お空を飛ぶ魔法だよ
タバコの味は知らないが、それ『っぽい』というだけで確かめもせずに流通させるのはやっぱりよくない。実際はタバコに似た全然違う何かかもしれないではないか。
解毒が得意なディーネがまずは効果のほどを試してみるべきだろう。
「これはどうやって吸うの?」
というと、研究員は吸い口を切って、火をつけてくれた。
ディーネはそれを口にくわえたまま、煙を吸い込む行為をしばらく続ける。
すー。はー。すー。はー。
煙の感じはタバコに近い、かもしれない。
そのうちに気分がよくなってきた。
「あれ? なんだかふわーっとしてきたかも」
たぶんこれがタバコの中毒性ってやつ。
でも、こんなにはっきりと自覚症状が出るものなのだろうか? 試したことがないからよく分からない。
もうこのへんでやめとこう。
そう思ってディーネは灰皿代わりになるものを探して席を立った。
席を立ったつもりで、ガタンと足を踏み外した。
床に尻もちをつく。
「……あれ……?」
足元がぐらぐらする。
「平気ですか、お嬢様」
研究員のガニメデが心配そうにかけよってきた。手を貸してもらって立ち上がったはいいものの、酔いがひどくてそのままガニメデにもたれかかった。
「あれ、これ、結構やばい?」
「そこまで強い毒性はないはずなんですが……特別に効きやすい体質なんでしょうか」
「ふふ……ふふふふふ。うふふふ」
――やばいぞこれ。なんかすっごく気分がいい。今なら飛べる?
「お、お嬢様! ただいま中和剤を!」
ガニメデは慌てて、なにかの精製水のようなものを持ってきてくれた。
コップを傾け、レモンっぽい風味のついた水を強制的に飲ませられる。一杯目が終わったかと思ったら、すぐに二杯目もつがれた。三杯、四杯とどんどんそそがれる。
ちょっと、それ以上飲めないんですけど。
「もう、飲めません……」
「いいえ、飲んでください。吐き戻してもいいですよ」
かいがいしくしてくれているガニメデには悪いが、しかし飲んでも飲んでも精神に影響はなかった。あいかわらず浮遊感がやばい。
「中和剤の成分ってなに?」
「多孔構造になっていて、物質を吸着します」
「……それ、煙にも効果あるの? 胃の内容物にしか効果がない系?」
「お嬢様あいかわらずお詳しいですね……しかし頭がはっきりされているようで何よりです」
「うんまあ、日本人なら常識みたいなもんだからね……」
「すみません、意識がはっきりしていると判断したのも早計でした。ニホンジンとはなんですか?」
「日本って国の民族は、まあ、国民全員が貴族みたいな……」
「そんな国があるんですか? 失礼ですが、想像上の産物ではなく?」
「あるんだよねー、これが……」
「ああ、ますますお嬢様のご容態が心配になってきました」
そう言ってお水を飲ませてくれるガニメデは、性質の悪い酔っ払いを介抱するお人よしの友達みたいだった。
「ごめんねえ、研究員Aよ……」
「お嬢様の下々の名前をほとんど覚えない貴族スタイル俺は好きです」
「おぼえてるって。おぼえてるけどたまたまちょっとド忘れしただけだって」
そう、心の中では言えてるんだからあとは思い出すだけなんだって。
くだらない話をしていると、いきなり空間に転移魔法の構成が浮かび上がった。
魔術の構成にはその人のクセが出る。
荒い構成、論理的に破綻した構成、単純な構成、ダラダラした構成。
それはそのままその人の思考の傾向を表す。
鳥肌が出るほどの情報量が圧縮された、正確無比な美しい構成。最初のひと呼吸から最後の絶唱までただのひとつも破綻がなく、無駄な要素は一切含まない。
この世にこんな完成された魔法が存在するのかと驚嘆を持って見つめれば、すぐにそれが誰のものかが知れて、さらなる高揚を味わった。
あっと声を上げる間もなく、神出鬼没のジークラインが研究員の部屋に転移してくる。
ディーネがひそかに心の中で厨二病と呼んでいるジークラインは、同じ空間にいたら意識が侵食されそうなほどの圧倒的な存在感をまき散らしながら転移を終えた。
ジークラインは椅子に座ってぐったりしているディーネをひと目見るなり、ガニメデに詰め寄る。でかい男に至近距離でにらみおろされ、研究員A、じゃなかったガニメデがすくみあがった。
「俺の女に何をしている?」




