聖戦のとき、来たれり
チェルリク皇帝が自分の娘をジークラインのところに側室として送り込んだ理由。
それが、ようやくディーネにも分かった。
おそらくチェルリクの皇帝は、ミルザの身ごもった子どもを盾に、帝国から何割かの領土を分捕る気でいたのだろう。もしかしたら、その子を使って、実効支配中のワルキューレ辺境の正当な権利を得ようとしたのかもしれない。
「皇帝はおそらく戦争の口実がほしいのでしょうけれども、庶子の継承権を盾にして行動を起こすのはあまり得策とは言えませんわ。というのも、この問題はワルキューレ一国のみでは終わりませんのよ。メイシュア教の教えですから、無理を通そうとすれば、全メイシュア教国家を敵に回すことになりますわ。一致団結して聖戦を発動されたら、困るのは大皇帝のほうではなくて?」
ミルザはだんだん話が呑み込めてきたのか、しばらく考えてからディーネに言った。
「……どうして一致団結して抵抗してくるの?」
「ええと……そうですわね。いかに申し上げたらよろしいのかしら……そもそもメイシュア教は自分たちのところの信仰以外を認めていないのですわ。崇めていい神様はひとりだけだと思っているのでございます」
ミルザはぽかんとしている。
「……神様なんていっぱいいるでしょ?」
「それが多神教国家というものですわ」
ディーネにも日本人の記憶があるので、ミルザが何に戸惑っているのかは手に取るように分かる。
もしもこの記憶がなければ、ディーネだって、メイシュア教についてうまく突き放して説明することはできなかったかもしれない。ディーネにとっての神様は、何者にも代えがたい万物の創造主で、一柱のみであることが当たり前の、物理法則のようなものだからだ。
お互いに、一方の立場しか知らなければコミュニケーションを取ることは難しい。
知っていること、それそのものが大きな力であり、アドバンテージなのだ。
「とにかく、メイシュア教徒というものは、異教徒に国を征服されて、よその神様を崇めさせられたら、地獄に落ちてしまうと思っているのでございます。地獄と言うのは……」
「それは分かりますよ。私もメイシュア教徒だから」
「あら、でしたら話は早いですわね。強国のワルキューレが陥落して、周辺の弱小国も明日は我が身となれば、一致団結して同胞の魂を救うための戦いを始めるのではないか、ということでございます。つまり――」
ここが話のキモなので、ディーネは力強く拳を握った。
「――ミルザ様がジーク様の妾になっても、チェルリク皇帝が安全に土地を奪える確率は皆無! ということですのよ。教皇さまの一族とも懇意にしているバームベルクを敵に回すのはおやめになったほうがよろしいわ」
ミルザは今度こそディーネの話を理解したらしく、じょじょに顔色が明るくなっていった。
「……じゃあ、私、妾にならなくてもいい……?」
「意味がないと分かれば、大皇帝も撤回するかもしれませんわ」
「私、お母さんのユルダに帰れる? 兄さまたちに、また会える?」
「きっとね」
「もしも私が妾にならなくて済むとしたら……あなた、私と友達になってくれる?」
「なるなる。ものすごくなるわ」
安請け合いするディーネに、ミルザは喜色満面で飛び上がった。
「ほんとう!? あなた、私のところに遊びにきてくれる? 私もまたここに遊びにきてもいい?」
「もちろんよ。いつでもいらっしゃってくださいましね」
彼女が大喜びでディーネの手を握ったとき、少し涙ぐんでさえいた。
「ありがとう! あなた、とってもいい人ね! 理想の正夫人よ!」
「正夫人はやだって言ってるじゃん……」
うんざりするあまりに言葉が極度に崩れたディーネに構わず、ミルザはその場でくるりと一回転した。人懐っこくて愛嬌のあるミルザらしい仕草だった。
「私、きっとうまく大皇帝に説明してみせる!」
そうしてミルザは朝一番に愛竜を飛ばして、チェルリクに帰っていったのだった。
