儚げな美少女はろくな目にあわない
ディーネは侍女たちの手によって着替えさせられることになった。あっという間に裸にむかれ、すべすべするいい匂いの長いキャミソールみたいなのを着せられた。名前は知らないが、この世界ではこれが下着の代わりなのである。ぱんつなどはない。リアル中世仕様である。
「なんて素敵なのかしら」
「ディーネ様は本当にお美しくておやさしくて」
「ご覧になって、わたくしのほうが上背がございますのに、ディーネ様のほうがお腰の位置が高くていらっしゃいますわ」
ディーネは鏡に映った自分をシラッとした顔で眺めた。
ディーネの外見は決して侍女たちの過大評価というわけではない。淡いレモンイエローのブロンド、揚羽蝶のように鮮やかな黒とブルーの瞳。お顔は可憐で清廉で、さながら雪深い山奥でしか生きられない妖精の末裔といった風情だ。スタイルは華奢ですらりとしている。無駄のない芸術的な肢体はフィギュアのトップスケーターのようだ。
確かに美しい。しかし、美しすぎるがゆえにディーネは不安になってくるのである。
すなわち――こういう度を越した美少女は、現代日本の感覚でいうと、ろくな目にあわないという先入観がディーネにはあった。
女性向けの恋愛小説であれば鬱えろ担当。冒頭で非道な男にレイプされて、かぼそい声で泣きながらアンアンいうのがお約束。
身分のある男の正妃として嫁いでいったはずなのになぜか男から忌み嫌われて、使用人の立場に落とされる、なんて展開は見飽きるくらいに見飽きてきた。
ひどい目にあわされてあわされて、それでもけなげに男が好きだと一途に想い続け、最後にようやく少し報われるような役回りが似合いそうな子なのである。
さもなければ男性向けラノベの無口無表情系美少女担当だろうか。派手で自己主張の強いメインヒロインの脇に控える地味なサブキャラだが、クールで有能で仕事ができ、ふとしたきっかけで男の主人公を好きになってしまう。しかし彼の正妻はあくまでメインヒロイン。かなわぬ恋に身を焦がす儚げな美少女。しかし読者人気のゆえに他のキャラと結ばれることもまずない。永遠の二番手である。
鑑賞する分にはいい。しかし自分がそういう役回りを、したいか? といわれたらもちろんノーだった。
「脇役になど……」
ディーネがぼそりとつぶやくと、周囲の侍女はけげんな顔をした。
「脇役になど、なってたまるか……っ!」
それがディーネの出した結論だった。
地味でもいい。しかし不遇な愛人にはなりたくない。レイプもいやだ。嫁いだ先で使用人のようにこき使われるのもごめんである。
まずは敵を知りおのれを知ることから始めねばなるまい。
そうだ。皇太子ジークラインは間違いなく『主役級』のキャラづけである。どれほどのいい男なのかは先ほど力説していただいた。公爵令嬢としての記憶からいって、それはほぼ間違っていない。
しかし彼は皇太子である。この国の英雄で、大魔法使いで、剣の腕は神技といわれるほどの男だ。
あらかじめこの世のすべての勝利を神に約束されたかのようなキャラ設定の彼にあてがわれる女が、たったひとりだけということがあるだろうか?
いいや、ない。
一方ディーネのキャラ設定はどうか。
クラッセン嬢は深窓の令嬢で、生まれついての皇太子の婚約者で、彼に並び立つ賢妃たるべく厳しい教育を施されてきた。皇太子のことが大好きで、彼に手作りの品を贈るのが趣味。長すぎる手紙を一方的に送りつけたり、手作りのお菓子をせっせと日参したりしている。異常に嫉妬深くて、ジークラインが他の女と会話をしようものなら目を吊り上げて激怒する。
ディーネは頭を抱えざるを得ない。
――悪役令嬢じゃないの、この子。
ある日突然婚約破棄でもされそうな設定だ。いつの間にか皇太子には庶民の可憐な少女が付き従っていて、嫉妬に狂ったクラッセン嬢はさまざまな嫌がらせを少女にするが、皇太子はそれが悪役令嬢の仕業だといちはやく見抜き、あわれ令嬢は断罪されてしまうのである。
そんな展開絶対にいやだ。
とーにーかーく。
――不幸な脇役にだけは、絶対に、絶対にならない……っ!
ディーネが決意を固めているうちに侍女たちによるお召し替えが終わった。
「ご覧くださいまし、よくお似合いですわ!」
鏡を差し出される。絶世の美少女はお出かけ用の晴れ着に着替えさせられていた。その美しい布地は隣国にだけ生息する希少な魔法蜘蛛の糸でできており、抜群の伸縮性を誇る。鋼の剣でもなかなか断ち切れないほど頑丈なので薄く軽く織ることができ、しかも人の肌など、生物の体にだけぺたりと粘着するという特性を持っていた。
つまり、どういうことかというと――
「いやああああ! なんなのこのぱっつんぱっつんのエロ衣装!!」
布地がぺったりと肌に密着するので、ふつうのお姫様ドレスなのに、もれなく乳袋が搭載される。
といっても華奢なモデル体型なので、ほんのりふくらみが分かる程度なのだが、その中途半端さがかえって痛々しい。
さらに布地がペラペラの紙並みなので、からだのラインもくっきり浮き出てしまう。
結果、厳重に着込んでいるはずなのに、胸の形もお尻の形も丸わかりの特殊な服ができあがる。
下乳のラインから肩や肘の形、太ももの肉づきまではっきりくっきり見えていた。
下着としてキャミソールのようなものを一枚着ているので、かろうじて見えてはいけない部分だけはガードされている。
「お美しいですわ、フロイライン」
「えっこれで正装なの……?」
「なにをおっしゃいます。魔法蜘蛛の布でできた服こそわが国の皇族たる証」
「いやでもこれ、セクハラじゃない……? 私もいやだけど、見るほうも目のやり場に困らない……? 歩く公害とかになっちゃわないかな……?」
「せくはら……とは、なんですの?」
しまった。この国にはセクハラの概念もまだなかった。
下着がないところといい、思ったよりも文化的に野蛮である。
「ディーネ様のおからだは女のわたくしから見ても完璧ですわ!」
「そうですわそうですわ! なんというくびれとほっそりしたおからだなのかしら!」
スタイルはいい。それは認める。こんなに脚が長い女、漫画でしか見たことないよ。
「それにすらりとしたお美しいおみ足! わたくしのほうが上背があるのにディーネ様のほうが腰の位置が高いんですのよ!」
「そういう問題じゃなくて……ほら……この衣装を着た私を見ることにより、恥ずかしいって感情を想起させるならそれはもうセクハラ加害者だと思うのだけれど……」
「恥ずかしいと思う輩などおりませんわ!」
「皆さま椅子の上に立ち上がってでもディーネ様をひと目見ようとなさいますわよ!」
そりゃ見るよ! こんな露出狂みたいな女がいたら見ないほうがむずかしいからね!?
ディーネは脱力した。この世界の常識についていけない。
「まあいいや……とにかく着替えるから違う服を出して……」
「でも、もうご出発のお時間ですわ」
「ジークライン様をお待たせしてはいけません」
「でも、この格好で外に出ろってどういう罰ゲーム……」
「ご心配は無用ですわ。転送ゲートで産地直送ですもの」
「私は野菜か」
「ほらほら、いってらっしゃいませ!」
なにかゲームのセーブポイントっぽいところに押し込められて、次に気づいたら違う場所だった。
「お、来たか」
すばらしくいい声の男がこちらを振り向いた。