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戦争には勝ったけど(下)


 それからもっと憤慨したのは、結婚式の宣誓だ。


 ワルキューレの結婚式も地球のものとさほど変わらない。司祭の前で結婚する男女がそろって誓いの言葉を述べるようになっている。


 そのときの手順になんと、誓いのキスが入っていなかったのである。


「セバスチャンだって国王から騎士の称号をもらったときにキスしていたではありませんの。どうしてわたくしがしてはいけませんの?」


 思わず母親に抗議すると、困ったような微笑みが返ってきた。


「さあ、どうしてかしら……でも、結婚式のときにキスをするのは聞いたことがないわねえ。福音書や祭壇にキスをするのはあるけれど」

「えぇ~~~………」


 結婚式といえばドレスを着て神前のキスだというくらい、定番の儀式ではないか。


 これがやりたくてウェディングドレスとおそろいの長いヴェールをつけたくらいなのに、どうしていけないのか。ディーネは納得できなかったので、教会のお偉方に直接文句を言うことにした。


「誓いのキスくらいいいではありませんか! どうしてダメなんですの!?」

「フロイライン、決まりですから……」

「なんのためにバームベルクがたくさん献金したとお思いですの!? 教皇さまの権限でちょいちょいとオーケーを出す許可状でも書いてくださったらよろしいではございませんか!」


 ディーネの剣幕に押され気味の司祭たちを見かねてか、それまで黙って聞いていたエストーリオが、すっとディーネに近寄ってきた。


「フロイライン。神は結婚を男女にお許しにはなりましたが、それは必要悪なのです」

「必要悪……?」

「結婚は認めましょう。しかし、結婚がもたらす悪は、神もお認めにならないのです」

「結婚がもたらす悪……?」

「キスはいけません。それは快楽を得る行為ですから」


 潔癖症かと思うようなことを断言するエストーリオが、性欲などみじんもありませんというような、神々しい美貌でにっこりしたので、ディーネは思わず怯んでしまった。


 他の人間が言うのであれば『バカバカしい』と一笑に付すこともできたかもしれない。しかし中性的な美人から発される言葉には神秘的な響きがあり、とてつもない説得力があった。


「え……で、でも、誓いのキスってそんな……快楽だなんて……わたくし、そんなつもりでは……」

「本来であれば、生殖に必要な最低限の行為を除いて、みだらな行為は一切行うべきではないのです。お分かりですか、フロイライン?」

「え……そんな……」

「まして神前で神聖なる誓いをしようというときに、そんな俗っぽいこと、認められるわけがないでしょう。結婚式を何だと心得ているのです。神前、神の御前みまえなのですよ。聖なる誓いを悪徳で汚してどうするのです」


 ディーネはどちらかというとこういう話が苦手である。セクハラではないのかとも思ったが、エストーリオが男も女も超越したような美人なので、なんともやりにくい。


 ディーネはエストーリオにこんこんと『結婚がもたらす悪』、つまりえっちなことに対するお説教を吹き込まれて、ろくに反論もできず、もごもごと口ごもりながら引き下がることになった。


 ――そんなのってある……?


 結婚式に大はしゃぎだったディーネも、これにはテンション下がりまくりである。


 ――こんなとき、ジーク様がいらっしゃったら、なんておっしゃったかしら……


 彼ならきっと教会が相手であろうとも、一切怯まずに『やれっつったらやれ』ぐらいは言ってくれただろう。

 たとえダメだったとしても、残念がるディーネの話を聞いて、『バカだな』って笑ってくれたはずだ。


「うっ、ううっ……」


 ――さみしい。


 ひとりきりで準備する結婚式とはなんと寂しいのだろう。ディーネは早くジークラインに会いたくてたまらなかった。刺繍だって嫌いではないが、ずっと続けていると気が滅入ってくる。