たくさんの情報をディーネに残して。
***
ワルキューレ皇帝は公爵令嬢から届けられた新作の手紙を熱心に読んでいた。
手紙の枚数は増える一方であり、ちょっとした祈祷書並みの分量になってきた。
おしまいまで読んでから長考し、ふたたびつぶやく。
「……勝てるな。公姫の話が本当なら、火力、機動力ではうちが上だ」
皇帝のつぶやきは小さく、ジークラインでも聞き取れるかどうかという大きさだった。それだけ余人の耳に入れるわけにはいかないことだったのだ。
「まさかやつらが魔術師をほとんど擁しておらぬとは思わなんだ。転移魔法による神速の機動力と即時奇襲、即時離脱こそがやつらの真骨頂であろうと思っておったが」
「それだけ騎竜の維持費は馬鹿にならないということなのでしょう。魔法石を騎竜の生命維持に最優先で回している関係上、魔力を馬鹿食いする転移魔法は連発できない、というのは盲点でした。騎竜の戦闘力は脅威ですが、彼らが原則として転移魔法を使用せず、騎竜の機動力に頼って襲撃を行っているとすれば、かなりルートが絞れます。彼らは事前の下見をかなり念入りにやるようですから、斥候などの動きを捉えられれば逆手に取ることも可能です。私にお任せいただければ、必ずすべての奇襲を防いでみせます」
「うん。頼りにしてるよ。お前さんならやれるはずだ」
「それと、新天地の動向ですが、どうも内部分裂を起こしたようです。そちらに居住する皇族チェルリク人たちの一派が助勢に来る可能性は、限りなく低いでしょう」
「裏取れる?」
「現在そちらにも潜入させております」
「そう。なるべく早くね」
皇帝はそっけなく言い、公爵家の娘の手紙に目を落とした。
***
そして冬のある日、皇宮で新たに年中行事が催された際に、ディーネにも召集命令が下った。
ジークラインと並んでお行儀よくテーブルにつきつつ、つい隣の彼にぼやく。
「……わたくし、暇ではないのですけれど」
ディーネは自分の手がけている商売を回し、パパ公爵の領地経営のお手伝いをして、お菓子を作り、ジークラインと遊びながら、その上さらに家来たちの面倒も見ているのである。
皇宮でパーティなどしている暇があったら、カフェの新メニューの開発でもしていたいというのが本音だった。
「まあ、そう言うな。今日は重要なパーティだからな」
ジークラインはそう言うが、何があるのかと問いただしても答えをはぐらかすのだ。『お前に話すと段取りをメチャクチャにされることがあるからな』と言われてしまっては、前科アリのディーネとしては何も言い返せない。
皇帝はドラゴン退治をする若者――おそらくはジークラインに見立てた砂糖人形のオブジェを背にして立ち、食事中のみんなの耳目を集めた。
「今日はよく集まってくれた。皆の者に伝えたいことがある」
皇帝は退治されるドラゴンの砂糖菓子のそばに近寄り、帝都アディールとおぼしき背景の建造物に杖の先を向けた。
「去年、帝都に飛来したドラゴンのことは誰もが記憶に新しいであろう。恐ろしきあの怪物どもも、無論、われらがドラゴン殺しの英雄の前には無力だったわけだが――」
皇帝は怒りを込めて、杖で床をついた。
「なんと、あの事件が、いまわしき異教徒ども、チェルリク人たちの陰謀であることが判明した」
――うそ。
そんな事実はなかったはずだが、皇帝はとうとうとまくしたてる。
「やつらはハルジアがまだ王国であったころから、わがワルキューレの辺境でも略奪を繰り返しておる。やつらの皇帝は『すべての竜の手綱』を自称し、凶暴なドラゴンどもを自在に操って死と恐怖をまき散らすこと限りなく、きゃつらめを倒さぬことには帝国に真の平和は訪れぬであろう」
皇帝は大きく杖を掲げた。神に祈るように、天を仰ぐ。
「全ワルキューレの正義に燃える騎士たちよ。聖戦のときが来た。いまや勝利の機運はわれら帝国にある」




