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チェルリクからの勅使(2/3)


 チェルリクの使節代表が旗色よしと見たのか、売り口上を述べる。


「我らが皇帝カザーンは末娘のミルザ様をことのほか溺愛しておいでです。そしてミルザ様は、遠くから拝見した皇太子殿下の雄姿にひと目惚れ――といった次第でして」

「ほう……ひと目惚れ」


 皇帝がやや皮肉っぽく反応した。

 あまり知られていないことだが、皇帝は、息子が異性から人気を集めるのを、非常に苦々しく思っている。なんでも、「俺を差し置いてめちゃモテてんのすっげームカつく」らしい。

 使節は自分が皇帝の逆鱗に触れたことに気づかず、売り口上を続ける。


「ミルザ様は御母上がハルジア貴族であらせられますので、我らチェルリクの民よりもワルキューレ帝国民に似たお姿をしておいでです」


 ハルジアとは、ワルキューレの隣国だ。ワルキューレはハルジアと、あといくつかの国を挟んでチェルリクとにらみ合っている。ハルジア人はワルキューレの領内にも多い。


「ミルザ様は御母上に似てたいへんお美しく気立てのよい方ですので、皇太子殿下もきっとお気に召すことでしょう。ミルザ様は皇太子殿下のことをいたく気に入っておられますから、皇太子殿下の正妻として迎え入れられなくても構わない、おそばに置いて子を授けてくれればそれでいいとの仰せでした」

「あ、そう。ふーん……」


 皇帝の機嫌が急激に悪くなったのを、ジークラインはまざまざと感じ取っていた。

 使節が早々にやらかしてくれたので、どうやらこの話はなかったことになりそうだ。ジークラインは内心安堵していたが、もちろん表情には出さない。


「和平は結構。血族の同盟を結ぶ前に、過去の遺恨を清算するのもまったくの道理。わしは諸手を挙げて歓迎しよう。しかし、あいにくわしのせがれは売約済みでね。わしが許しても、せがれがそれを許すかな?」


 ジークラインには皇帝の言いたいことが手に取るように分かった。


「わが国においては、重婚は罪とみなされます。ありがたい申し出ですが、私はお受けできません」


 期待に応えてジークラインがきっぱりと断りを入れると、皇帝はおおいに残念がってみせた。


「せがれは頭が固くてね。和平はわしとしても大いに望むところであるのだが。ところで末の娘、ミルザと言ったか。その娘――」


 皇帝はいたって真面目に続ける。


「――胸はいかほどの大きさであるのか?」


 使節はおのれの役目を束の間忘れ果てたか、なんとも分かりやすく動揺をあらわにした。


「胸は大きいのか、と聞いておる」

「は……ええ、立派なものをお持ちでいらっしゃいます」

「ほう……」


 ジークラインは嫌な予感がしてきた。

 ――オヤジの病気が始まった。


 皇帝は美しい女性に目がない。いわく、「この世のかわいい女の子は全部俺のもん」だそうだ。


「美人か? 年はいくつだ?」

「それはもうお美しい方で……今年で十七におなりです」


 ジークラインはミルザという娘の特徴を適当に聞き流した。色白で大柄なハルジア人の特徴と、黒檀のように真っ黒な髪の色というチェルリク人の特徴の両方を受け継いでいるらしい。どちらも皇帝の女の好みに合致する。


 使節は肖像画も携えていたが、こちらは美化されていることが多いのであてにはならない。


「なるほど。良き女であるようだ。まことに残念でならん。せがれがいらんのなら、わしがもらってやってもいいんじゃがのう」


 皇帝がそう結ぶと、さすがの使節もだんだん事情が呑み込めてきたのか、もはや愛想笑いも出ないといった始末だった。


 口数が少なくなった使節代表の横で、通訳とおぼしき奴隷が困惑している。今のしょうもない話を同伴者の使節たちに伝えようと懸命になって喋っていた。


 そのうちに、使節団のひとりが動いた。純粋なチェルリク人と思しき老人が使節代表のそばに立ち、なにごとか耳打ちする。使節は驚いて、二、三の反論をしたが、老人の説得で黙り込んだ。


 使節代表は聞かされた話がよほど衝撃的だったのか、硬い表情だ。老人がこの状況でも平然としているのに比べたら何とも分かりやすい。


「その……ミルザ様は皇太子殿下のことを熱烈にお慕いしておられますから、殿下がお申し付けになることは何でもよくお聞きになるでしょう。チェルリクの娘はロバのように従順で、父親と夫の命令にはなんであれ決して逆らいません」


 使節代表は真っ青な顔で、やぶれかぶれに続けた。


「チェルリクの娘は、夫に先立たれ、寡婦となった場合、その弟か、いとこか、誰か血族の年少者にもらわれることを望みます。血のつながりがなければ、義理の息子にも嫁ぎます。もしも皇太子殿下が、ミルザ様にまずは皇帝陛下のお相手をしろとお申し付けになるのでしたら、おそらくミルザ様はそのようになさるでしょう」


 ――正気か、こいつら?


 チェルリク人が持てるだけの妻を持つ風習だということはジークラインも知っていた。しかし、それがどういった内容であるかはほとんど耳にしたことがない。


 ワルキューレの常識で言えば、今の話はありえない。ワルキューレでは四親等以内の近親婚を教会が禁じているが、血の繋がりがない義理の親子、兄弟間も、霊的なつながりはあるとして、やはり法律で禁止されている。


 思わず使節団に視線を走らせると、動揺している者のほうが多く、老人の提案がチェルリクの常識でもおぞましいものであることがおのずと知れた。


 しかし、老人の献策はこの上なく効果的であったらしい。

 皇帝は誰の目にも分かるほどはっきりと、色めき立った。


「それはまことか?」

「チェルリクの娘は家長を第一に考えます。逆らうことは考えられません」

「ふぅーむ……」


 考え込む皇帝を見て、好機と見たのか、また何事か老人がささやいた。

 操り人形と化した使節代表がしゃべる。


「一度皇帝陛下の御前にお連れしようかと存じますが、いかがでしょうか?」

「悪くないな。おお、まったく悪くない。客人のために、わが国の宮廷は広く開かれておる」

「お待ちください」


 ジークラインが思わず割って入ると、皇帝は濁った眼を彼に向けた。


「ご足労いただく必要はございません。私の意思は決して変わりませんので」


 トラブルの芽は摘み取るに限ると判断して、なおも言い募る。


「わが国では義理の母親を肉親同然に考えます。娶るなどとんでもない。自分の母親を妻にしたい男がいましょうか? たとえ首尾よく父に取り入れたとしても、私がひとたび母親となった女性を妻にすることは決してありません」


 ジークラインはなるべく強い調子で言い、使節に考え直すよう促したが、それをさえぎったのは他の誰でもない、皇帝だった。


「まあまあ。せがれの頭の固さにも困ったものだ。会ってみたら案外気が合うということもあるかもしれんのにのう」


レビラト婚

寡婦が死亡した夫の兄弟と結婚する慣習。中央ユーラシア大陸で広く行われている。

ユダヤ教では推奨されるが、復活信仰のあるキリスト教では禁忌。

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