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聖女祭の夜(11/13)

 ディーネは曲がりなりにも公爵家の娘。

 小さな城に住んでいる田舎伯爵の夫人ならともかく、家政の使用人を大勢雇っており、家来の食事を何千人分も賄っているような大貴族の娘が自分の手で料理をすることは、本来であれば考えにくいことだ。


「女の子の教養は父親に影響されることも多いけど、バームベルクのはそれほど美食家というわけでもなかったと思うんだよねえ。公姫の料理技術はどこで学んだものなの? 入れ知恵の出所が分からない」


 ジークラインには何とも答えようがない。

 皇帝はろくに返答もしない息子をとがめるでもなく、独り言のような調子で続ける。


「天性の才能ってやつなのかね? 宮廷にもあのクラスの支配人は滅多にいないよ。食膳の采配がきちんとできるのはいいね。いつ毒を盛られるかしれないわけだし、細部に目配りができる女主人は絶対に必要だわな。あの子なら異教国家にぶち込んでもしぶとく生き残りそう。お前さんのことも死ぬ気で守るだろうよ。おや、わし謝った方がいいかもね。良妻でないなんて言って悪かった」


 口先ではおどけつつ、皇帝は悪びれもしない。


「……話し方は母親に似たね。目鼻がきいて、会話上手だ。ああいう女の子がひとりいると宮廷が楽しくなっていいよね。でもカッとなりやすいのは大減点ってところかな――大事に大事に育てられてるものなあ。なるべくしてああなったってところか。お前さん、これからのしつけが大変だねえ」


 純粋に心配をしているという口ぶりで、皇帝があとを続ける。


「なあ、せがれや。あの小娘、ちゃんと御せる?」

「……どのような状態を御しているとお考えでしょうか」

「だからさ、いちいちお前さんのやることに文句つけるのはいただけないよね。あれは自分の意見が正しいと思ったら勝手に行動するタイプだぞ。妻女としては最低ランクの欠陥だ。万が一のときに、無理やりにでも言うことを聞かせることがお前さんにできるのかどうかってことだよ」


 皇帝は問いをつきつけるように、少し語気を強めた。


「御せるのならばよし。ダメなら廃嫡も辞さぬ。そなたの意見を申してみよ」


 バームベルクの公姫が皇帝好みの従順で慎ましやかな娘であったのは、ほんの去年までのことだ。

 それまでの彼女は下を向きがちで、常にジークラインがつきっきりで励ましてやらなければと思わせるような雰囲気があり、それはそれで愛らしかった。


 意図的にそのような娘を演じていたとは本人の談だが、予測のつかないようなことをやらかすようになってからも、それほど大きく性格の本質が変わったわけではない。初めは戸惑ったものの、近ごろはそう納得できるようになった。


「付き合いは長いですから、操縦法は心得ております」

「ほう……」


 ジークラインの返事は皇帝にとっても分かりきったものであったはずだ。しかし、皇帝はそこで引き下がろうとはしなかった。


「操縦した結果が今日のアレ?」

「あれは、陛下がいたずらに刺激したのにも原因が……」

「原因が何であれ、暴走する性質はあの子のもんだろうよ。あれは少々――厄介なタイプだ。行動力がある女は危ない」


 やはり皇帝は婚約破棄騒動を重く見ているらしい。

 今日の彼女の行動が危険視する方針を強めてしまったのだろうか、いつになく真剣だ。


「……陛下の考えすぎのように思えます。彼女はそこまで聞き分けのない女性ではありません」

「そりゃずいぶんな贔屓目だ。お前さんにしてみりゃ可愛い可愛い婚約者かもしれんが、あれは頭に血が昇ったら周囲を巻き込んで破滅するタイプだ。最悪なことに、それをやり遂げる行動力もあるときた。上級者向けだから、素人が深入りしちゃいかん。かわいげもないしな」


 皇帝はおどけて言い、ふいにまた口調を変えた。


「――行動力のある女は不幸よな。神の作り給うた失敗作の性に生まれつきしゆえに、決して正しくは物事を考えられぬ。あれに野心が備われば、なまじ才知があるだけに、難敵に化けることもありうる。なれば今のうちに芽を摘んでおくのも手。ひとつの国にふたりの王はいらぬ」


