聖夜に(1/2)
ディーネは年末進行の宴会事業で忙しくあちこちの領地を行き来しながら、悲鳴をあげた。
「うわあああん!! ジーク様が帰ってこないいいいい!!」
泣き言を述べても仕事は待ってくれない。
この日は皇宮で催される冬の大祝祭の宴会料理と、よその国のティーパーティーを二件請け負っている。一分一秒たりとも座らせてくれない。
すぐそばの厨房で、何かのリストを確認していたセバスチャンがちらっと顔をあげてディーネを見たが、彼も相当切羽詰まっているらしく、何も言わずにまたもとの作業に戻ってしまった。
ディーネは自宅待機中の身上だったが、自室にいるよりはセバスチャンのそばにいたほうが安全だということで、ついでに彼の仕事を手伝っているのであった。
ディーネの仕事はこれだけにとどまらない。
夜は夜なべして侍女たちとちくちく針仕事。小物の製作は完成度にこだわり出すと果てがない。縫っても縫っても終わらない。刺繍糸ももう何十メートル消費したやら。
領地の経営。戦争資金の捻出にはことのほか苦労した。パパ公爵がかなりいい加減な税金の取り立てをしたので治安が悪化していたが、ディーネがまめに炊き出しやお祭りの料理提供などを敢行したのも奏功してか、戦勝のムードでほぼ忘れられかけている。
「……兵士たちのお給料、どうしようかしら……」
兵を招集したならば、当然、その分の費用がかさむ。バームベルクはパパ公爵の趣味により数万人というアホな規模で軍を編成しがちなので、数万人分の食料と、別途、職業軍人であるところの騎士や傭兵たちにお給料が必要となる。ひとりあたり銀貨数枚必要だとしても、一日で銀貨数万。三十二日間の拘束なら? 単純な算数で、もう大赤字だということは分かる。
しかも今回は転移魔法を中心に作戦を組むのだとかいう話で、相当量の魔法石を放出している。こちらはもともとの備蓄分を使っているので直接お金が減ったわけではないが、危険水域まで資産が目減りした。ここからどうやってもとの備蓄量まで増やそうかと考えるだけで頭が痛い。
――私にも作戦立案の権限があれば、絶対に反対したのに……
転移魔法を減らして、大魔法も控えて、もともと飼っている騎竜の機動力と、ジークラインの強さを活かした作戦に変えたら、もっとローコストで勝てたような気がしてならない。おそらく、そこらへんの戦略はチェルリクのほうが何倍も上手なのだろう。物資の調達・調略に関しては、遊牧民がもっともすぐれていると聞いたことがある。バームベルクの作戦はいわば札束で殴っているようなもので、課金アイテムで殴ればそりゃあ強いに決まってるよね、というレベルのものだった。
チェルリクが強すぎたのが悪い、資源量の殴り合いで挑まなければ勝てないほどだったのだ、と見ることもできる。しかし、もしもディーネが皇妃となるのならば、戦争時の調略についても口を出せるようになりたいな、というのが素直な感想だった。こんな札束を燃やすような戦争ばかりを続けていたら、いつか『戦争には勝ったが内部から崩壊した』といったようなことになりかねない。
「まあいいわ。勝ったのだから、よかったじゃない。死んだら元も子もないものね……」
「……? どうかしました?」
そばにいたシェフが怪訝そうな顔をしている。
「なんでもないわ。忘れてちょうだい。それよりこのレシピ、お願いね」
シェフにメモ書きを押しつけて、ディーネは皇妃さまが待つ広間へと急ぐことにした。
***
夜半、皇宮のディナーがひと段落したころ、ディーネは廊下でぼんやりとパーティの参加者たちの楽しそうな笑い声を聞いていた。料理はすべて出し終わったので、あとはタイミングを見計らって後片付けをして、撤収するだけだ。
「リア充どもめ……」
冬の大祝祭といえば、地球史ではちょうどクリスマスの時期。ディーネには余分な知識があるせいか、楽しそうなカップル(※だいたい不倫)を見ると、心が荒む。
誰もが楽しそうに逢瀬を楽しんでいる。でもジークラインは帰ってこない。
戦争には勝った。でもジークラインは帰ってこない。
結婚式の準備もあらかた整っている。でもジークラインは帰ってこない。
やってられるかとディーネは思っていた。
――戻ってきたら、絶対文句を言ってやるんだからね!
不満を持て余しながらポケットから小さな刺繍セットを取り出す。
握り拳ぐらいの大きさのワンポイントモチーフだから、宴会の待ち時間に仕上げてしまおうと思って持ってきたのだ。出来次第アップリケにして、本命のテーブルクロスに張り付ける予定である。
怨念をこめてちくちく針を動かしていたら、後ろに人が立った気配がした。
「お嬢様」
そっと呼んだのが誰だか、振り返らなくても分かる。執事のセバスチャンだ。
「どうかした?」
刺繍の手を止めずにいい加減な返事をすると、彼はディーネの横に膝をついて座った。こっそりと耳打ちする。
「……あの、なるべく顔色を変えずに聞いていただきたいのですが。実は、たった今皇太子殿下がいらっしゃいまして」
ディーネはあやうく針を指に刺すところだった。
「裏の庭でお待ちでございます……私もお供いたしますから、慌てず騒がず、ゆっくりついてきてください」
――なんでそんな怪しいところに?
今日は皇宮の大祝祭。来ているのなら、広間に堂々と登場すれば会場は大いに盛り上がっただろう。
声をかけてきたのが別の誰かだったら何かの罠だと思うところだが、相手はセバスチャンだ。
ディーネが小さくうなずいて立ち上がると、彼は厨房の裏手に向かって歩き始めた。
真冬のワルキューレは気温が氷点下まで下がる。
吐き出す息が真っ白になり、なるほどこれならほとんど人目につくこともないだろうと納得した。今日は泥棒だってご馳走の残飯に預かれる冬の大祝祭。楽しい催し物やおいしい食べ物がたくさんある広間から外れて、わざわざこんなところに来る人もいないだろう。
背の高い男が、影絵のような針葉樹林を背景にして、立っていた。
シルエットしか見えなくたってディーネには誰だか分かる。足踏みの癖も、あたりに気を配るときの視線の動かし方も、並んで立ったときにどのくらい見上げればいいのかまで、ディーネはよく知っていた。
だから顔を見るまでもなく、ディーネはいきなり飛びついた。
はたして彼は危なげなくディーネを捕まえて、お姫様のように横抱きにしてくれた。
「おーおー。活きのいいのが捕れたなぁおい。元気そうじゃねえか」
「ジーク様……」
「おいおい、まだ泣くには早いぞ」
「これは悔し涙ですわ! よくもわたくしをほったらかしにしてくださいましたわね!」
気温が氷点下の状態で泣くと、涙がとても温かく感じる。
ディーネはまたひとつどうでもいいことを知ってしまった。
 




