皇太子と妾と正夫人
「お願い、私のことも考えてみて!」
熱心にミルザから言われてしまい、ディーネは最後にはダメだと言う気力を失くしてしまった。
なんとか皇宮に送り返したが、彼女のことが気がかりで、ディーネはその日、なかなか寝付けなかった。
――妾も愛人も第二夫人も絶対嫌に決まってるじゃない!
美人のミルザがジークラインといちゃついてるところなど見せつけられたら、ディーネは三日くらいで人の心を失う自信がある。
しかしミルザはディーネが正夫人ならいい、という。
――それはいくらなんでも卑屈すぎない?
ディーネの心が狭すぎるとは思わない。だって、ここではない別のどこかの世界には、一夫多妻の伝統を持っていても、現代になってから改めた国もあると知っているからだ。
チェルリクの側室たちはこの制度をどう思っているのだろう。お互いに仲良くやれるものなのだろうか。
そんなことをベッドでもんもんと考えていたら、いつの間にか眠ってしまった。
***
ディーネは頬をはたかれる感触で目を覚ました。
聞きなれた男性の声で『起きたか?』と問われ、一気に飛び起きる。
「じっ……!」
大声を出そうとしたディーネの口を、ジークラインがすばやく塞いだ。
「騒ぐな。緊急事態だ。悪いがこいつをどうにかしてくれ」
彼が目線で指し示した先には、なぜかパジャマ姿のミルザがいた。
「勝手に俺の部屋に忍び込んできた。お前の友達だろ? なんとかしてくれ」
ディーネは目をしばたたかせた。寝起きでぼんやりしているせいか、ジークラインの言うことがよく分からない。
「それで、どうしてわたくしのところに……?」
「今言っただろ? お前の友達なんだから、なんとか説得してくれ。それともお前、俺がお前を差し置いてお前の友達と深夜にサシで話し合いをしても構わねえってのか」
ディーネはミルザを見た。スタイルのいい彼女が深夜にジークラインとふたりきりというのを想像してしまい、胃がひっくり返るような苦痛に見舞われる。
「い、いやああああ!」
「いつもなら不法侵入者は即処分する。けど、お前だって友達が処分されたら気分悪いだろ?」
「そ、それは、そこまでなさることはないと思いますけれど……」
それにミルザはチェルリク皇女。勝手に処分などしようものなら国際問題になる。
「ほら見ろ。連れてくるしかねえだろうが」
ジークラインのどや顔を見ているうちに、ディーネはだんだん寝起きの状態から頭がはっきりしてきた。
「で、でも、こんな、深夜に……」
「お前だっていっつも深夜だろうが所かまわず呼びつけやがるだろうが。たまには手を貸せ」
「う、ううううう!」
いちいち正論で攻めてくるところにムカつきつつ、ディーネはひとまず枕元に置いてあった護身用の乗馬鞭を手にした。
「ミルザさま~~~~? ジーク様に手を出すのだけはダメだって、わたくしさんっざん折に触れて申し上げたはずなんですけどおぉぉぉ~~~~?」
パジャマ姿では少々格好がつかないかとも思ったが、乗馬鞭をぺチぺチもてあそぶと、ミルザは泣き真似をしながら後ずさった。
「しょうがないでしょ!? 私だって命がかかってる! あなたも私のことを助けると思って! 協力してくれてもいいじゃない!」
「絶ぇぇーっ対っに!! 嫌ですわ!!」
「ケチ! ケチーッ!」
「居直り強盗ですの!? ふざけないでよね!!」
ジークラインは高みの見物を決め込むつもりなのか、少し離れた壁にもたれかかっている。
「ねえ、聞いて! あなたが私に怒るの当たり前! でも、私、大皇帝から妾になれって命令されてここに来てる! 果たせなければ殺されちゃうの! お願い、私を助けて!」
ミルザが急に声色を変え、泣き落としに入った。
なんて卑怯なのだろうとディーネは再び頭に来たが、子どもみたいに言い合っていても話は進展しない。
ひとまずミルザの話を聞いてみることにした。
「……ていうか、どうして大皇帝はあなたをジーク様の妾に推してらっしゃるんですの?」
「そんなの私が聞きたいよ! どうにかして子どもを作ってこいって、それしか言われてないもの!」
「……えぇ……大雑把……」
ディーネもミルザとは浅い付き合いしかないが、それでも彼女が諜報や破壊工作に向いていないことは分かる。皇帝は何を考えてこんなに能天気な娘を差し向けてきたのか。どう考えても人選ミスである。
「ワルキューレの皇帝は愛人をたくさん囲ってるってうわさだったから、皇太子も簡単に落ちるとカザーンに思われてたんじゃないですか? 私はあなたのせいで不幸になりそうですけど!」
なぜかディーネを責めるミルザ。このように、ディーネが何を言ってもミルザ本人はいたってケロッとしており、どこか憎めないかわいらしさがある。チェルリクの大皇帝も、この人懐っこい性格ならばすぐに寵愛を得るだろうと考えたのかもしれない。
「知らないわよ。だいたい命令されて作るもんじゃないでしょ、子どもって。あなたはそれでいいの?」
「大皇帝の命令は絶対よ。断れば斬首だもの。死ぬよりはマシよ」
「じゃあ皇帝陛下でもいいでしょ。あっちなら大喜びで愛人にしてくれるわよ」
「私はあなたと同じ旦那様がいいもの!」
ディーネは頭痛がしてきた。
文化が違うとはいえ、ミルザの思考回路はまったく分からない。おそらく、ディーネが分からないと思っているのと同じように、ミルザもディーネの思考回路が分からないと思っているのだろう。
「……どうしようかしら……」
このままだと埒があかない。
どうやって話をすり合わせようかと考えるうちに、そもそも皇帝はなぜそんなに子どもを欲しがっているのだろうと、根本的なことが気になった。
「……皇帝は子どもを何に使いたいのかしら? 黒魔術の材料にでもするとか?」
赤ん坊を使った呪術は強力らしいと聞いたことがある。ディーネ自身で試したことはないが。
横で聞いていたジークラインがぼそりと言う。
「……いや、普通に考えて、継承権だろ」
「なんで妾の子に継承権が発生しますの? ……あ……」
――妾の子の継承権はワンランク下。
その常識はメイシュア教国家のもので、一夫多妻制のチェルリクには通用しない。
基本的なことなのに、すっかり失念していた。
ディーネはミルザに向かって、何と説明したものか考える。
「では、ひとまず妾になるならないは置いといて、チェルリクに一時帰国なさってはいかが? 戻って、大皇帝にこうお伝えになってくださいましね。『ワルキューレでは、妾の子の継承権は認められません。仮に子どもができたとしても、バームベルクの公姫との子どもの方が無条件に優先されて、帝国の全財産を総取りします』と」
ミルザは目を丸くした。
「普通、財産は平等に分けるものじゃ……」
「ああ、やっぱり、そちらではそうなんですのね。うちは長子相続なのですわ」
どうもミルザにとっては初めて聞く概念らしく、総取り、長子相続、としきりにつぶやいている。
活動報告に二巻の大きい書影UPしておきました
すごく綺麗に描いていただいたのでぜひ見ていってください




