お母さまと貴族と商人
転生令嬢ディーネは母親に執事やナリキの相談をしようと思い立ち、公園に行った。それというのも公爵家では、母親が屋敷の人事を管理しているのだ。
彼女は午後に公園で散歩をするのが日課だった。
うららかな四月の陽気のなかでパラソルをさしている、見た目十代の愛らしいザビーネは、ともするとシュッとしたスタイルのディーネよりも年下に見えるから恐ろしい。
ディーネは自分の事業がうまくいっていることや、セバスチャンを引き抜きたいこと、新しく屋敷を切り盛りする執事を探さなければならないことなどをザビーネに打ち明けた。
「あらあら、そうなの。しょうがないわね。分かったわ。新しい子を探してみる」
「お母さま。それでしたら、次の執事にはぜひ腹黒ドSをお願いします」
ディーネはそう言って頭を下げた。
ザビーネは人を見る目があるらしく、彼女がこれ! と見出した人間は必ず才能を開花させてスーパー使用人となるのだ。
「素直クールなセバスチャンも執事としては最高なのですが、やっぱり執事は敬語でお嬢様をうやうやしく馬鹿にするぐらいのキャラ立ちが必要だと思うんです」
「ええと、ディーネちゃん……?」
ザビーネは何を言われているのかよく分からないという顔をした。しかしディーネも、これを現地の言葉でうまく説明する自信がないのである。
「例のあれを言われてみたいです。お嬢様は能無しでいらっしゃいますか? っていうやつです。お願いします」
「よく分かりませんけれども、がんばって探してみるわね……」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
執事の件はこのくらいでいいかな、とディーネは思った。
ディーネはもうひとつの用事を母親に切り出すことにした。
「お母さま、ナリキのことなんですけれども。彼女がうちに侍女として上がった経緯などを教えていただけませんこと?」
ザビーネが屋敷の人事権を持っているので、ナリキについても何か話が聞けるかもしれないと思ったのだ。
「ああ、ミナリール家のお嬢さんね? 簡単よ、公爵さまがミナリール氏と懇意にしてらっしゃるの」
「ミナリール氏はどんな方でいらっしゃるんですか?」
「しっかりした方よ。ご商売も堅実で、職人さんからも不満が出ないの。これってすごいことよ」
「どういうことでしょうか」
「職人さんと商人さんでは、商人さんのほうが市議会などでの発言権が強いのよ。職人さんよりもわたくしたち貴族と距離が近くて、お金を握っているから。でも、ミナリール氏は職人さんをないがしろにはなさらない方よ」
ディーネは不思議に思った。
では、なぜ彼はあのような妨害工作をしかけてきたのだろう。
「そう、ナリキさんのことだったわね。ナリキさんはね、聡明なお嬢さんよ。あなたも彼女との会話から得るものがあるんじゃなくて?」
「そう……ですね」
ナリキが商人としての才能を持っているのは明らかだ。しかし。
「先日の園遊会で、商会の積み荷が襲われましたの。そのときに、とっさに解決策を提示してくださったのもナリキさんでしたわ。でも……」
「仕組まれていたような気がしてならなかった?」
「……そうなんですの」
ザビーネほどの宮廷生活漬けの人間にもなると、ちょっとした会話で相手の言いたいことを先読みする能力にも長けてくる。
その判断力で、ナリキのこともジャッジしてくれないだろうかとディーネは思い、とつとつと事情を説明した。
すべてを聞き終えてから、ザビーネは静かに言う。
「ねえ、ご存じ? 染物商には、赤色の染料でしか染めない職人と、青色の染料でしか染めない職人がいるのよ」
「……? ええ……」
中世期のギルドはカルテルがガチガチに決まっているので、職業が細分化されているのだ。赤色の職人が青色の染料を使うのは協定違反。逆もまたしかり。
「だから、紫色の布がほしかったら、二人の職人に賃料を出さないといけないの。ところが新しい商人が来てあなたに言うとするじゃない? 『紫色が出る貝の染料がうちにありますよ! 自宅で簡単に染められます!』……あなたならどうする?」
「……紫色の染料を買いますね。使用人にでも染めさせます」
「では、赤い布や青い布の職人はどうするかしら?」
中世期のギルドの基準でいえば、これは、人の仕事を奪い取る行為である。
「紫色の染料を売る職人に文句を言いますね……私の仕事を取るな、と」
「ナリキさんがなさったのは、つまりそういうことなのではなくて?」
うーむ、難しい問題だ。
「わたくしたちは働かずとも十分な地代をいただいている身。その資本を使って、しもじもの仕事まで取り上げてしまうのは、残酷なことなのかもしれないわ」
もともと金と暇を持て余している貴族が、採算度外視でダンピングに近い商品提供などをはじめたらふつうに商売している人たちが飢えて死ぬ。
譬えて言うなら、小さな地元の商店街が近所にできた大型ショッピングモールのせいで全滅するようなもの。
あるいは外来種に在来種が駆逐されてしまうようなものと言えばいいのだろうか。
地球でも、古代ローマ帝国は、一部の貴族が商売を独占し、富と権力が一か所に偏ったがために滅亡した。
権力者に商売をさせる、というのは、それだけで危険なことなのだ。
なので、税金を取り立てる身分の人間がガツガツと更なる富を求める行為は浅ましい――という観念が生まれ、倫理的な抑制が働き、ますます貴族は働かなくなるのである。
ディーネは自室に戻ってからもいろいろと思考を巡らせてみた。
「貴族が商売をすることの是非――ねえ」
難しい問題だ。
しかしだからといって、国民には労働の義務があると明文化されていた日本の生活を知るディーネには、贅沢三昧で働かない貴族というのもにわかには許しがたい存在なのだった。
「……視察に行こうかな……」
この問題に答えを出すには、もう少しこの国の政治形態や庶民の暮らしなどを知る必要がある。
たまには領内を観察することも必要だろう。