結婚式(3/5)
「婚礼は明日も明後日も続くのですから、休めるときに休んでおいたほうがよろしいかと」
「そうね。あなたも、あまり無理をしないようにね」
「いえ、私は、これで最後ですから。きちんとお勤めをしたいのです」
セバスチャンはディーネが新居へ連れていくことになっている。新居にはジークラインが連れてくる使用人も多いので、下手な人選をすると派閥争いなどが起きかねないことを考慮して、セバスチャンをディーネ側の使用人頭に置くことに決めた。彼ならどこに出しても恥ずかしくないとディーネは思っている。
「改めまして、ご結婚おめでとうございます、お嬢様」
セバスチャンが片膝を折って挨拶するので、ディーネはちょっと慌てた。
「いやだ、そんなにかしこまらなくたっていいのよ?」
「窮屈かもしれませんが、けじめですから。ご婚礼のお品物はのちほど私から皇太子殿下へお届けいたします」
「え、どうして? 贈答品のリストに入れておいてくれたらいいんだけど」
「いえ、殿下も直接お受け取りになりたいとおっしゃっていましたから」
どうしてそんなめんどくさいことを、と思いはしたが、ジークラインも了承しているのなら、ディーネとしては別にどちらでも構わない。
「ジーク様もセバスチャンのことがお気に召したのかしら……」
ディーネは最高によくできた執事だと思っているが、彼にもよさが分かってもらえたのだろうか。
セバスチャンはくすりと笑った。
「おそらく、お嬢様には不可解なことをするところがお気に召したのだと思いますよ」
まるでとんちのような回答だ。ディーネがちっとも分からないでいると、セバスチャンは遠慮がちにこう付け足した。
「それがどんなものであれ、他の男からの贈り物を新妻が個人的に愛用していたら、面白く思わないのが男というものでございます」
「そうかしら……? ジーク様に限って、そんなに幼稚な妬き方するかしら……」
セバスチャンは困ったように笑うだけで、賢明にも回答を差し控えた。
「あなたは知っていると思うけれど、私はすぐに妬いてしまうのよね。でも、ジーク様ってああいう方でしょう? 私ばかり好きみたいで悔しいから、一度ぐらいはやきもきさせてみたいなって思ってるところなのよね」
「実はお嬢様の知らないところで、やきもきしていらっしゃるかもしれませんよ」
彼は「あまり悪戯心を起こされませんように」と言い残して、その場を辞した。
――ハリムとおんなじこと言うのね。
しかし、どうにもディーネにはそう思えないのである。どうせだから、はっきりとこの目で確かめてみたいと思ってしまうディーネは、意地が悪いのだろうか。独占欲を丸出しにしたジークラインから怒られてみたいと思うのは悪趣味だろうか。
悶々としているうちに、夜が明けた。
ディーネは自室に引き上げて、侍女たちにウェディングドレスを着せてもらった。
ワルキューレ帝国のウェディングドレスは深紅がもっとも多く、次に深緑、青と続く。まだ布の染色技術が未発達で、あざやかな発色の染料各種が高値で取引されるためである。白は質素な修道士の服、あるいは喪服のイメージが強い。
それでもディーネが純白のヴェールとドレスを選択したのは、新開発のレースの美しさを際立たせたいからだった。
レース。糸の宝石とも呼ばれる、手間暇がかかった芸術品。
いつもはハイテンションな侍女たちも、レースづくしのウェディングドレスを前にして、このときばかりはさすがにおとなしくしていた。
「……いつ見てもすごいドレスですわね……」
「わたくし、うっかり汚してしまったらどうしましょう……」
「ボタンでもひっかけてレースがほつれたりなどしたら……」
「お前たち、絶対に粗相のないようにするのですよ」
「いやこれ、そこまですごいものじゃないからね」
ディーネが呆れてつっこむと、若い方の侍女三人娘は憤慨したように「なんてことをおっしゃるんですの!」「金満!」「大貴族!」とよく分からない悪口を口走った。
ディーネは困ってしまい、もごもごと弁解する。
「だってこれ、手編みじゃないし……」
そう、機械編みのチュールレースである。現代日本ではウェディングドレスか、さもなければ舞台衣装に使われるような素材だ。サブパーツに選択したオーガンジーも、見栄えはするがそこまで高価なものではなし、舞台衣装っぽさに拍車をかける。
しかし、これが一点もののウェディングドレスで、総レースのスカートは過去に前例がないとなると話は変わってくる。
ワルキューレ帝国の正装は魔法蜘蛛の繊維によるドレスと決まっているが、この繊維、人肌に吸いつくという厄介な性質を持っているので、刺繍やレース編みを製作するのは非常に困難だ。いちいち指にひっついて作業がまったくはかどらない。蜘蛛のドレスが最高級品と呼ばれる所以である。
そこでディーネは、どうにかしてこの繊維のレースを量産してみることにした。
その結果、たどり着いたのはオーガンジーとメリヤス編みである。
地球史によると、編み機の機械化は16世紀後半であったらしい。要は糸を鎖状に引っかけていけばいいだけなので、鉤型の針を一列に並べてうまくリレーするように工夫すればメリヤス編みができあがる。糸を引っかけて戻す時に、かぎ針のフック部分を丸く『閉じる』ための機構として、べらがついていれば言うことはない。ディーネはもともと編み物が得意なのもあり、前世から女児向けのおもちゃの編み機の記憶を得たときから、なんとなく再現できるのではないかと思っていた。
こうしてできあがった無地のチュールレースに、ボタンホールステッチなどで刺繍を施せば、本来は複雑で難易度が高いはずのチュールレースが比較的安価に、短時間で量産できるのだ。
チュールレースに直接刺繍をする他に、アップリケなどを使う方法もある。
シルクの小さな布に白い木綿の糸で刺繍をしたあと、ごく弱い酸性の溶液につけると、たんぱく質性のシルクは酸に溶け、植物の繊維でできている木綿の刺繍だけが残る。これは胃袋などと同じで、肉は消化されるが、食物繊維などは胃液で溶けずに残るのと同様の原理である。
魔法蜘蛛の糸であれば分離はもっと簡単だ。蜘蛛の吐く粘液は自分が出した糸だけは都合よく溶かさないので、薄めた粘液につけるだけで刺繍が分離できる。
こうして採集したワンポイント刺繍を、アップリケの要領でちょいちょいとチュールレースに縫いつけると、あっという間にレースに早変わりだ。
本来なら何十人ものレース工が何か月もかかって仕上げるような、全身を覆うほどの大判ストールやヴェールが、ほんのわずかな時間で製作できるのである。
ディーネは一番上の目立つ部分だけに凝った刺繍や真珠をあしらい、その下には安価で量産したチュールレースを重ねてかさを増した。このかさ増しのおかげにより、手編みでは絶対に実現できないような短時間で総レースのドレスを作ることに成功したのである。
一番のネックは生体にまとわりつく魔法蜘蛛の性質だったが、これも酸に付け込むことにより、普通の布に変えることができてからはスムーズに進んだ。要するに魔法蜘蛛の糸も動物繊維のたんぱく質製であるわけなので、酸につければ劣化し、オーガンジーのように硬化と収縮が進んで、最終的には溶けてしまうというわけなのだった。
ヴェールにはドレスと同じパターンで銀糸の刺繍と真珠の縫いつけを行い、全体を整えた。
こうして、傍目には途方もなくお金と手間暇がかかっているように見える、レースと真珠づくしのウェディングドレスが完成したのである。