 同じ人物なのかと思うぐらいの重々しい口調。父親の中にはふたつの顔が同居している。気のいい道化としての顏と、衆愚を導く指導者としての顏。


 次に口を開くとき、皇帝が選んだのは、道化としての顏だった。

 息子の顔色をうかがうように、ことさらに楽しそうな声を出す。


「まあしかし、わしもちょっと反省したのよ。お前さんにはちゃんとした経験もさせてこなかったから、悪かったなと思ってさ。わしがお前さんくらいのころにはいろんな女の子と遊んだもんよ。ここらでひとつ、お前さんも経験を積んで、女を見る目を養ってみるってのはどう? 女の子はいいぞ。楽しいぞ」


 ジークラインは親の顔をとくと観察した。

 彼は気まぐれな独裁者だが、最後には損得を計算する。計算するところを人に見せぬことで、気のいい道化としての体裁を保っている。


 彼に対して意見を通したいのなら、計算をさせなければならない。


「おそれながら、私には一切必要ありません。チェルリクから来た女性も、陛下がご自由になさればよろしいでしょう。この世のすべての女性は陛下のものです。しかし――」


 人一倍処世に長けた皇帝に、手を出せば高くつくことを示さなけばならない。


「――彼女だけは承服しかねます。あれは、私のものです」


 たとえ多くの代償を払っても、譲れないものがあるのだと。


 皇帝は誤解されて心外だとでもいうように、嫌そうな顔をした。


「別にわし、あの子がほしいってんじゃないけどね。あんま食指動くタイプでもないし」

「同じことです。陛下は――」


 ジークラインはいったん言葉を切り、あえて呼び名を改めることにした。


父上・・は、私が彼女を大切にしているのを面白く思っていないだけでしょう。父上の行動は、人のものをやたらに欲しがる子どもと大差ありません。私が大事にしているものをわざと取り上げることで満足なさりたいのでしょう。人はえてして、手の届かぬ葡萄は酸いと考えがちです」


 皇帝ははっきりと不快そうな表情をした。


「お前ね……親心で言ってやってんのに、そんな言い方はないでしょ」


 皇帝の行動が独善的な正義心からくるものだということは、ジークラインにも読み取れた。

 彼は厳格なルールなどはそれほど好まないが、自分の統制下にない女性にだけは感情的になる傾向がある。


 過去に自分の意のままにならない女性に対して悔しい思いでもさせられたのか、それとももっと身近な肉親の女性などが政治的な無能を晒すところでも見てきたのか、詳しいことは分からない。ジークラインに読めるのは、彼が我の強い女性を見るときに抱く苦々しい嫌悪感と、憐れみを含んだ侮蔑心だけだ。


 彼は、男の言いなりにならない女性には罰が必要だと考えている。


 彼女が傷つき、反省し、二度と生意気な口がきけなくなるまでやり込めてやるのが本人のためであり、社会正義であると思っている。


 そのためになら、本来であれば絶対に息子を近づけたくないはずの自分のハーレムまで解放しようとするくらいだ。


 人間は自分が正しいと思い込んだときにもっとも残酷になる。

 父親が彼女を罰することを正義であり、親心であるとするのならば、ジークラインはその勘違いを正さなければならない。


「陛下の行動が親心のなせる業だとおっしゃるのであれば、どうか、彼女のことはお捨て置きください。彼女を生かすも殺すも、罰するも愛するも、主人たる私が決めることです」


 彼女は皇帝の統制下にいるわけではない。

 所有権はジークラインにある。


 人の持ち物に手を出すことはどんな正義があっても許されるものではない。

 まして大切にしているものであれば、重い裁きを受けるのは手を出した方だ。


 父親の行動には正義など初めから存在しない。

 ただ独善的な正義感があるだけだ。


 皇帝はしばし絶句していたが、次に発した言葉は心底困ったとでもいうように、道化ていた。


「……つまり、なんだ。そんなに……あの子が好きなのか?」

「はい」

「即答しやがって。やめろ、澄んだ目でわしを見るでない」


 皇帝はふざけて眩しそうに顔をそむけたが、すぐに真顔になった。


「わしがこんなに目を覚ませと言ってやってるのに聞けぬと申すのか?」

「ご心配は痛み入ります」

「どうしてもあの娘でないとダメか?」


 重ねての問いには、なんとかして意見を変えさせたいという皇帝の思惑が感じられた。


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