聖女祭の夜(13/13)
公爵令嬢のディーネは自分の部屋の布団にくるまって、すねていた。
『やってしまった』という思いと、『私悪くないもん』という思いが入れ代わり立ち代わりやってきては責め苛む。
廊下のあたりが騒がしくなったのはかなり時間が経ってからだった。
「ディーネ様。殿下がお越しですわ」
ジークラインはゲートから直接ディーネの部屋に乗り込んできたりはしない。なぜかいつも、一度部屋の外に転移してから、改めて侍女に取次ぎを頼んでくる。律儀というかなんというか、しつけのいいお坊ちゃん的な性格が出ているとディーネは思う。
「いないって言って」
「姫! 殿下のお手を煩わせるのではありませんよ。出てこないのなら、こちらのお部屋にお入りいただきますからね。レージョさん、呼んできてちょうだい」
「うっそ、ちょっと、待って、やだってば!」
慌てて髪を手ぐしで整えていると、本当にジークラインが入ってきた。
侍女たちは気をきかせたつもりなのか、『本日はこれで失礼させていただきます』と言い残してそれぞれ部屋を出ていった。
ジークラインはだらしない寝間着姿のディーネを見て、品よく視線をそらす。
恥ずかしいのと突然なのとで、ディーネは自分が怒っていたことも忘れて、ベッドの上にきちんと座り直した。
「あ、あの……どうしました?」
「長居をするのもなんだから、手短に言うぞ。オヤジがチェルリクと戦争することに決めた」
「せん……そう……?」
「今日のあれはいわば見合いだな。チェルリクが、自分の娘との結婚を条件に、奪い取った土地を返すと申し入れてきた」
「え、ええ……?」
そういえば、ミルザもそんなことを匂わせていた。『妃にしてもらえなければ殺されてしまう。第二でも第三でもいい』、と。
道理で皇帝やジークラインの様子が始終おかしかったはずである。
ヨハンナの推測はほとんど当たっていたというわけだ。
「そ……そんな重要なことを、どうして黙ってらしたんですの? 事前に教えておいてくださったら、わたくしだってもっとうまく……」
「オヤジが決めかねてたんだよ。和平を結ぶかどうかをな。けど、今日のでオヤジの肚も決まった。俺の婚約者はお前だ。前と何にも変わらねえよ」
「そ……そうなんですの……」
ホッとしたと同時に、あることがひどく気にかかった。
「……もしかして、わたくしのせい……?」
ディーネのひどい態度がチェルリク側を怒らせてしまって、交渉の決裂が戦争に直結してしまったのだろうか。
もしもそうだとしたら、避けられたはずの無用な争いを、ディーネが招いてしまったということになる。
今更ながらに大変なことをしてしまったと青ざめるディーネを、ジークラインは鼻で笑った。
「ちげえよ。チェルリクごとき俺の敵じゃない。だから、正々堂々力づくで奪い返すことにした。それだけだ」
それからジークラインは、ベッドに腰かけるディーネの目線の高さに合わせるように、床に膝をついた。何事かと身構えるディーネに、ジークラインが顔を覗き込むようにして言う。
「なあ、ディーネ。俺は、お前を選んだぞ」
ディーネは何の話かと聞き返しそうになったが、彼がとても真剣な顔をしていたので、呑まれてしまった。
「オヤジはお前との婚約破棄を勧めてきたが、俺が断った」
「婚約破棄を……」
「一時のことだ、もうその話はなくなった。チェルリクの妾も断った。だいたい、初めから俺はお前以外嫁にしないって、ちゃんと言っておいただろうが。どうしてそれが信じられねえんだ、お前は」
ディーネは気まずくなった。確かに、祭りの途中でそんなことを言っていたような気もする。
「結局、政略結婚だって意識があるんだろ? お前は俺が選んだわけじゃない。だから婚約指輪にも異常にこだわってたってのは、まあ、人づてに聞いた話だが。せっかく指輪もくれてやったのに、まだお前の中にはデカい負い目が残ってるらしいな。あんなに喚くほどとは知らなかったよ」
呆れたような物言いがディーネの心をチクチクと刺す。
――結婚したって、どうせすぐにわたくしに飽きて、他の女性のところにお行きなのでしょう!?
