聖女祭の夜(8/13)
目の前でイチャイチャダンスをするところなど見せつけられて、理性が蒸発してしまったディーネは、一足飛びに、『結婚前でよかったのではないか』とまで考えた。
公爵令嬢のディーネと皇太子のジークラインはまだ婚約中の身。解消するのなら今が最後のチャンスだ。
ディーネはもはや自分の感情に逆らわないことにした。頭に血がのぼるに任せて、攻撃用の魔法を研ぐ。
皇宮のジャミングが邪魔をして、魔法はあっという間に霧散した。
――魔法はイメージ……
諦めずに再構築した魔法の構成は、非常に重かった。滑りが悪い金属の歯車を無理やり回しているような、ギチギチとした嫌な手ごたえ。少し気を抜くと全部粉々になってしまいそうだ。不快なノイズに思考を占拠されかけ、さっさと諦めてしまいたくなる。構成を保っていられたのは、それだけ強い怒りを感じて、意地を通す気になっていたからだった。
ジークラインがいちはやく気づいてディーネに視線を送ってよこした。
しかし止めに入る気配がない。彼ならば、ディーネの魔法が発動する前に打ち消すくらいのことは余裕でやってのけるのにも関わらず。
ということはもう、彼にも公認されたようなものだろう。
さらに何人かの警備兵がディーネのしていることに注目したが、止められる前にとにかく決めてしまおうと、予定の三分の一ほどの分量をこしらえたところでさっさと発動させた。
氷で作った鋭利な針がミルザの周囲を取り巻いた。
彼女がとっさに後ろに下がったのはいい反応だが、そもそも当てることは想定していない。
魔法は全弾ミルザの足もとに命中させた。
次々に床に突き刺さる氷の針のおかげで、ミルザは一歩も動けなくなる。
「どういうつもり……っ!」
かっとなった彼女は迎撃用の魔法を使おうとするが、ジャミングに阻まれて不発に終わった。
さすがは戦闘に特化した騎竜民族といったところだろうか。あれが普通に発動してたらちょっと危なかった。
悪態をつく彼女に、ディーネは、ただの悪ふざけだとでもいうように、大きく手を広げてみせた。いつか日本で見たゲームの悪役令嬢のように、高圧的なまなざしと笑みも忘れずに作る。
「あら、動いてはいけませんわ、ミルザさま。スカート以外の部分も縫ってしまいますわよ? わたくし、あなたと違ってお裁縫が下手だから」
「裁縫ですって……?」
「チェルリク皇女、ミルザ殿下。ご挨拶が遅れて申し開きのしようもございません」
一切の悪態や反論を押し込めるように、ディーネはなるべくきっぱりと言った。何の話かと戸惑う彼女に、この日ずっと忘れられていた事実を告げる。
「わたくしはバームベルクの公姫にして、そちらにおいでのジークライン殿下の婚約者でございます。どうぞ、よしなに」
ミルザがさっと顔色を変えるのを、ディーネはしっかりと見届けた。
――やっぱりこの子、私のこと知らなかったのね。
道理で皇帝がジークラインの発言をさえぎっていたわけである。彼女の態度も、将来的なライバルであるディーネに意地悪をしているというよりは、天然でやっているように見えたので、もしかしたら名乗っただけで十分な牽制になるのではないかと思っていた。
「ミルザ様のお召し物、ずいぶんほつれているようですから縫ってさしあげようかと思ったのですけれども、失敗してしまいましたわ。ごめんあそばせ?」
魔法まで向けておいてごめんも何もないものだが、ミルザはとっさにうまい返しなどを思いつけなかったのか、もごもごと言い淀んでいる。
「ほら、わたくし、お裁縫ってとっても苦手なものですから。お分かりでしょ?」
ちょっとした悪ふざけとでも言いたげな口ぶりで強引に片づけて、ディーネはミルザの手を取った。
