聖夜に(2/2)
「……悪かったよ。つつがなくやっているか?」
「全然つつがなくなんてありませんわ! 皆さん勝手なことばっかりおっしゃいますのよ! わたくしの結婚式なのにちっとも話を聞いていただけないのですわ! わたくしの! 結婚式! なのに!」
ディーネが思いのたけを叫ぶと、ジークラインはなぜか、肩を震わせて笑い始めた。
抱き留められているディーネにも、ブルブルと身体を震わせているのが伝わってくる。
「……な、なんですの?」
「いや、元気そうだなと思ってよ」
「笑いごとではございませんのよ!?」
「分かった分かった、そう怒鳴るな、耳に障る。で? お前の結婚式がなんだって?」
「わたくし結婚式にはたくさんこだわりがありましてよ、お分かりでしょう? なのに皇宮の皆さんときたらちっとも話を聞いてくださらなくて! ジーク様からおっしゃっていただけたらきっとこんなに苦労しませんでしたわ!」
「そうかよ。そいつは苦労をかけたな」
「ホントに苦労でしたのよー! ねえ今からでも遅くありませんわ、ジーク様からも皆さんに言ってやってくださいましな! だいたい結婚式にあのドレスは……」
ディーネが思いつくままに文句を並べるのを、ジークラインはじっと聞いていてくれた。
ディーネがひとしきりしゃべって満足すると、彼は苦笑まじりにぽつりと言った。
「……今年は必要なかったな」
「なにかおっしゃいました?」
「いや。来年もまた結婚できないって騒ぐかと思って様子見に来てやったんだが」
ディーネは思わず首をかしげた。ここまで来れば、もう結婚式がキャンセルになることはないだろう。
「戦争はもう終わったのでございましょう? でしたらもうあと少しではございませんか」
ディーネが彼の顔色を確かめるようにして言うと、ジークラインは「そうだな」と笑ってくれた。
「それにこうして、ようやくジーク様もお戻りになったことですし……」
彼さえいてくれたら、もう怖いものなど何もないとディーネは思う。
ジークラインが何も言わずにいるので、ディーネはふと不安になった。
「……ジーク様?」
「ああ、そうだな。あと少しだ。すぐにカタをつけて戻る」
ディーネは目を見開いた。
では、彼は帰ってきたわけではないのだろうか?
「式までには絶対に戻るから、俺を信じて待て。できるよな?」
「ジーク様……」
「式のことはお前に任せる。俺がいなくても、お前ならやれるはずだ。お前さえ無事でいてくれりゃあ、俺は……」
「あの……?」
「いいかディーネ、もしも身の危険を感じるようなことがあったときは、空中庭園にでも身を隠せ。道順は俺の騎竜が知っている。当面の生活くらいはなんとかなる」
不穏なことを言わないでほしいとディーネが思っていると、彼はふいに明るい声を出した。
「帰ったら、今度こそ結婚――」
「いやああああそのセリフはダメええええええ!」
日本のアニメには、『帰ったら結婚しよう』と言い残して戦場に行った兵士はまず帰ってこないという決まりがある。いわゆる『死亡フラグ』というやつだ。
ディーネは俄然ジークラインが心配になってきた。彼が強いことは疑いようもないが、詳しい現状説明もなしにむやみやたらと先の明るい希望や展望を語られると、何かまずいことがあるのではないかとさえ思えてしまう。
ジークラインはプライドが高いから、戦況が不利であっても決して弱音は吐かないだろう。
もしかしたら状況はディーネが思っているのよりもずっと悪いのかもしれない。
「い、嫌ですからね、わたくし今度こそは絶対に絶対に結婚するって決めているのですから、お戻りにならなかったらひどいんですからね!? お墓の前で毎日泣き暮らしてそれはもうみじめに一生喪服を着て暮らしてやりますわ!」
「は? なんで俺が死ぬんだよ。俺の心配よりもてめえの心配をしろ」
「じゃあどうして先ほどから負けそうなことをおっしゃってるんですの!?」
「言ってねえよ」
「うそ! たった今わたくしに身の危険が及んだ時の心配までなさってましたわ!」
「あー……分かりにくかったか?」
ジークラインはちょっと考えてから、若干言いにくそうに口を開いた。
「だから俺の言いたいのはな、チェルリクのやつらごときに負ける気はまったくしないが、不自由な生活を強いられて嫌気が差してるってことだよ。どこ行っても砂と草むらばっかりだ。どこにもお前がいない」
「わ……わたくし……?」
「そう、お前だ。お前が俺の手の届く範囲にいないのが一番こたえる。俺が死ぬことは万に一つもありえないが、お前が心配で死にそうなんだ」
ジークラインが言い終えたとき、照れているのか、やや視線を外し気味だった。
彼らしからぬ可愛らしい仕草にディーネはときめいたものの、それでも突っ込まずにはいられなかった。
「わ……わかりにくっ……!」
さっきの話しぶりでそこまで読み取れと言われてもだいぶ厳しいのではないだろうか。
「なんだよ、文句ばっか言いやがって。人のことはいいからとにかく身辺に気をつけて暮らせ。お前さえ無事なら俺も思い切れる」
「それでしたら、心配は無用ですわ。お父様もわたくしのためになんだかたくさん兵をつけてくださってますし……セバスチャンもずっといてくれてますもの」
ジークラインは少し離れたところにいるセバスチャンに視線をやって、小さく「そうか」とつぶやいた。
「なら安心だな。最後にお前の顔が見れてよかった」
「最後って」
「達者で暮らせよ」
「言い方!」
「これが終わったら結婚――」
「わああああ! ああああああ!」
