借金は匠の技で劇的ビフォーアフターです
ディーネが一億という借金をどうにか整理するために各種の法律を調べ直している最中、家令のハリムはメイシュア教の教会法について意外なことを言った。
「メイシュア教会法では、『利息を取る人間は悪である』とあります。教会法では、貸した金額以上の金額を受け取る行為は禁止ですから、利息はすべて違法です」
「えっ……」
「教会のトップから利息を取ってもいいと公式認定されている銀行はひとつだけですね」
「へえーそうなんだ……」
おどろいた。弱者にやさしい法律だとは知っていたが、まさか借金をした人間を全面的に保護するものとは思わなかった。
いくらなんでも甘すぎるのではないだろうか。
その法律をふつうに適用すれば、バームベルク公爵家が抱えている一億の借金もすべて違法ということになる。
「そういえば、『お金がお金を生む』のは罪悪だったっけね……」
先日、帝国徴税官長に言われた言葉を思い出してつぶやく。
皇太子のはからいで領地経営のチュートリアルを受けたときのことである。
すると、ハリムが同意した。
「そうですね。教会の教えではそうなっています」
――よっしゃ。解決の糸口みっけ。
ディーネはさっそく準備をするべく、席を立った。
金利は黙っていても増えるものなのだから、行動するなら早いほうがいい。
「……っと、そうだ。法律に詳しい人って誰かいない? えーっと……」
弁護士……はまだこの国にはいない。
弁護士の代わりになる人物といえば……
「神学者。そうね、弁が立って、金額次第で何でも引き受けてくれて、なるべく権威のある神学者の先生がいいわ」
「それでしたら、バームベルク大学の神学部のベルナール教授が適任かと」
「ああ、あのおじいちゃんね」
クラッセン嬢も小さい頃彼に教会の典礼言語やありがたい教えを教わったのだ。
***
ディーネは神学者のベルナールを招いて、食事をふるまった。
「お久しぶりです、先生」
「ふん、薄情な弟子じゃのう。用事があるときだけ猫なで声を出しよる」
エスカルゴの殻から身をほじくりだしながら、ベルナール。
この老人、博学多識で聖界の名声も非常に高いのだが、少し根性曲がりなのだ。
「あら、いつもお会いしたいと思っておりましたわ。でも、婚約者のある女が魅力的な紳士をしょっちゅう呼びつけるのは問題でございましょう?」
「阿呆。ガキになぞ興味を持つか。相変わらずお前は成長しとりゃせんな。とくにその胸。まったいらじゃ」
――ピシッ。
握りしめたコップの中身が氷雪魔法の暴走で凍るのを感じて、指をそっと離した。
「ちゃんと飯を食っとらんからいつまでもぺたんぺたんなのじゃろう」
「うふふ、お恥ずかしい限りですわ」
ディーネは呼びつけたことをさっそく後悔した。だからこの老人は呼びたくなかったのだ。
――いつか氷漬けにして永久凍土の中にぶっこんでやる。
ベルナールに勉強を教えてもらっている最中、何度そう思ったか知れない。
「それで? 今日は何の用じゃ」
そうだ。さっさと用事を片付けて帰ってもらうに限る。
ディーネはあいさつもそこそこに、本題に入った。
「公爵領の借金を減らしたいんですの。お知恵を借りられないかと思いまして」
「どのぐらい」
「一億」
ベルナールは黙ってエスカルゴをつついている。
ディーネはにこやかに見守りながら、気が気じゃない。
「わしに言わせればはした金じゃな」
ごく気軽にそう言われたときには、ほっとして身体から力が抜けそうになった。
「では、どうにかしていただけそうですの?」
「わしはジャックのやつとは同じ釜の飯を食った仲での。五十年前に修道院で一緒に生活したことがあるんじゃ」
ジャックとは、現教皇の俗世の名前だ。
よりによって教皇さまを友達呼ばわりとは、いよいよヤキが回ったのか、それとも。
ディーネが苦悩する間にも、ベルナールは淡々と言葉を続ける。
「献金の用意が必要じゃの。金貨で一万。それだけあれば免状発行も快く引き受けてくれるじゃろ」
「免状……とは?」
「あやつに『金利の取り立てを無効にする』と一筆書かせりゃいいわけじゃろ。あとはわしが口八丁でなんとかしてやるわい。全額免除もわしならばたやすいことよ。なんなら払いすぎてる分を取り返してやってもよいぞ」
――なんということでしょう。
この借金のヤマが、匠のわざで劇的にリフォームされてしまうのです。
「師匠……っ! わたくし師匠に一生ついてゆきますわ……っ!」
「うれしくないわい、このぺったんこが」
「おたわむれを! わたくし師匠がおっしゃるほどぺったんこじゃございませんのよ!」
しかし、あの債務のヤマが片付くのならディーネとて胸部にパッドを仕込むこともやぶさかではない。この世界にはまだ胸部補正の下着などはないけれど。
教皇さまの口添えがあれば借金全額チャラなどという展開も決して夢ではないのだ。
「しかし、気を付けるがよいぞ。フロイライン・クラッセン」
ベルナールはまじめな声を出した。
「金を貸しておるやつらも人間じゃ。それで生活をしておるのじゃよ。正義もなしに借金を踏み倒せば、反感は免れまいよ」
「心得ておりますわ」
ディーネにだって考えはある。
「もともと、公爵家がしていた借金の元本というのはそう多くありませんのよ。七、八百万といったところかしら。長年にわたる暴利のせいで一億までふくれあがってしまいましたの。でしたら、その七、八百万の分に、ある程度までの金利――メイシュア教では『損害遅延金』というのでしたっけ? それはお支払いすべきだとわたくしも思います。でも、それ以上はわたくしの見解では違法ですのよ。裁きがあってしかるべきですわ」
ベルナールはエスカルゴをほじくる手をとめた。
ぽかんとしてディーネを見る。
「……あの……なにか?」
「ふむ。わしの馬鹿弟子も、なかなかどうして捨てたもんじゃないわい」
今度はディーネがびっくりする番だった。
この偏屈爺がこういうときは、ほぼ最高レベルの賛辞と思っていい。
「教えることがなくなると、それはそれで爺としても寂しいんじゃがのう」
そうつぶやくベルナールにディーネはうっかり胸を打たれそうになる。
「せんせい……」
「あ、そうじゃ。晩飯も食ってゆくから心してもてなせよ。今晩は孔雀を食わせい」
――しれっと超高級食材を要求してくるベルナールに、ディーネのせっかくの感動は台無しになった。
モン・メイトル
フランス語直訳で「わたしの先生」。