醜い本音の発露だった。
「なあ、ディーネ。俺は、ちゃんとお前を選んだぞ。一度目は親の言いなりだった。だが、今度は俺が自分の意思でお前を選んだんだ。いいか、この俺に選ばれたんだぞ。光栄に思え――とまでは言わないが……」
久しぶりに繰り出される厨二病ライクなトークに、拒絶反応が出かかっているディーネの顔色を見て、ジークラインがいきなり語尾を濁す。
いつの間にか、彼の喋り方はずいぶん変わっていた。
「……くだらねえ負い目はそろそろ捨てろ。お前はいい女なんだから、俺から甘やかされて当然だって顏して、好き放題ワガママでも言ってりゃいいんだよ。そうすりゃ俺がお前の欲を全部叶えて、真実にしてやるからよ。俺は、お前が幸せそうにしててくれりゃ満足なんだ。ほかには何にもいらねえよ」
ディーネのために目線の高さを合わせて、話し方を変えて、優しく諭してくれる。
ここまでしてくれるのは、きっと愛されているからなのだろう。そう思えるくらいには、ディーネもうぬぼれるようになっていた。
今日の出来事も全部どうでもよくなって、あんなにわだかまっていた黒い気持ちも、すべて消えていることに気がついた。
「……わたくし、ワガママなんて言いたくありませんわ」
「はは。そうやって言えてりゃ上等だ」
ディーネはこれで仲直りのつもりで、ジークラインの服を引っ張った。仕草でキスをねだると、すぐに反応が返ってくる。
軽くちゅっと、の心づもりだったディーネは、視界が回転し、背中がベッドに当たって、少し驚いた。
「……あら?」
「ところでお前、あれは本気か?」
「ど……どれですの?」
ぽかんとしてジークラインを見上げる。なんだかずいぶん距離が近い。
「見たい」
「……え?」
「見たい」
――二回言った!
何を? 何を見たいの?
なんの話か分かっていないディーネに、ジークラインが今日見せた中では一番真剣な顔で言う。
「スゲー見たい。いいのか?」
いいのか? と念を押されると、不安になってくるディーネである。
何が? どのように? 何をもっていいとか悪いとかの話をしているのか。なぜそんなにも真剣な顔をしているのか。ベッドの上に寝かしつけられているのもあって、なんだか変に緊張してしまう。
「いいんだよな?」
軽い言葉とは裏腹に、彼からは『いい』と言わなければ許さないという、何かの強い意思を感じた。
ジークラインが発する尋常じゃない気迫に恐れをなして、ディーネは目をそらした。何がなんだか分からないが、とにかくまずい。本能的にそう直感していた。
「あ、あの……困ります……」
小さい声で抗議すると、ジークラインはとても不本意だという顏で、しぶしぶディーネの上から退いてくれた。
「……邪魔したな。そろそろ戻る」
「あっはい……」
あいさつもそこそこに、本当にジークラインは転移して、その場から消えてしまった。
――な……何だったのかしら、今の……?
ディーネは一生懸命頭を巡らせて、順番に今日の出来事を思い出してみた。聖女のパレード。いきなりキスされたこと。ミルザの自己紹介。
いろんなことがあったので、なかなかこれという記憶にたどり着かない。
かなり考えてから、最後の方に錯乱して口走ったことが思い当たった。
「あ……足のこと……?」
そういえば、ミルザに対抗して、脱いでやるとかやらないとか騒いだような気がする。
――どうせわたくしの足なんてご覧になりたくないのだわ……!
そんなことはないから見せろと、彼はそう言いたかったのではないか?
「わ……分かるかー!」
なぜ彼ははっきり言わず、主語を省いてボカしていたのか。もしかして照れていたのだろうか? それとも雰囲気に流されたディーネがよく分からないまま「どうぞ」と返事をするのを待っていた? さもなければ、目先の欲につられて、会話にまで頭が回っていなかった?
そうすると、もしかするとあれは、押し倒されかかっていたのではなかったか?
「え、ええ……? そんな……ジーク様に限って……そんなこと……」
彼はとても紳士なので、そんなことするはずがない。
そうは思いつつも、それ以外に説明がつきそうになかった。
そもそもディーネには、自分の行動もよく分からなかった。ミルザに対抗意識を燃やしていたのは確かだが、軽率にあんなことをして、ジークラインに本気にされたら、困るのはディーネのほうだ。事実、とても困った。
――なんであんなことしちゃったんだろう?
本当は、彼にどうしてもらえたら満足だったのだろう。褒めてもらいたかったのだろうか? 好きって言われたかっただけ? それとも――
一度考え始めると止まらなくて、ディーネはしばらく寝つけなかった。