剣の誓い
――つまりこれって、開戦の宣言……?
皇帝の演説は美辞麗句で飾られているが、すべて取っ払ってしまえば、要するに『これからチェルリクと戦争を始めますよ』という宣言に他ならない。
去年のドラゴンの襲撃事件の首謀者は別にいて、とっくに裁きを受けているが、ここで犯人をチェルリクとすることにより、開戦理由を捏造することにしたのだろう。
真相を知るディーネとしては捏造には抵抗があるが、突然のことなのでこれといって打てる手もない。
「こたびの戦は神の正義をあまねく世界に広めるためのもの。われらに神の加護があるよう、わしも襟を正す必要がある。そこでわしはこのドラゴン殺しの英雄が掲げた正義の剣に誓おう」
皇帝は、砂糖菓子でできたジークラインの剣を杖で指し示した。
「ワルキューレの率いる正義の騎士たちが、あやつらの悪しき皇帝が建てた宮廷を壊滅せしめ、奴隷として使われているメイシュア教信者の同胞を一人残らず解放するその日まで、わしは一切の誘惑を断ち切り、貞淑に過ごすことを誓う!」
どよめきが起きる。
――あの色狂いの皇帝が、貞淑の誓いを立てるなんて。
こんなことは今までになかったので、誰もが驚いている。かくいうディーネも驚いた。
見れば、皇妃も目を丸くしている。心なしかうれしそうなのは気のせいだろうか。
「そしてかの地の異教徒を駆逐した暁には、アディールの郊外にて落成したばかりの聖イシュトメア大聖堂を首都ユルドスに移築し、神と真実の布教に貢献しよう」
聖イシュトメア大聖堂。確か建築に十年あまりを費やしたという巨大な聖堂だ。
ずいぶんお金のかかることをするなとディーネが思っていると、皇帝はジークラインのところへ歩いてきた。
「息子よ。そなたにはチュルリク討伐の任を与えよう。わしの与える十万の精強なる軍を連れて、かの地を平定するがよい」
将軍はジークライン。妥当な人選なので、誰もが温かい拍手で歓迎した。
「拝命いたします。私もこの足でかのユルドスの地を踏むまで、一切の迷いを断つべく、愛する女性と顔を合わせずに過ごすことを、剣にかけて誓いましょう」
――えっ、嘘……
そんな話は聞いていない。動揺しきりのディーネを置いてけぼりにして、会場は大いに盛り上がった。
「愛する女性って公爵家のご令嬢のこと?」
「仲良しってうわさ、本当だったのねえ」
「やだー、素敵……」
ひそひそとかわされるうわさは微妙にくすぐったかったが、そんなことはどうでもいい。顔を合わせずに過ごすとは? 繰り返しになるが、ディーネはそんな話、一切聞いていない。
皇帝はさらに言い募る。
「そして、わが息子ジークライン・レオンハルトよ。そなたはチェルリクの地を統べるメイシュア教徒の王となれ」
――王様……?
それってもしかして、とディーネが考えているうちに、皇帝はディーネの前に立った。
「バームベルクの公姫、ウィンディーネ嬢よ。そなたはわが不肖の息子とともに、かの地の女主人となれ。わしはそなたが全メイシュア教婦人の模範となって、かの蛮族どもの尊崇を集めるであろうと確信している」
――お、女主人?
何事かと焦るディーネの肘を、ジークラインがそれとなくつついた。
どうやら、何かしゃべらないといけないらしい。
――で、でも、この流れって、つまり誓いを立てろってことよね?
戦争が終わるまでの願掛けとして、制約を自身に課すことで神の加護を得るという趣向なのだろう。
急展開すぎてついていけないが、みんながディーネの発言を待っている。
「わ……わたくしも、殿下がかの地に正義と光をもたらすその日まで、……その日まで……殿下の御前に決して姿を現さず、慎み深くあることを、剣にかけて誓います」
しどろもどろに、心にもない誓いを述べ立てると、会場は歓声に包まれた。
「おお、なんと清らかな誓いなのだ。若いふたりのためにも、一刻も早く悪しき皇帝を打倒せねばなるまい。さあ、この勇気ある美しい公姫のために、盃を捧げようではないか!」
皇帝が適当に話をまとめ、誓いは隣の席の有力騎士のところへと回された。
彼が肉食断ちを誓い、その次の騎士が尊敬する貴婦人に告白をしたところで、ディーネはようやく悟った。
「……ジーク様、わたくしをたばかりましたわね……?」
ぼそりと声をかけると、彼は少しむせた。
「何をたばかったってんだよ。人聞きが悪い」
「だって、聞いてませんわ! 勝つまで面会禁止だなんて!」
「俺は愛する女性と顔を合わせないとは言ったが、お前のことだなんて一言も言ってねえぞ」
ジークラインに切り返されて、ディーネはさっと背筋が冷たくなった。
「……冗談だ。真っ先に自分のことだと思うようにはなったのか。いい心がけだな、ディーネ?」
指摘されて、ディーネは顏がカッと熱くなった。確かに、今までであれば自分のことだなんて露ほども思わず、『私の知らないところで女を作ってくるなんて!』と憤慨していたところだ。
いつの間にか、彼に愛されているのは自分だと思えるようになっている。
きっとそれは少しずつ形作られた実感で、それだけたくさんのものを彼から受け取ってきたのだろう。
「どうせ戦争中はお前に会いに来る暇なんざねえよ。お前もそれは分かってるだろ?」
「そ、それはそうですけども! そうなのですけれどもー!」
だからといって、不意打ちはあんまりではないかとディーネは思った。
「なるべく短期決戦で行く。侵略自体は四十日とかからないだろう。お前はせいぜいドレスでも縫っておくんだな」
どこか小馬鹿にしたような言い回しは、おそらく彼にもまだ照れがあるからなのだろう。
終わったら結婚式がある。
結婚をしたら、そのあとは――
あれこれ想像しそうになったディーネの思考を現実に引き戻したのは、皇帝のあげた大声だった。
「近々、教皇を呼んで大聖別の儀を行う。よいな?」
それでその日の宴会の余興は終わりだった。
「きっとご無事でお戻りくださいましね」
「は。誰に向かってものを言っている?」
いつもの軽口が聞けて、ディーネはなんだかホッとした。彼が負けることなんてきっとないだろう。
それでも待っている人間には、祈ることしかできないのだ。
ディーネは、一日も早く戦争が終わってほしいと願うばかりだった。