「いっそのこと、御着替えなさったほうがいいと思いますわ。わたくしのものでよければお貸しいたします。ね、ジーク様も、ワルキューレ風のドレスのミルザ様のお姿、ご覧になりたいでしょう?」
「あ……ああ……」
「殿下もこうおっしゃってることですし、こちらにいらして。さあ。さあ!」
有無を言わせず、ミルザを退場させようと強引に腕を引っ張っていく。
その途中で、皇帝が立ちはだかった。
「バームベルクの。ちょいと待たれよ」
皇帝陛下からの直々のお声がけを無視していくわけにもいかず、ディーネはその場に釘付けになった。
「着替えの必要はないぞ。わしがよいと申したのだからな」
知るものか、とディーネは思った。
ミルザ本人に悪意がなかったとはいえ、ディーネは公衆の面前で服装を笑いものにされ、ジークラインとの関係を面白おかしく観察され、誓約の刻印による痛みにずっと耐えていたのだ。
それが何かの政略だというのなら我慢もするが、皇帝陛下の色好みでこんな仕打ちを受けたのでは割に合わない。
「皇帝陛下のご威光とご尊名が遠く離れた騎竜の民にも轟いておりますこと、お慶び申し上げます」
内心の怒りを押し隠そうとするあまり、ディーネはかえっていつもよりも優しく甘い声が出た。
猫撫で声の挨拶のついでに、羽織っている上着を脱ぐ。
――周囲で見ていた貴族たちがより一層どよめいた。
ディーネは委細構わず、ついでに手袋も外した。
そのふたつを、適当にたたんでそっと皇帝陛下の足元に置く。
「陛下から賜りましたものはすべて陛下にお返しいたします。バームベルクの公姫、ウィンディーネは陛下に仕える臣民としてではなく、ジークライン殿下を愛するひとりの娘としてこの宮廷を去りましょう」
言葉こそ丁寧ではあるものの、それは、『こんなところ二度と来ねえよ』に近い、むちゃくちゃな捨て台詞だった。
ディーネは痛いことをしているという事実にむしろヤケクソ気味の爽快感さえ感じながら、その場をあとにした。オロオロと戸惑っているミルザもついでに連行するのも忘れなかった。
人ごみをつっきり、厩舎の近くの、誰も来ないようなうらさびれた廊下のあたりまで一気に走り抜けたところで、強い力で引き戻された。
「ちょっと……ちょっと! 止まって!」
ミルザの制止を受けて、ディーネはようやく立ち止まる。
彼女は息を弾ませ、髪を乱したままで、ディーネにつかみかかった。
「あ……あなた、命が惜しくないの!?」
ディーネは面食らう。急に何だというのだろう。
「あんなことして、カザーンに殺されたらどうするのよ!?」
「失礼、カザーンって何?」
疑問符だらけのディーネに、ミルザは取り乱した様子でまくしたてる。
「皇帝って、王様、一番偉い人、つまり大皇帝でしょ? 大皇帝の前であんなことして! あなたとんでもない命知らずね!?」
「確かに最後のあれは非常識だったけど、あなたのしてたこともたいがい非常識よ」
まだ怒っているディーネがしれっと強気に返すと、ミルザは可哀想なくらいうろたえた。
「わ……私の何がいけなかったの? 皇帝はお喜びになっていたわ!」
「その場にいた他の人の顔色を見てなかったの? 女性陣はどん底まで冷えてたわよ」
「なんで? 私、言われたとおりにした! ズボンを穿かないっていうからちゃんと脱いだ!」
「うちの宮廷は足を見せるのもタブーなのよ。あなたほとんどの女性を敵に回したわよ」
「じゃあなんであなたはそんなに足を見せてる!?」
もっともなことを言われてしまい、ディーネは悲しくなってきた。
「ほんと、なんでなのかしらね……私が知りたいわ……」
メンタルをやられて自分の世界に閉じこもりそうになっているディーネに、ミルザが真っ青な顔で言う。
「私も殺されてしまうの……?」
「そんなことしないわよ」
「だってカザーンが……」
尋常でない怯えようは、ディーネの目には相当奇妙に映った。




