ブライダルプランのご相談は公爵令嬢まで
皇帝の宣戦布告は書状にてチェルリクにも届けられ、かくしてワルキューレとチェルリクは正当な手続きを経て、交戦状態に入った。
緒戦はワルキューレの辺境の奪還作戦であるらしく、どこそこの領地を取り戻したという報告が連日のように入ってくる。
ディーネは冬支度のすんだ自宅で、母親との打ち合わせを行っていた。
「あなたの婚礼なのだけれど、どうしましょうかしら」
ワルキューレの婚礼は基本的に『婚約式』と『結婚式』の二本立てになっている。
まず『婚約式』で両家の家長が婚資の取り決めをし、次の『結婚式』で花嫁が婚資ともども婿の家へ移動するが、例外もままある。婚約式と同時に、花嫁と持参金が人質同然に婿のところに移動することもあれば、婚約式と結婚式を同じ日に行うこともある。婚約式を飛ばして、いきなり結婚式をすることが多いのは庶民だ。教会はいい顔をしないが、取り締まりきれていない。
ディーネの場合は幼少期に婚約式まで済ませてあるので、あとは結婚披露宴を行えば終了だ。
「実はね、婚礼の披露宴はバームベルクが受け持つことになっているの。そこでこの母の出番というわけなのだけれど……」
宴会の采配は執事の仕事だが、婚礼衣装や客の手配、会場選びなども含めた総合的なプロデュースはだいたいその家の女主人が担当することが多い。
「今回はチェルリクから勝利凱旋した皇太子殿下との結婚式でしょう? そうするとどうなると思う?」
先日の開戦宣言によると、チェルリクの皇帝位は首都ユルドスを陥落させ次第、ジークラインが名乗ることになるらしい。
「……結婚式が、戴冠式と一緒になる可能性がある?」
「そうよ。さすがはディーネちゃんね。話が早くて助かるわ」
チェルリク現皇帝の生死を問わずに戴冠式を強行するそうなので、現皇帝がその時点で生きていた場合、皇帝がふたり同時に存在することになる。ジークラインはさしずめ僭称皇帝といったところだろうか。
僭称位が正式なものとなるかどうかは、皇帝をきちんと討ち取れるかや、実効支配がどのように進むかなどにかかっている。もちろんディーネもワルキューレ=ユルドス宮廷が正式なチェルリク帝国宮廷と世界から認められるように努力しなければならない。
母親は十八の小娘にしか見えないつるんとした顏で、困ったように首を傾げた。
「結婚式だけならお料理やお衣裳も好きにしてよかったのだけれど、戴冠式も、となると少し事情が変わってくるわ」
「どうなるんですの?」
戴冠式ならディーネも一度だけ参加したことがある。大きな宴会で、子どもにはとても退屈だった。
「おそらく皇帝陛下は、ひと目で国力の差が分かるような、盛大な披露宴をご所望になるはずだわ。豪華な衣装やお料理でチェルリクを圧倒するのが統治の第一歩というわけね」
なるほど、とディーネは思った。これも外交のひとつということなのだろう。
「……大変そうですわね」
「そうよ。大変なのはディーネちゃん、あなたよ」
「私……?」
「だってお母さま、チェルリクのしきたりなんてまるで知らないもの。多分、皇宮にもチェルリクの事情に明るい女性なんてひとりもいないのではないかしら?」
「はあ……」
「ディーネちゃん、あなたががんばってチェルリクのしきたりを学ばないといけないのよ」
そんなことだろうなと思っていたので、ディーネはあまり驚かなかった。
「その点については、おそらく平気ですわ。チェルリクがまったく異なる風習の国であることはよくよくうかがっておりますし」
異文化の知識なら、おそらくディーネは皇宮の誰にも負けていないだろう。今更どんな奇習・悪習が来たって驚かない。
理不尽だと思ったのなら、変えていけばいいのだ。ディーネにはそうするだけの資産も人脈も、大きな実家の後ろ盾もある。今ならおそらく、ジークラインの協力だって見込めるだろう。それだけで、もう何も怖いことなどないと思ってしまう。
「そうね。心配いらなかったかしら。ディーネちゃんなら、きっと大丈夫ね」
公爵夫人はくすくすと笑って、懐かしむようなまなざしでディーネを見た。
