嬢・後編
あらかじめ用意してあったのか、ディーネは何枚にも及ぶ書類をつきつけてきた。
それをゼニーロがじっくりと確認しつつ、質疑応答が繰り広げられる。
やがて、初年度はディーネが新商品の利益を総取りするという方向で話がまとまった。
「妨害工作を何度もなさったのだから、このぐらいの制裁は当然ご覚悟の上よね?」
「この、『初年度は』という注釈ですが、これはどういう……?」
「文字通りよ。今年、契約をしてから一年間はわたくしの総取り。来年以降は来年の交渉で契約を見直すわ」
ゼニーロ氏はぽかんとした。
「……本当にそれでよろしいのですか? 初年度だけ?」
「なにかご不満?」
「いえ、めっそうもありません」
また来年、改めて契約を見直すことで、ゼニーロも合意。
「新しく開発した商品の権利はすべてわたくしにあるわ。いかなる理由があっても、わたくしの許可なく類似品を使って勝手に商売をしないこと。今度それを行った場合は、今回の騒動の真相を大々的に広める。領主裁判権を最大限に使って、必ずあなたがたを追いつめるわ。口先だけの脅しではないわよ?」
商品の権利の説明についても、ゼニーロは異議を唱えなかった。ギルドがそれぞれの技術を部外秘にするのは当然のことだ。
「あなたがたの従業員が同じあやまちを犯した場合にも、あなたがたの責任を追及するわ。絶対に、どの従業員にもさせないように。徹底できなければ、あなたがたの命がないわよ」
ゼニーロはそれに同意。ミナリール商会はもともと職人の権利保護に長けている。とくに苦もなく施行できるだろう。
その他、膨大な事項の確認が済み、大方の契約は済まされた。
「……さて。皆さまから非難殺到中のケーキですけれども、ミナリールさん。あなた、こちらを試食してみた? 独特の苦味があると思わなかったかしら?」
「……ええ」
ナリキもケーキの試食はした。変な味は少しだけ感じたが、ケーキ自体が甘いこともあり、ひと口、ふた口では判断がしにくい味わいだった。もともとこういう味なのだと思えば、食べられないこともない。
「食べられないことはないのよね。ただ、続けて食べると耐えられない味になる。そうなるように調整したのよ。魔術も少し使わせてもらったわ」
得意げに言うディーネ。
「熟練の菓子職人でも初めて使うベーキングパウダーには戸惑ったと思うわ。慣れるまでに何本かケーキを試し焼きする必要があるから、うまく膨らむ分量を直感的に把握できず、外見をそれらしく作ることに手いっぱいで、味を微調整して提供する時間の余裕がなかった――といったところなんじゃないかしら」
彼女の目論見は当たっていた。ナリキが伝え聞かされた報告も、だいたいそのような感じだった。
「お菓子に罪はないわ。お店にいらしたお客様にもね。だから、この苦いケーキには――」
ディーネは試食用に提供されたケーキに、付き人から受け取ったポットの中身を乗せた。
ぽてり、と黒っぽい塊が盛り付けられ、真っ白な生クリームが添えられる。
「オグラ・アンって言うのよ。ベーキングパウダーの苦味と相性がいいの」
お皿を受け取り、ゼニーロがいやいやながら試食する。
口に含んだとたん、彼の表情が変わった。
「……どう? あんこと生クリームとケーキ。この割合で組み合わせるとおいしいのよね」
ゼニーロは、がくりと肩を落とした。
「……わしの完敗です」
たった今交わしたばかりの契約書を、そっと撫でる。
「よく練られた契約書ですな。これほどまでに見事な公証の証書を、わしは見たことがありません。会計知識も、商業の法律知識も申し分ない。とても貴族のご令嬢とは思えない……あなたはわしがこれまでに出会った、もっとも狡猾な商人のうちのひとりです」
「あら、お褒めにあずかりまして」
ナリキは驚くばかりだった。父が誰かを、そんなふうに絶賛するところなんて、これまでに一度も見たことがなかったからだ。しかも相手は蛇蝎のごとくに嫌い抜いている貴族。
ゼニーロは恥じ入るように目を伏せる。
「しかもあなたは――貴族の心を忘れていない。あなたのお父上と同じような、深いご温情までお持ちでいらっしゃる。わしがもっとも唾棄する商人気取りの貴族とは、発想が違う。この契約も、決して『取りすぎる』ということがない」
ゼニーロは悄然と言葉を続けた。
「フロイラインがケーキ屋を始めると聞いたとき、わしはてっきり、うちの商会との全面抗争になるものと覚悟しておりました。事実として、わしはそのつもりで、総力をあげてフロイラインのケーキ屋を潰そうと挑ませていただきました。しかし――フロイラインは、まったく違うことを考えておられたのですな。フロイラインはわしらのことなどまったく問題にもしておらず……わしは、手のひらの上で転がされておっただけ……フロイラインは見事にわが商会に報復をした。自らが必要な分の、最小の利益のみを慎ましく取りながら、さらにさらに、わしらの心がけ次第ではいつでも加えた報復を撤回できるような工夫まで……」
ゼニーロは置かれたケーキに目をやった。
「……オグラ・アン、といいましたか」
「ええ」
「すばらしい商品だと思います」
「それはそうよ。二ホンの伝統的なお菓子だもの」
またわけの分からないことを言っているディーネにゼニーロは首をかしげたが、そこは聞き流すことにしたようだ。
「わしなどはとてもフロイラインのライバルになりえません。手足として働かせていただけるだけでも、大変にありがたいことだと思います」
そこでディーネは、ちょっとだけ笑顔を引きつらせた。
「……ミナリールさんがお金にがめつい貴族が嫌いなのは知ってたけど……そこまで言われるとちょっと怖いわね。過去にどんだけいやなことがあったのよ……」
「憎い、憎くないではありませんぞ、フロイライン。わしらにとっては、生きるか死ぬか、の戦いです」
「そういうものなの……」
――こうして、ナリキの父、ゼニーロの改心により、公爵令嬢とミナリール商会の業務提携は平和裏に終了した。