結婚式(5/5)
研究員はへらへらとしつつも、どことなく毒々しい笑顔で言う。
「虚しくなったので着ませんでした」
「え……その、虚しいとか虚しくないとかじゃなくて、着てもらわないと困るんだけど……」
あれは従業員の見栄えを整えて、ゲストの貴族たちに公爵家の権力と財力を誇示するために支給したのだ。変なところで反抗心を発揮されても困る。
「心配はいりませんよ。どうせすぐ退散しますんで。ずっといたら気がおかしくなりそうですし」
「なんでよ。私の結婚式祝ってくれないの?」
「だから気がおかしくなりそうなんですよ。お嬢様には分からないでしょうけどね」
よく分からないが、バカにされていることだけは伝わったので、ディーネはイラッとした。
「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。あなたそういう態度でいると友達なくすわよ」
「それをお嬢様が言うんですか?」
怒りたいのはこっちのほうだというのに、なぜかガニメデが腹を立てている。
「まあ、俺は最初から知ってましたけどね? お嬢様が皇太子殿下と婚約破棄したいってのは口先だけで、本当はすっごく結婚したいと思ってることぐらいお見通しでしたよ。分かってなかったのはお嬢様だけじゃないですか?」
急にどうしたのだろう。やけに早口でまくしたてるガニメデに、ディーネは戸惑いを隠せない。
「殿下もお嬢様のこと手放したくなかったみたいですし、そりゃ当然こうなるかって感じですよね。いや、ほんとおめでとうございます。ははは! ……そんじゃ俺、今手が離せない研究やってるんで失礼しますね」
彼は一方的に喋るだけ喋ってしまうと、麻布の袋をディーネに押しつけて、さっさとどっかに行ってしまった。
――……なんだったのかしら……
困惑しつつ麻袋のリボンを解いてみると、中は婚礼のお祝い品らしき、お菓子づくりに使う小さな陶器のパイ皿がいくつも入っていた。小じゃれた装飾が入っていて、このまま器として使えそうだ。いくつあっても困らないものなので、これ自体はうれしい。
――アップルパイでも作って持っていったらいいのかしらね。
今日は何やら虫の居所が悪かったらしいが、次に来るときはきっと機嫌も直っているに違いない。
自宅での宴会はこのあと一週間も続く予定だが、ディーネは一通り自宅でのお披露目が終わったので、次の披露宴の場所まで旅立つことにした。
ディーネはお別れのあいさつもそこそこに、金塗りの大きな馬車に乗り込んだ。ディーネの載る馬車は花嫁のものであることがひと目で分かるよう、糸巻き棒と、クラッセン家の家紋を刺繍した旗を飾っている。その後に、公爵夫妻を乗せた馬車と、家財道具を満載した馬車が五十台ほどずらりと並んでいた。この仰々しい花嫁行列は日本で言えば参勤交代のようなもので、こうして派手ぴかにしてのんびり道を進むことが、貴族にとっては大事なことなのである。
ディーネの旅も、徒歩ぐらいのスピードでゆっくり進む。
予定では二週間ほどかけて帝都に入り、祝賀会。その後、帝都から新居までの旅路は危険が多いので、安全策を取り、転移魔法を使って一足飛びに現地入りする。結婚式の完遂まで、全体で約一か月の旅程だった。
***
遊牧・騎竜民族の国家、チェルリク。元はチェルリクの族長が暮らしていた宮殿にディーネが到着したのは、二月の初めのことだった。
ここが皇太子夫妻の新居となる予定である。
ディーネがすべての旅程を終えて、新居に到着したとき、ジークラインはいなかった。
暴動の鎮圧で出かけているらしい。
「治安が安定しないとは伝え聞いていたが、苦戦しているようだ」
パパ公爵が宮殿内の様子を教えてくれた。笑いじわのある目元も、今は笑っていない。唇を真一文字に引き絞り、大げさに首を振る。
「わが娘よ、そなたも殿下がご不在の際に襲撃を受けたら立て籠もって軍を指揮するぐらいの勇気を持つのだよ。いいね?」
「お父さまのわたくしに対する期待値が高すぎる」
結婚式に来たと言うよりも野戦の最前線に来たという感じが強い。
「大丈夫よ、ディーネちゃん。わたくしも軍の指揮なんて一度もしたことがないけれど、ここまでやってきているわ。公爵さまは何でも大げさなのよ」
母親のザビーネが救いの手を差し伸べてくれたが、パパ公爵は持論を引っこめたりはしなかった。
「なにも大げさなどではない。そなたは皇太子殿下の伴侶。殿下と並んで、一国の王となることを忘れてはならぬ。ああ……この異民族どもの国を任せるには、そなたはいかにも若すぎる……」
「はいはい、お説教はまた今度ね」
母親に連れられて、ディーネは新居――チェルリク宮、もしくは遊牧民族の言葉で街や建物を意味する「ユルダ」の内部を一巡した。酒蔵やキッチンの鍵束を各セクションの長から次々と渡され、ディーネを女主人として歓迎するといったような挨拶を受けた。
最後に到達した自分の部屋で、侍女たちがあわただしく行き来している。
ミサの日は何も口にしてはいけないので、深夜になる前に食べられるだけものを食べておき、ひと段落ついたところで、母親が何かを手にしてディーネのところに戻ってきた。
「さあ、ディーネちゃん、今からが正念場よ。全身ぴかぴかにして、いっちばん綺麗な姿を皇太子殿下に見ていただきましょうね」
迫る母親の笑顔になんとなく不吉なものを感じ取り、ディーネはそっと聞いてみた。
「お母さま、その手に持っているドロドロのものはなんですの……?」
「これ? これはね、お母さま秘伝の脱毛剤なの」
ディーネは全身に謎の糊状物体を塗られて、一気に剥がされた。背中のうぶ毛まで全部ひっぺがされて、はじめは悲鳴を上げていたものの、最後のほうは物言わぬ物体と化していた。
その後も母親に変な草の汁やら鳥のフンやらを丹念に塗り込まれ続け、三度目のお風呂を終えて上がってくるころには、すでに深夜になっていた。
「完璧よ、ディーネちゃん。つやつやの真珠みたいな色つやにしっとりと吸いつくような手触り……この肌に魅了されない殿方はきっといないわ」
仕上がりに満足したらしきザビーネが、内緒話をするように、ディーネの耳元に顔を寄せた。
「ねえ、ディーネちゃん。私はね、あなたのことはあんまり心配していないの。あなたはとても神経質で臆病な子で、感激も失望もしやすいけれど、それをちゃんと律することができる賢さがあるわ。近ごろは勇敢に行動できるようになって、大人になったのねって、ベラドナちゃんとも話していたところなのよ」
両手で頬を挟まれて、ディーネは真正面から母親と見つめ合った。
「たくさん愛されて、幸せにおなりなさい」
次回、エンディングです。