「ああ、なんだかわたくしが公爵さまと結婚したときのことを思い出すわ。わたくしの生家は古いけれどもそれほど裕福ではないところで……せめてドレスだけでも公爵さまのおうちに見劣りしないようにと、一生懸命針を刺したものよ。この間皇宮に来ていたチェルリクの皇女さまのお洋服もとても綺麗だったわね……」
「チェルリクは刺繍で有名ですものね」
「ディーネちゃんはあの子たちと張り合って、それに負けないお衣裳を作らないといけないのよ。わたくしの結婚のときとおんなじね。なつかしいわ……」
言われてみればそうだ。
チェルリクは刺繍大国なのだから、当然のようにチェルリクの皇族たちも豪華な一張羅を着てくるだろう。そのときに、新皇帝や新皇妃の晴れの衣装が位負けしているようでは格好がつかない。物笑いの種にされてしまうだろう。新しい皇帝は、どうやら貧乏のようだ――と。
そしておそらく、問題になるのは刺繍だけではないだろう。
チェルリクの民は移動を基本とする竜騎手系の遊牧民。財産はすべて貴金属のアクセサリに変えて、肌身離さず身に着けている。全身に全財産の金銀宝石を身に着けているような人たちと競っても負けない衣装となると、相当な出費を覚悟しないとならないだろう。
「ディーネちゃんのお衣裳もね、だいたいできてはいるのだけれど、もっと刺繍を増やしたほうがいいと、お母さまは思うの。全面に入れるぐらいでないと釣り合いが取れないのではないかしら?」
「なるほど……」
「もう戦争は始まってしまったから、急がないとね」
「困りましたわね」
「そうと決まったら、さっそく取りかからないと。うんと腕のいい御針子さんを呼ぶから、どんな刺繍を付け足すか、希望があるなら今のうちに考えておいてちょうだいね。侍女にも意見を聞いてみて」
ディーネはそこで、ふとあることを思い出した。
――そういえば、うち、養殖真珠が有り余っていたわね。
領地経営の一環で作ったものだが、世間にはまだまだ浸透していない。平原ばかりで海産物に乏しいチェルリクにもっていけば、さぞ珍しがられることだろう。
さらにディーネには、もうひとつ極秘で開発している素材があった。
「あの、お母さま、ドレスについて、ちょっとしたご相談があるのですけれど……」
ディーネは思いつくまま、新しいアイデアを説明していった。
提案は、母親にとても好評だった。
「すごいわ、ディーネちゃん! そんなお衣裳があったら、きっと何年も語り継がれるはずよ! 歴代の皇妃さまの中でも最高クラスの婚礼衣装になるんじゃないかしら?」
公爵夫人はいとおしそうに目を細めてディーネを見上げた。十四、五のころから、ディーネは彼女の背を追い越しているのだ。
「頼もしいわ。あなたに任せておけば皇宮は安泰ね」
「大げさですわ、お母さま」
「あら、ベラドナちゃんだって、ディーネちゃんならどこに出しても恥ずかしくないって喜んでいたわ」
「そんな……」
ディーネが照れていると、母親はからかうようにくすりと笑った。
「皇帝陛下は今回の披露宴にとても関心をお持ちよ。あなたが素敵な演出をしたら、陛下からも一目置かれるのではなくて? もちろん、皇太子殿下にも」
ここでいい仕事ができれば、ディーネはジークラインの役に立つことができるというわけか。
彼の手伝いができるのだと思うと、にわかにドキドキしてきた。
「……わたくしなんかで、ジーク様のお役に立てるかしら……」
「なにを言っているの。あなたの仕事がどんなものかは、あなた自身が分かっているでしょう?」
ディーネはもうすでに皇宮の厨房にも出入りしていて、料理人たちともそれなりに仲がいい。おそらくは料理のほうも、冒険的なメニューに挑戦したって、きっと成功させられる。
成功させられるという自信が、自分に具わっている。
それはとても不思議な感覚だった。ずっとディーネには持てずにいたものだった。
落ち着いた気持ちで披露宴やドレスの具体的なプランを考えられる自分の存在に気づいて、ディーネはやっと、自分がなりたかったものになれたような気がした。
ジークラインの陰に隠れているだけではない、自分で何かができる、そういう人物に。




