チェルリクからの勅使(3/3)
「ええ、そうですとも。一度見合いだけでもしていただくのが最上かと……」
かくして見合い話はおそるべき強引さでトントン拍子に進み、近く催される宴会にくだんの娘が招かれることで決まった。
使節たちは使命を果たして緊張が解けたらしく、いくぶんか浮かれたオーラを発散させながら謁見の間を後にした。
「陛下……! どんな罠かもしれないうちにあのように即断なさるのは……!」
「いいじゃん、一度会ってみるぐらい。美人らしいぞ。おっぱいも大きい」
「危険すぎます、お考え直しを!」
「そんなに危ない?」
「私はとても許可できません」
将軍職の権限でどうにか中止に持ち込めればという一念で言ってみたが、皇帝は首を振った。
「ふうむ。じゃあやっぱり結婚政策も視野に入ってくるわなあ。野放しにしておくのは怖いよね。チェルリク。溺愛してるらしい愛娘を人質に取っておくのは何かと都合がいい……」
「本当に溺愛していれば人質としても有効でしょうが、まだ何も分からないではありませんか」
「そう? わしは説得力あると思ったけどねえ。ほかの理由なら陰謀も疑ったけど、娘のひと目惚れってのがね。少なくない領地も返すと言ってるわけだし、本気みは感じた」
ジークラインはそこで話を切り上げることにした。どのみちこの件は詳しく調査してみなければ結論が出ない。それよりも先に確認するべきことがあった。
「……陛下はチェルリクとの関係をいかように遇するおつもりなのでしょうか。私は、いずれ剣を交える相手と考えておりましたが……」
「そこなんだよねえ」
皇帝は一層の内緒話をするように、身を乗り出した。
「ぶっちゃけうちはチェルリクとやりあって勝てんの?」
ジークラインは再び黙することになった。勝てるかどうか、それを判断するための材料が今はほとんど手元にない。チェルリクの竜騎手が人里を襲撃するときの鮮やかな手並みを思えば、あれを総出で繰り返されたら相当な被害が出ることだろう。遊牧民族のチェルリクは散発的な奇襲を仕掛けるのにさほどの人員を必要としないが、定住民族がほとんどのワルキューレは防衛に莫大な手間と人員がかかる。そこに転移魔法が加わると、戦争を始めて数日後に直接首都を狙われて敗北するというシナリオも十分に考えられた。
皇帝はジークラインの発言を待たずに言う。
「チェルリクの首都邪魔じゃん。落としておきたいんだよね。皇帝を討てれば一番だけど、別大陸のほうに追い出せれば上々――ダメなら末の娘を人質に取っておかなきゃだわな。一番いいのはお前さんが妥協してあの子を妾にすることだけど……」
ジークラインは意外に思った。父親のことだから、ジークラインに妾を持たせるのには絶対に反対すると思っていた。
気分屋のように見えて、皇帝の本質は抜け目のない策略家だ。
さすがに損得を冷静に計算したのだろうか。そうだとしたら油断がならない。
「それでは、バームベルクの公姫が納得しません。公姫の機嫌を損ねれば、帝国は分裂します。お分かりでしょう」
バームベルク公爵は帝国最大規模の領土を持つ人物で、彼の身分は帝国の臣下というよりも、地方の豪族が半ば独立した、公国の主に近い。彼さえその気になれば、帝国から離反して独立の王国として成立させることも不可能ではないだろう。
そして公姫もまた、大領主から継承権を受け継ぐ、正統な血筋の娘だ。
「笑わせるな、女子どもごとき何を恐れる」
皇帝は歪んだ笑みを見せた。
「公爵を納得させればそれでいい。公姫は適当な名目つけて放逐して、弟のどちらかにお前さんの娘をやるって手もある。確か上の弟が八つだったか? 今から仕込んでも十分間に合う。年の差十五ぐらいまでなら余裕余裕」
「陛下……! たとえ公姫を放逐できたとしても、異教徒の娘を皇妃になど……!」
「ミルザちゃんはハルジア貴族でメイシュア教徒よ」
「宗派が違います。チェルリク派はほとんど異教です」
ジークラインの抗弁を、皇帝は一笑に伏した。
