聖女祭の夜(7/13)
ジークラインと異国から来た姫君のダンスは何度も曲を変えて続けられている。
熱狂的な喧騒をよそに、冷えた空気を醸し出してディーネに詰め寄ったのが、宮廷の貴婦人、ヨハンナだ。
ヨハンナはあれを止めてこいと言うが、公爵令嬢のディーネとしては皇族同士のダンスに割って入ることに引け目を感じてしまう。
「陛下があれをやれとおっしゃったのですから、わたくしが止めるのは筋違いですわ」
「馬鹿ね。あんたどうして自分がここに呼ばれたと思ってるの?」
「……どうしてなんですの?」
ディーネは公式行事にちょくちょく呼ばれるが、毎回というわけではない。
ジークラインのおまけ程度に考えていたが、違うのだろうかと訝しんでいると、ヨハンナはペチン! とディーネの頬を扇子ではたいた。
「いった……何をなさいますの、ヨハンナ様」
「愚図! 使えないわね! あんた殿下があのぽっと出の小娘に取られてもいいの?」
「いいわけないですわ! でも、陛下がお望みの余興に、わたくしが出しゃばることなど……」
「お馬鹿さん、陛下はあんたが出しゃばるのを待ってるのよ、なんで分からないの?」
「わ、分かりませんわ、分かるように説明をしてくださいまし!」
ヨハンナはおまけにもう一回ディーネの頬を扇子でペチンとはたいた。
痛い。どうして叩くのか。
戸惑うディーネをすばやく広げた扇子の陰に引き寄せ、ヨハンナはひそひそとまくしたてる。
「いいこと? これまでワルキューレはチェルリクと国交がなかったのに、皇帝は急にあの娘を預かる気になった。ここまでは分かる?」
「ええ……」
「ワルキューレはチェルリクの民が領内に入るのをよく思っていないわ。それは、これまでに領土を何度も荒らされてきたから。これも分かるわよね?」
「存じておりますわ……それで?」
「じゃあ問題。チェルリクの皇帝はどうして急に娘を預ける気になったわけ? 留学といえば聞こえはいいけれど、それって実質的には人質に近いものよ」
言われてディーネはようやくハッとした。
略奪で生計を立てているチェルリクの皇帝が、ワルキューレに娘を置いておくのは危険だ。再びチェルリクがワルキューレ領内を荒らしにきたら、ワルキューレ皇帝はミルザを取引の材料として使うか、あるいは見せしめに殺すかするだろう。
「おそらくチェルリクは何かを狙って皇帝陛下のそばに娘を送ったのよ。何を狙っていると思う?」
ディーネは楽しげに踊るミルザをじっと見つめる。次に絞り出した声は震えていた。
「……ジーク様?」
「そうよ。やっと気づいたの? 馬鹿ね」
ディーネはようやく、ヨハンナが苛立っていた理由が理解できた。こんなのは少し考えれば分かることで、おそらく今回の宴に出席した貴族のほとんどが先刻承知だったのだろう。分かっていなかったのはディーネだけだったのだ。当事者がこれほど空気の読めない小娘では、さぞやきもきしたことだろう。
「それじゃあもうひとつ問題。陛下はチェルリクの皇女とジークライン殿下を結婚させるつもりだと思う?」
「それは……」
分からない。少なくともダンスなどをさせているのだから、まったくその気がないわけではないのだろうと思えてしまう。
「馬鹿ね。考えるまでもないでしょ。ワルキューレにはバームベルク公爵の広大な領土がどうしても必要なのよ。あんた自分がどうして婚約者なのかも分かってないの? まさか自分が可愛いから殿下に選ばれたとでも思ってた?」
「そ、そういうつもりは……」
「それじゃあどうして陛下はその気もない相手を招き入れてるんだと思う?」
「ど……どうしてですの……?」
「真相は分からないわよ。分からないけどね、あんた、あの皇女を見てて気づくことない?」
ディーネは改めてミルザを見た。豊満で妖艶な美女――そのさなぎ、といった雰囲気だ。
「あの子、皇妃のベラドナ様に雰囲気が似てるわ。それどころか、陛下のお気に入りの愛人はいつも黒髪のおっぱいが大きい娘よ」
「そ、そうだったんですの……!?」
死ぬほど重要かつ、別に聞きたくなかった事実を知らされ、ディーネは複雑な気分になった。
「だから陛下はわたくしが止めに入るのを待っているんですのね……」
結婚などさせる気はさらさらないが、皇帝自身はミルザに嫌われたくないのだろう。その場しのぎのご機嫌取りをしているのだと考えれば、この状況に説明がつく。
もしかしたら、チェルリクとの仲たがいの原因をバームベルクの公姫に負わせ、責任を押しつける意図もあるかもしれない。帝国と公爵は一蓮托生というわけだ。
「そうよ。分かったのならとっととお行きなさい」
扇子で背中をペチンと叩かれ、ディーネは思わず一歩前に踏み出した。
とたんに周囲の貴族たちの視線を集めてしまい、つい怯む。
――本当に陛下は私の横入りを待っているの?
