聖女祭の夜(6/13)
皇太子と一緒に踊ることができるのは婚約者であるディーネだけ。
その不文律を破ろうとしているのが卑しい身分の娘であるならばともかく、異国の皇女であるならば、一介の公爵令嬢でしかないディーネはどうすればいいのだろう?
ましてそれを勧めたのが皇帝陛下だとしたら、遺憾の意を表明するのも憚られる。
ディーネは慌てて両親の姿を探した。
母親は皇妃の横に控えてはいるものの、扇子で顔を隠してこちらの様子を窺っているため表情が見えなかった。
父親は何事もなかったかのように顔見知りの貴族と歓談中で、助けになってくれそうにない。
――私の考えすぎなの?
これが政治的に重要な意味を持つ場面であれば、両親だってうかうかはしていられないだろう。
ディーネが態度を決めかねている横で、ジークラインがすっと陛下に近寄った。
しばらくふたりは周囲に聞こえない声量で何事か口論していたが、戻ってきたジークラインは騎士が敬愛対象の貴婦人にするようなしぐさで丁寧に膝を折った。
「ミルザ姫。あいにく俺は半人前だ。作法を知らぬゆえ何もできないが、隣に突っ立っているだけでよければお相手しよう」
ミルザは面白そうに眼を輝かせた。
「女性と踊るのは初めて?」
「ああ」
――初めてじゃないでしょ、私と踊ってるでしょ、いつも!
ディーネは混乱しきりだった。彼がどうしてそんな嘘をついているのかも分からなければ、なぜダンスを断らないのかも分からない。婚約中だから踊れないと、いつものように断りを入れれば済む場面のはずだった。
「私もワルキューレの踊りは初めてね。でも、さっき見たからたぶん大丈夫。隣にいてくれたら、私がなんとかする」
ジークラインがミルザの手を取るのを、ディーネは信じられない思いで見た。ビリッと電流に似た魔法の一撃が来たが、精神的なショックの方が大きかったので、最初に受けたときほどの痛みはなかった。
ミルザはジークラインに微笑みかけていたが、ふと周囲の視線でも感じたのか、急にあたりを見渡した。もちろんそれは彼女の気のせいなどではなく、周囲のワルキューレ貴族は何事かと目を皿のようにしつつ、コソコソとこのやり取りを盗み見ている状態だった。
「ねえ、王子様。私、目立っている? どうして?」
「チェルリクからの客人が珍しいんだろう」
「でも、私、見た目はそんなにチェルリク人っぽくないよ」
「服で分かる。この俺と踊る幸運な女はどうやら異国の客人らしいとな」
「もう、王子様ったら」
ミルザは笑って、「では」と言った。
「私もワルキューレの人たちみたいにスカートで踊りましょうか」
そう言ってミルザは聖女風のロングスカートに手をかけた。おそらくは騎乗用の用便のためだろう、両脇に入ったスリットから手を回し、ズボンの留め紐を引く。
彼女の大胆なスカートからズボンが抜き取られる。
観客からどよめきが起きた。
すらりとした足を半ばまで晒して、ミルザがズボンを完全に脱ぎ去ったとき、女性の悲鳴があがり、男性陣から歓声が飛んだ。
「足を見せるなんて……」
「はしたない」
「蛮族ではないの」
聞こえよがしの嫌味に、ディーネはだんだんつらくなってきた。足の露出度で言えばディーネもミルザに負けていない。時とタイミング次第では、あれを言われていたのはディーネのほうなのだ。おそらくディーネがいない席では、この数倍にも及ぶ悪口を言われていることだろう。
これまでは幼いことと、皇族特権の服であること、文句のつけようのない大公爵家の姫君であることなどからさほどからかわれずに来たが、そろそろディーネも成人の娘と言っていい頃合いなので、羞恥心を覚えていないフリ、悪口が聞こえていないフリにも限界が来つつあった。
「あら? なんだか余計に目立っていますね」
ミルザが戸惑っている。わがごとのように感じつつも、ディーネには見守ることしかできない。
一方、男性陣は深酒もあいまって、大盛り上がりの様相を呈していた。楽師の一団も騒ぎに気づいてか、一段と早いテンポの曲に切り替えている。
「すばらしい。姫の勇気と美脚に献杯と行こうではないか」
皇帝までが悪ふざけに乗ったものだから、誰も止める者がいなくなった。
「あの、わたし……」
ジークラインは戸惑うミルザの手をしっかりと握り直した。
「怯むな。胸を張れ。いい女が注目を集めることになんの不思議がある? この宴の主役はお客人だ」
――いっ、いい女ですってえええええ!?
ギリギリと歯ぎしりをするような思いだったがなんとかこらえて見守るディーネに、ジークラインは一瞥すらも寄越さなかった。そのまま、踊りが始まる。
乗馬のギャロップを思わせる、アップテンポのフィドルに合わせてミルザが床を蹴った。騎乗用に大きく開けたスリットから肉づきのいい太ももが見え、周囲が湧いたのもつかの間で、歓声はすぐに驚きの声に取って変わられた。
――すごい、上手……!
基本の動きが違うというのか、見慣れないリズムで堂々と腰を使い、異国風のコンビネーションを即興でワルキューレ風にアレンジして踊るミルザは、カップルダンスの女性というよりも、プロの踊り子のように見えた。
大人の男でも難しそうな激しいステップをなんなくこなし、下半身で拍を取りながら、ミルザはジークラインにしなだれかかる。妖艶な手つきで彼の頬をなでる彼女を見て、ディーネの観客気分は吹っ飛んだ。断続的な痛みとともに、嫉妬と怒りがぶり返す。
――く、くっつきすぎだからー!
できるものなら今すぐ割って入りたかった。しかしそうもいかない。他でもない、皇帝陛下の命令なのだ。ジークラインですら逆らわないような局面で、ディーネがしゃしゃり出ても無駄どころか、彼の足を引っ張ることにしかならないだろう。
断続的な痛みとともに、ミルザの踊りは続く。
ジークラインは避けようともしなかった。それどころか、要所で腰を支えてやり、手を取ってやりと、かいがいしくエスコートをしている。
「ええのうええのう。わしの宮廷でもああいうの流行らんかな」
観覧していた皇帝が、鼻を下を伸ばして言った。
追従笑いが起きたのは主に男性のほうだった。
目を皿のようにして見入っている貴族までいる始末だ。美しく女性らしい肢体を縦横に駆使して舞う彼女には、人の官能をかきたてるような魅力があった。
ディーネは手のひらに爪を立てて耐えていたが、いきなり後ろからドレスを引っ張られて、呼吸が止まるかと思った。
「ちょっとあんた、はやくあれなんとかしなさいよ」
囁きかけたのは伯爵夫人のヨハンナ。もと皇族で、宮廷では大きな発言力を持つ女性である。
「そんなこと言われても……」
一体ディーネにどうしろと言うのだ。




