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聖女祭の夜(2/13)


 皇宮の庭にある噴水は今日だけワインが噴き出ている。今日はもともと湖沼の女神を祀るための祝日だったのだが、メイシュア教が普及するにつれて、いつの間にか聖女さまのお祭りにすり替えられてしまったという経緯がある。なので、昔から民間では、この日に川に入ると水難に遭いやすいと言われている。噴水を止めて、ワインで祝福するのはそのためだった。


 庭では野猪の丸焼きがみんなに振る舞われている。何かあると肉を焼きたがるのは狩猟民族のサガである。

 砂糖菓子で作った聖女の彫像を中心に、ご馳走が並べられていた。


 ご馳走に先だって、強めの酒がふんだんに振る舞われ、みんなしとどに酔っている。


 ふらふらと踊っているが、本腰を入れてはいない。適当に火の回りで踊っているだけである。

 祭りにかけつけた流しの吟遊詩人の、ハーディガーディや横笛といった楽器が、やかましくも民俗的な音をてんでばらばらに奏でている。その隙間を縫うように、甲高い女性の笑い声と男性の雄たけびが聞こえてきていた。


 実にぐだぐだであるが、お祭りとはだいたいこのようなものである。


 そしてディーネの前に、今回のぐだぐだの象徴のような女性が立っていた。


 聖女役の服もそのままに、きらきらしく着飾った女性が満面の笑みを浮かべてジークラインを見つめている。最初から彼しか眼中にないらしく、ディーネのことは無視だ。


 ――な、何なの、この女?


 ディーネは正直に言って早く追い払いたかったが、彼女のエスコートをしているのは、他の誰あろう、皇帝陛下だった。陛下はかしずくディーネの注意を彼女に向けさせて、こう言った。


「チェルリク皇帝の末の娘、ミルザ嬢だ。遊学ということでしばらくうちで預かることになっている。同年代の女性は少ないゆえ、そなたが仲良くしてやってほしい」


 皇帝陛下から直々にそう申しつけられては、ディーネにはどうしようもない。問いただしたいことは山ほどあったが、ひとまずすべて押し殺して、笑顔を作った。


「お初にお目にかかります。バームベルクの公姫、ウィンディーネ・フォン・クラッセンでございます」


 ひとまず探りを入れてみようと帝国語で話しかけてみたら、意外にも流暢な帝国語が帰ってきた。


「チェルリクの皇帝カザーンの二十五番目の娘、ミルザと申します」


 ――二十五番目?


 やけに多いとディーネは思ったが、それよりも彼女の背が高いのが気になった。


 チェルリクの女性はみんな痩身で小柄だといううわさだが、彼女――ミルザはワルキューレ貴族のディーネよりも大柄でスタイルがいい。


 チェルリク女性に特有の引き締まった手足や神秘的な黒髪などはそのままに、ワルキューレ女性風の白い肌や豊満な肉体美を兼ね備えている。タイトな身頃が(チェルリクの服はワルキューレより細い仕立てになっているような気がする)やわらかそうな胸元でいっぱいに押し広げられて、はっきりと曲線の存在を主張しており、人の身体をジロジロ見るのは失礼だと分かっていても、ついそちらに目がいってしまった。


 とにかく、彼女の見た目からはあまりチェルリク人と分からない。彼女が見下ろすようにしてディーネに相対しているので、なおさら気おされてしまう。


 ディーネの内心を読んだかのように、ミルザはにこりとして、さりげなく説明を付け足した。


「母はハルジア人の王女ミレアです。私はほとんど母の元で暮らしていましたから、こっちの言葉も少しだけ話せます」


 チェルリク皇帝とハルジア王女の娘。

 つまり人種的にハーフだということなのだろう。両者の特徴を受け継いでいる理由が分かって、ディーネは少し焦りを感じた。美人である上に、しかも血統のランクで言えば公爵家の娘であるディーネよりも王族筋のミルザのほうが上だ。