「そもそもの話ね、わし、生意気な女は好かんのよ」
ついに来たか、とジークラインは思った。
バームベルクの公姫が婚約破棄を願い出た珍騒動は記憶に新しい。
「女から婚約の破棄を申し出るって相当キテるでしょ。かなりヤバいタイプとみたね」
一般的に、父親の所有財産に過ぎない娘が、結婚をめぐって自己の意思を主張し、ここまで騒ぎを大きくすることは言語道断、ありえない。自身の身分すら危うくしかねないほどの問題行動だ。
皇帝からも瑕疵ありの娘だとみなされるのは当然の成り行きとも言えた。
「あの子を貰うぐらいなら、異端派の娘の方がマシってことも十分ありうるよね」
「ご冗談を……」
皇帝が公姫の廃嫡を視野に入れて動けば、いくらジークラインであってもかばいきれない。
皇帝の機嫌ひとつでどうにでもなることがよく分かっていたので、もはや軽率に反対意見を口にすることも憚られた。
「で、お前さん、チェルリクに勝てるの?」
ここで『分からない』と答えれば、妾がひとり増える。
増えるだけならばまだいい。
最悪の場合は公姫の命運が途絶える。
ならば、返事はひとつしかありえなかった。
「陛下の剣に打ち払えぬ敵などおりません」
ジークラインが断言すると、皇帝は人の悪そうな顔で大笑いした。
「うはははは。よくぞ申した」
それから軽薄にジークラインに肘鉄を食らわせる。
「なんだよなんだよ。ずいぶん気に入ってんじゃん、公姫のこと。そーかそーか、お前さん、あの娘と結婚したい?」
「……はい」
ジークラインの返答に、皇帝はひとしきり大きな声で笑った。からかわれる居心地の悪さに耐えていると、それさえもおかしいのだというように、皇帝は笑い交じりにこう続けた。
「首都を落とせたらさせてあげてもいいよ。結婚。首都周辺の土地も丸ごと全部お前さんにやる。あそこ統治めんどくさそうだからね」
思いもよらぬことを言われて、ジークラインは返答に窮した。
まさかとは思うが、皇帝は初めからチェルリクを攻め落とすつもりだったのだろうか。
「俺ね、生意気な女嫌いだけど、公姫のガッツありそうなところだけは評価してんの。あの子でしょ? 帝都で競馬場とか始めたの」
「は……ええ」
オープンから一年余り経ったからか、さすがに皇帝の耳にも断片的な情報は入っているようだ。
「度胸あるね。帝都に住んでる賭場の元締め連中全員にケンカ売るなんてさ、まともじゃないよ。おとなしい娘かと思ってたけど、全然イケてんじゃん。異教国家の王妃なんて並大抵の神経じゃ務まんないだろうからね。そのぐらい気が強くないと困るよ」
ジークラインは去年のことに思いを馳せた。ほんの一年前のことなのに、遥か昔のおとぎ話のようだ。
婚約者の娘自身はあまり自覚していないが、彼女は騎士の数が帝国一多いバームベルクの生まれであるためか、賭場の傭兵崩れ程度にはまったく動じないという、向こう見ずなところがあった。帝都のカナミアの残党を掃除するついでに、父親の私設騎士団を使って帝都の賭場を逐一潰して回っていたが、『違法の賭場なんてないほうがいいに決まっておりますわ』とサラリと言っており、まるで部屋の掃除でもするかのような調子だった。
確かに、文化や習慣が違い、衝突が多く予想される国を征服して統治しようというのなら、このぐらい度胸が据わっていないと困る。
「ひとまずどういう娘なのかもう少し調べてみないとね。あの娘がどこまでやるのかお手並み拝見と行こうじゃないの。まずはチェルリクの末娘とぶつけてみてからもっかいチェルリク侵攻のプランを練るから、今度のパーティにもよんどいて」
これは面倒なことになってきたと、ジークラインは思った。しかし口答えをして機嫌を損ねるわけにもいかない。
「承知いたしました」
「そうそう、あの娘にネタ晴らしはしちゃダメよ」
「はい」
「ベラドナちゃんもダメよ。ベラドナちゃんすーぐ女の子の味方しちゃうからね」
「……御意に」
本格的にひと悶着ありそうな予感がして、ジークラインはこっそりとため息をついたのだった。




