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秘密を持つ執事とお嬢様

 公爵令嬢ディーネはライバルの経営するカフェに下見に来ていた。


 大盛況のカフェを見渡して、革命の思想家などが潜んでないかどうかをひそかにチェックする。


 地球の西欧史によると、長い間飲料水の主役は『アルコール』だった。真水の確保が難しい土地柄だったので、日常的に保存食としてのアルコールに頼って生活していたのだ。大人も子どももみんな、飲酒していたのである。


 お酒とひと口にいっても、現代日本の人たちが考えるようなものではなかったらしい。ワインにしろ、麦酒にしろ、醸造の技術が未熟だったので、味はひどかった。水代わりに常飲されていたのは、アルコール分などほとんどなく、お酢に近いような、ギリギリ飲めるレベルの粗悪なものが多かったようだ。


 ワルキューレで喫茶の習慣が流行っているということは、少なくともみっつのことが分かる。


 ひとつ。この国では飲料水の確保が容易である。


 お風呂や上下水道が普及しているのだから、水が豊富な国であることは確定だろう。パリにきちんとした下水道がもたらされたのは十九世紀だか二十世紀だか、とにかくかなり遅かった。


 もうひとつ。コーヒー豆や紅茶葉など、特定のアルカロイドを含む植物の発見や伝播がすでに終わっている。


 そして最後のひとつが大事なのだが――この国には暇人が多い。


 憩いの場所が繁盛しているということは、カフェでのんびりお茶などしていられる程度には裕福で、日がな一日時間を持て余している市民がこの国にはたーくさんいるということだ。


 富のおかげで労働から解放された人間が、貴族ではないゆえに国政から締め出され、お茶を引いている。一見平和で結構なことだと思われる光景だが、実はこれはとても危険な状態だったりする。


 つまり、自分たちは一般市民よりもお金を持っているし偉い、教育もある、エリートである! という自覚のある人たちがひまを持て余したときに何をするのかというと、政治活動なのである。


 すぐそばの皇宮で行われているお貴族様のちゃらんぽらんな国政を肴に、やれああすべきだこうすべきだと話し合うのは、貴族になりたいけどなれない庶民の自尊心を満たす大事な儀式であるらしい。自分が皇帝であったならもっとマシなことをやるのに、といったような想像が再現なく膨らむと、だんだん過激な思想も生まれてくる。岡目八目とはよく言ったものである。


 それがなにかのきっかけで暴走したりすると、もう危険だ。プロパガンダからクーデター一直線である。


 それゆえに歴史は言うのだ。

 カフェは民主主義の揺りかごである、と。


 ――なので、帝都にカフェが繁栄している状態というのは、実はたいへんに危険なことなのである。反帝政思想が蔓延する温床になるからだ。ちょっとしたきっかけで抗争やクーデターにもつれこむ可能性がある。


 古代ローマには喫茶の習慣はなかったが、代わりに湯を飲む『喫湯きっとう』の習慣があったという。

 お湯に没薬やサフランなどで香りをつけてたしなむのが流行ったのだそうだ。


 このお湯を出すお店はテルモポリーといって、至るところにあったが、庶民の利用は禁じられていたらしい。


 それも反乱分子を未然に防ぐ処置だったのかもしれないと思うと、公爵家の姫君であるディーネとしては、帝都のカフェ文化を捨て置くわけにはいかなかった。


 ディーネは不安になって、からだを真後ろにひねり、死角のほうも見渡してみた。


 とくに思想家らしき人たちが見当たらないのは、まだまだ文化水準が低いからだろうか。水は豊富にある、食糧事情もいい、ただこの国には教育が足りていない――といったところなのかもしれない。


 不審な動きをしているお嬢様に、執事のセバスチャンが声をかける。


「いかがなさいましたか? お嬢様」

「あ……ううん。ちょっとね。みんな、どんな生活をしてるのかなって」

「庶民が珍しいのですか?」

「ほら、ちゃんと暮らせてるのかなとか、やっぱり気になっちゃうじゃない? そういうのってお屋敷にいたらなかなか見えてこないことだから」

「豊かな国ですよ、ワルキューレは。とくに帝都は世界中でも類を見ないほどの大都市でございます。私もこの国に来てよかったと思うことがよくあります」

「あなたはどこから来たの?」

「北方から」


 それからセバスチャンは、なにかのいたずらを思いついたように、声をひそめた。


「これは内緒話なのでございますが、私は元々、一国の王子として生まれまして」

「へえ……」


 ディーネはちょっと引いた。こういう冗談を言う知り合いに心当たりがある。話半分に聞いておいたほうがいいのだろう。


「しかし、双子の片方は捨てるべしという掟によって王宮を追放され、庶民として暮らして参りました」

「大変だったのね……」

「お嬢様にだけ特別にお教えしました。他言無用でお願いいたします」

「分かってるよ」


 嘘だろうけど。そう思いつつ、ディーネは一応それらしくうなずいておいた。

 セバスチャンはおそらく冗談が苦手なタイプだ。先ほどもディーネの冗談をどう扱っていいのか分からなくて困っていた。きまじめな彼が無意味にするとも思えない奇妙な話題だけに、ディーネも「うそでしょ」とはツッコミにくかったのだ。


「ああ、私の一番の秘密を打ち明けてしまいました。なぜでしょうか、お嬢様には何でも話したくなってしまいます。罪な方ですね」


 執事はうれしそうだ。無表情な男だと思っていたが、そうしているとぐっと親しみやすさが湧く。


 ――変な人。


 ディーネは戸惑う一方だった。



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