ヨハンナは言及しなかったが、チェルリクの族長の娘と婚姻関係を結ぶことで生じるメリットだって大きいはずだ。たとえば和平だとか、一時休戦といったような。皇帝陛下がそれらの政策を狙っていないとも限らないのだ。何を考えているのか分からない以上、うかつな行動は絶対にできない。
そもそもヨハンナは善意でアドバイスをくれたのだろうか?
これがディーネを失脚させる罠だったとしても驚かない。宮廷内の権謀術数では彼女のほうが何枚も上手だ。ことの真偽を確認する手段がない以上、慎重策を取るのが一番いいように思える。
ディーネが考えを巡らせる間にも、余興は続く。
激しいダンスを何分も続けたせいか、ミルザに疲労の色が見え始めた。スローテンポに移行し、ジークラインにそっと寄り添う。魔法の効果で痛い思いをしながらも、ディーネは動けなかった。真っ赤な顔で息を弾ませているミルザは、卑屈なディーネの心をえぐるぐらいに美しかった。その彼女の腰を支えてやるジークラインも、なんとはなしに楽しそうに見えた。
――わたくしだって、ダンスのときにそんな風にしていただいたことなんてないのに。
もう少しで声に出るところだったことに、一番驚いたのはディーネ自身だった。
慎重策を取ったほうがいいと理性で分かっていても、今すぐ出ていって場を台無しにしてやりたい衝動にかられている。
これ以上この光景を見ていたら、きっといつか衝動的に愚かな行動をしてしまう。土台ディーネは、昔からジークラインに関することでは我慢がきかない性格なのだ。
――私が行動をするのを待ってるって言うけど……
行動の仕方はよく考えなければならない。禍根を残さないように、できるだけさりげなく。
分かっていても、思考が嫉妬でぐちゃぐちゃで、何も思いつけなかった。
逡巡する間にも過激なダンスは続く。
ジークラインがバランスを崩しそうになった彼女をほとんど密着するようにして抱き寄せたとき、ふくよかな胸元がさりげなく押しつけられた。
慌てて謝罪する彼女に、ジークラインも少し照れたような様子を見せたところで、ディーネに限界が来た。
この先もずっとこうなのだろうか。
皇帝に頭が上がらず、命令されるままに他の女性に愛想をふりまき、果ては妾にしてしまう皇太子と、文句のひとつも言えず、不機嫌を押し隠して同居する正妃。
ディーネよりも美しい女性はたくさんいる。賢い娘もたくさんいる。愛嬌のある子も、心の美しい人も、数えきれないほどいる。
もしもジークラインが妾として連れてきた女性がそうした長所のある人たちだったとしたら、ディーネは心穏やかに過ごせるだろうか。自分自身がもっとも愛されているのだからと、みずからに言い聞かせ続けることができるだろうか。
――できやしない。
頭の奥で何かがぷつんとはじけた音を、ディーネは聞いた気がした。
――バカバカしい。