わざとやっているのかと思うほど今生の別れのような言葉を連発するジークラインに、もはやディーネは悲鳴で言葉を遮るしかなかった。
「……いきなりなんだ? まあ、そんだけ喚けるなら気力も十分か。安心したから、俺はもう戻るぞ」
「え、もうお帰りですの……?」
「もともとプレゼントを届けに来ただけだからな」
ジークラインはディーネの顎を指先の動きだけで持ち上げると、自分の唇を軽く押しあてた。一瞬の早業すぎて、とっさにディーネは何もできない。
――キスがプレゼントなのだと理解したときには、すでに彼は離れてしまっていた。
ディーネが何もできないでいると、彼はいつもの、意地悪なようで温かい笑みを見せた。
「じゃあな」
そう言い残して、痕跡も残さずに消えてしまう。ひとかけらの魔力も残さない、神業のような転移魔法に、ディーネはキツネに化かされたような気持ちになった。
呆けてしばらく立ち尽くしていたが、次第に寒さが身にしみるようになり、くしゃみが出たところでようやく我に返った。
「もう……」
慌ただしい別れだったが、激戦の合間を縫って会いにくるのはきっとものすごく大変だったのだろう。
ディーネにはもったいないような、大きな贈り物をもらってしまった。
ゲリラ戦は攻めるよりも守るほうがずっと大変だという話を聞いたことがある。ところがワルキューレは現時点でチェルリク側からの散発的な襲撃にそれほど大きな被害を出していない。これがどれほどすごいことなのかくらい、戦争に興味のないディーネにも分かる。こうしてディーネが一度も襲撃に遭わず、無事でいることも、もしかしたら奇跡的なのかもしれない。
そんな戦闘の最中でも、彼はちゃんとディーネのことを忘れていなかった。休息だってろくに取れないような状況で、体力を消費する転移魔法を使って、プレゼントを届けてくれた。
彼が優しいのは今に始まったことではない。
昔からずっとこうしてディーネのことを気にかけてくれていた。
それなのにディーネはいつも不満ばかりで、今日だってどうして会いに来てくれないのかと、そればかり考えていた。
「……なんて愚かだったのかしら」
気づこうと思えば、たくさん愛されているということに気づけたはずなのに、ディーネには何にも見えていなかった。
「……がんばらなくちゃ」
刺繍はまだまだ終わらないし、結婚式の資金繰りやプランも完璧とは言いがたい。仕事だって山積みで、未解決のトラブルがディーネを待っている。ディーネはいつだって自分のことで手いっぱいだ。
それでも、ジークラインががんばっている分の何分の一かでも、負担を肩代わりしてあげられたらいいと思った。
そのためには、まずは自分で自分のことをしっかりやらなくてはならない。
***
「あなたの結婚式、一週間後に開始することで決まったわよ」
年明けに、出し抜けに母親からそう告げられ、ディーネはつい、呆けてしまった。
現在は冬の大祝祭も終わり、来月の謝肉祭までまだ一か月ほど余裕がある、という頃合いだ。
普通、謝肉祭後の大斎期間には結婚式を挙げないから、ギリギリのセッティングと言える。
「……あの、ジーク様は?」
彼はまだ現地のゲリラと血みどろの戦いを繰り広げているとかで、あれ以来ディーネのところにも戻ってきていない。パパ公爵もそのおともで不在がちだ。
「いらっしゃらないかもしれないけど、代理で花婿を立てて、先に挙げてしまうことに決まったの」
ディーネは眉間にしわを寄せた。
母親はとりなすように、やさしい手つきでディーネの髪を撫でる。
「あなたが不満に思う気持ちも分かるけれど、戴冠式のときにはちゃんと会えるはずよ」
「……戴冠式? では、講和が成立しそうなんですの?」
「そうよ。あなたは本当に頭のいい子で助かるわ」
本来は首都を落としたところでジークラインが現皇帝を無視して皇帝位を僭称し、実効支配を推し進める予定だった。
しかし、当初の予定とは違って現皇帝を実際に討ち取れたこと、右玉(チェルリクでは皇太子に当たる役職らしい)を頂点としたチェルリクの有力諸侯たちの臣従を得られたことなどから、正式な皇帝位が彼に贈られることになったのである。
右玉に従わない勢力が執拗に抵抗を続けていたせいで、正式な講和などもまとめて延期になっていたのだが、ようやく目途が立った、ということらしかった。
おそらく、残党もあらかたジークラインに狩られつくしたのだろう。
「……それでは、どうしてジーク様はいまだに隠れていらっしゃるんですの?」
「わたくしには戦争のことはよく分からないけれど、ほら、ドラゴンは一匹だけでもとても怖いでしょう?」
ドラゴンはいわば戦闘機のようなものなので、単騎が散発的に襲ってくるだけでも相当な被害が出る。ジークラインが出てこれないのも、彼が危ないからというよりも、巻き込まれる周囲が危ないからという理由らしかった。
「きっと殿下も式に戻れるように手を尽くしてくださっているわ」
「……ええ。そうですわね」
彼だって大変なのだから、ここでディーネがワガママを言っていてはいけない。
代理の花婿を使っての式だって、重要な政略に違いないのだから、立派に勤め上げることが皇太子妃の義務だろう。
「わたくし、ひとりだってちゃんとやりとげますわ。皆さんに、いいお式だった、って言っていただけるように」
「その意気よ、ディーネちゃん。世界一綺麗な花嫁さんだったって言ってもらえるように、がんばりましょうね」
――そうして一週間はあっという間に過ぎ去った。