 ディーネは急いでハルジアとチェルリクの記憶を手繰り寄せた。

 ワルキューレの隣国がハルジアで、そこからさらに三つ四つくらい隣の国がチェルリクだ。

 ハルジア、チェルリク、どちらもともに遊牧民ではあるが、ハルジアがワルキューレとも文化的に似通っているのに対し、チェルリクは完全なる異文化の騎竜民族。


 一般に、遊牧民が行き来する地域は、農耕・定住文化の民族よりも異文化コミュニケーションが進みやすい。大きな国のはざまに位置する遊牧民ともなると、たいていは宗教や人種が複雑に入りまじって美しい文化を形成するが、その分もめごとも起きやすくなる。


 チェルリクは散発的にハルジアにも攻め入っていたが、あるときとうとうハルジア王の宮殿を攻め落とし、占領することに成功。ハルジアはチェルリクを宗主国と認め、毎年税を納めることに合意した。それがちょうど五十年ほど前の話である。


 チェルリクの税には人間も含まれる。毎年決まった人数を奴隷として献上しなければならないのだ。

 ミルザの母親が王女というのも、おおかたチェルリク皇帝の奴隷か人質として差し出されたからなのだろう。


 ――そういえば、チェルリクは一夫多妻制だったっけ。


 ミルザは二十五番目の娘と申告していた。やけに子どもの数が多いのは一夫多妻制のせいだとすると、心配するほどディーネより身分が高いわけではない。教会法に照らせば、庶子の継承権の順位はワンランク落ちるからだ。それほどへりくだる必要もないかと考え直していると、ミルザはくすっと笑った。


「こちらの女性は裁縫をあまりしないと聞きましたけど、本当なんですね」


 チェルリクの民は刺繍が非常にうまい。彼女が着ている服も、ディーネのそれに比べて数倍ほどのステッチがなされている。


「チェルリクの方の刺繍は初めて拝見しましたわ。とっても素敵ですこと」


 ひとまず無難な返しをするディーネに、ミルザはにこりとした。


「ねえ、そのスカート、私が縫ってあげましょうか?」


 彼女が指さしたのは、ディーネの正装姿である。


 特殊な魔素材によるドレスは、今日も悲しいほど露出度が高かった。スカートは途中で割れ、靴下で包まれた太ももが歩くたびに顔を覗かせる。


 踝まであるロングドレスが基本のワルキューレ宮廷では、目立つことこの上なかった。


 こんなアホみたいな格好をしているのはディーネと皇妃ぐらいのものである。

 皇妃はもっと大人の色気があるので様になっているが、ディーネはただの残念な子でしかない。


「あなた、お裁縫苦手ね? 私が教えてあげましょうか?」


 ミルザがにこにこしながら言った。

 横で聞いていた貴婦人の誰かが、たまらずに吹き出したような笑い声がする。


 ディーネはどんな顔をしたらいいのか分からなくなった。


 嫌味で言っているのか、それとも天然なのか。


 何しろディーネの格好が非常識なのは彼女自身も認めるところで、ミルザが純粋な好意でそう言ってくれていたとしてもまったく不思議ではないのである。


「そうね……今度ぜひお願いしたいですわ」


 複雑な気分のディーネがそう答えると、ミルザはくすくすとおかしそうに笑った。屈託がないのか、それともそう見せかけて嫌味の成功に酔っているのか。彼女がヨハンナであれば間違いなく今のは嫌味だっただろう。なんとなく会場内に視線をやると、慌てて扇子で顔を隠すヨハンナの一座の姿が見えた。


 それからごくさりげなく、ディーネの傍らに立っている人物へと、たった今気づいたと言わんばかりに視線を向ける。


「こちらの方は?」


 淑女らしい声を出し、手を胸の前に組んで熱く見つめるミルザは、美しかった。


 ジークラインには彼女の視線を受け止めてほしくないとディーネは思ったが、口にするにはあまりにも子どもっぽく独善的な願いだと分かっていたので、静かに見守ることしかできなかった。

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