「今日はもういらっしゃらないのかしら……」


 夜を徹して待つこともやぶさかではないが、明日、明後日も結婚式の準備は続く。その合間に、ディーネは自分の仕事もしなければならない。


 もう寝ようかと思ったそのとき、部屋のドアがノックされた。


「ジーク様っ……!」


 勢い込んでドアを開け放ったディーネが見たものは、戸惑ったように立ち尽くすパパ公爵だった。


「お父様……!?」

「やあ、かわいいわが娘よ。今日は一段と愛らしいね」

「ご機嫌取りは結構ですから、ジーク様はどちらにいらっしゃるんですの!?」

「あー……それがだな……」


 パパ公爵は言いにくそうにしている。


 ディーネはさっと青くなった。


「もしかしてジーク様の身に何か……?」

「いや、ご無事ではあるのだが……どうもしばらくは帰ってこれなさそうでな」

「ど、どうしてですの!? もう願掛けの内容は成就したではございませんか!」


 パパ公爵は身をかがめて、ディーネの顏を覗き込んだ。


「いいかい、かわいいわが娘よ。チェルリクがもっとも恐ろしいのは少数でのゲリラ戦だ。彼ら騎竜民族が強いのは、定住民の居住地を念入りに調べ上げてからの強襲が見事だからだと、もっぱら言われている。彼らは魔物を狩るようにして人里を襲う」


 突然の講釈にきょとんとするディーネに、パパ公爵は辛抱強い教師のような口調で続ける。


「高度に訓練され、組織だった竜騎手の強襲に、耐えられた国家は今までひとつもなかった。だからどの国も、領地を魔物同然に荒らし回るチェルリクを疎ましく思いながらも手を出せずにいた」


 そのあたりのことはディーネも知っている。

 パパ公爵はいったい何が言いたいのだろう?


「いいかい、わが娘よ。首都を落としただけでは、チェルリクとの戦争は終わらない。彼らはひとりひとりが瞠目すべき技量の竜騎手なのだ。ほんの二、三人が報復攻撃に奔走しただけでも大変な脅威なのだよ。もっとも狙われやすい殿下が、そなたとの接触を避けるのは賢明な判断ともいえる」


 なんのこっちゃと思ったので、ディーネは口をとがらせた。


「殿下は殺しても死なない方ではございませんか。チェルリクの竜騎手に狙われたくらいで、殿下が恐れるはずもございませんわ」

「だからこそだよ。彼らがジークライン殿下には力で敵わないと悟ったとき、矛先を変えて狙うのは誰だい? 殿下が大切にしているそなたのほうだ」

「あ……」


 今このタイミングでジークラインがディーネのもとにかけつければ、報復の機会をうかがっている人たちの格好の的となってしまう。


「いとしいわが娘よ。しばらくは忍従のときだ。いい子にしていれば、きっと殿下からご褒美があることだろう。しばらくはセバスチャンによくよく身辺を警護してもらって、自宅でおとなしくしているのだよ。分かったね?」

「……はい」

「くれぐれも、会いにきてくれないなら自分から行けばいい、などと考えてはいけないよ」

「承知しておりますわ」

「会いにきてくれないなんて殿下はきっともう好きじゃなくなったのだわ! などとヤケになってもいけないよ」

「ええ……」

「手紙ぐらいなら大丈夫よね! などと安易に判断して使者を出してもいけないよ」

「……」


 さすがはディーネの親というべきか。領地の経営はからっきしでも、ディーネの性格は熟知しているのだなと、変なところで親子のきずなを実感してしまった。


「何かお前から殿下に伝えたいことがあるのなら、私が聞こう。どうだい、戦争中に何か問題はなかったかい?」

「えっと……」


 ジークラインに聞いてほしいことなら数えきれないくらいある。

 しかし、今もゲリラ戦の対応に追われている彼の耳にあえて入れるほどのことなのだろうかと思えてしまって、ディーネは口ごもった。


「……何もありませんわ。お式の準備も滞りなく進んでおりますもの。どうかご無事で、一日も早くお戻りくださるようにお伝えくださいまし」

「いい子だ」


 パパ公爵はディーネの頬に慌ただしくキスをした。


「私はそなたのお母さまに挨拶をして、すぐに戻らねばならない。わが娘よ、殿下もそなたと会える日を心待ちにしている。殿下を信じて、くれぐれもいい子にしているんだよ。いいね?」


 なおもくどいくらいの注意を残して、パパ公爵はザビーネの部屋へ行ってしまった。


「そんなぁ……」


 がっくりと肩を落とす。

 話が違うではないかとディーネは言いたかった。


 ――首都が陥落したら身辺が慌ただしくなる。

 ――危ないからディーネを手元から離したくない。


 そう言っていたのはジークラインなのだ。


 直接文句を言ってやりたかったが、パパ公爵からあれだけ釘を刺されてしまっては何もできない。


 ――ディーネはふたたび、結婚式の準備で寂しさを紛らわせることになった。




誓いのキスは禁止

現代でもカトリックの戒律が厳しい教会などでは神前のキス禁止であることが多いようです。

(プロテスタント系はOK)

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