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馬上槍試合・前編


 ディーネは木陰に隠れてジークラインの様子をうかがっていた。


 ジークラインに合わせる顔がなかったのだ。先週は勝手に逃げ帰ってしまった。会いづらいなと思っていたのだが、春から初夏はあいにくイベントシーズンなので、皇宮の公式行事が多い。それで今日の強制的な顔合わせになった。


 今日は毎年恒例の騎竜兵によるトーナメントバトルだ。優勝者はジークラインと対決する権利を得られるが、毎年ほとんど勝負にならないので、茶番なんてものではない。


 それでも民は盛り上がる。


「最強はこの俺! 勝利の栄光は永久に俺のものだ! だが! お前らにはその右席につく機会が与えられている! 俺の次に強いのは誰だぁっ!」


 ジークラインがぶちあげた大見栄きっての演説に、ひときわ大きな歓声が上がった。


 ――その演説アリなの……?


 どうして常に彼が主役を張ろうとするのか。大会ぐらいは勝者に花を持たせるべきではないのか。ディーネは毎年微妙に疑問に思わないでもなかったが、実際にまだ彼が破られたことはないので、問題ないようだ。

 ワーワーと騒ぐ観客の熱気が伝わってくる。『素敵ー!』やら、『カッコいいー!』やら、『もっとー!』やら、てんでばらばらのヤジも飛んできた。


「さあ俺の名を呼んでみろ! 最強なのは誰だ! 真の騎士は! ドラゴン殺しの栄光は誰のものだ!」


 ――ジークライン! ジークライン! ジークライン! ……


 ジークラインが観客いじりまでやっているので、目立つのがとにかく苦手なディーネはひたすら陰で震えるしかなかった。うかつに彼のそばに寄るとステージに担ぎ上げられて何か恥ずかしいことをさせられるに決まっているのである。


 ディーネの脳裏に数々の悪夢がよみがえる。一昨年は靴を片方取られて、ジークラインの竜の鞍に吊るされることになった。なぜ靴なのか? と思われるかもしれないが、靴は女性の暗喩として機能することがある(主にエロ方面の)。ジークラインが勝つのは試合するまでもなく分かり切っていることなので、靴が象徴するものを大切に守り抜いて戦ってやろうという、いわばハンデ戦の趣向だったのだ。


 去年はガーターベルトを一本、衆人環視の中でもぞもぞ取ってジークラインに渡すはめになった。


 このように、毎年着実にエスカレートしており、内気なディーネには地獄以外の何物でもない。


 本来のトーナメントバトルはここまで演出過剰なものではなかったのだが、ジークラインが天性の煽り能力で観客を焚き付けるせいで、だんだん過激になってきているのである。


「ディーネ様、今年は殿下に下着を渡さなくてよろしいんですか?」


 侍女頭のジージョまでそんなことを言うのだから、ワルキューレのお祭りはやはり何かが狂っている。本来の騎士の槍試合はこんなイベントじゃなかったような気がしてならない。


「そうですわぁ。せっかくガーターベルトもブレスレットとおそろいにしましたのに」

「いいですよね、あれ。いかにも可憐な令嬢という感じで」


 シスとナリキがのほほんと会話している。

 ディーネはなんとなく恥ずかしくなって、手首を隠した。とてもかわいいお花の彫金とガラスビーズのブレスレットだ。


「去年のあれはなかったことにしていただきたいですわ。先にお知らせしてくだされば、あんな垢抜けないガーターベルトなんてご用意いたしませんでしたのに」


 レージョは去年の仕打ちにいたく憤慨しており、今年こそは! とはりきって可愛いものを用意してくれた。可愛いものを着るのはもちろん嫌いではないが、目的が目的なので、ディーネはちっともうれしくなかった。


 ジークラインの演説はほどなくして終了し、試合に移るかと思いきや、また観客からコールが上がった。


 ――公姫! 公姫! 公姫! ……


 ディーネのことだと気づいた瞬間、さっと血の気が引いた。観客は去年のことを忘れていなかったのである。


「か……かえる! おうち帰る!」

「何をおっしゃってますの、みなさんお待ちかねですわよ」

「やだあああああ! ほんとにやだああああああ!」


 前世の記憶がよみがえってからというもの、多少は人前に出る度胸もついたが、こういう晒し者イベントはやっぱりつらかった。お色気なのもディーネの専門外だ。こういう役周りは他の人にお願いしたい。


 侍女に半ば引きずられるようにして、ステージまで行く。途中、興奮した観客が殺到し、手を触れられそうになった瞬間、転移魔法が作動して、気づいたらジークラインの隣に立っていた。


「バームベルクの公姫。俺の婚約者だ。俺の勝利はお前の栄光、俺の栄光はお前の勝利。公姫が俺の忠誠に何をもって報いるか、こいつらに決めてもらう!」


 ――シュミーズ! シュミーズ! シュミーズ! ……


 ディーネは顔面蒼白になった。シュミーズとは、ワンピース型の下着のことだ。給食のスモックにも似た、全身を覆うタイプの下着である。これを脱いで渡すとなると、いったん上に着ているものを脱いで、全裸にならなければならない。


「じょ……冗談でしょう……?」


 ワルキューレのトーナメントバトルはいわばアメフトやサッカー、日本で言うのなら何だろう? 日本人の気質にはあまり合わないような気がするが、同調圧力の強さで言えばハラキリだろうか? とにかくこれはパリピの祭典である。いったん盛り上がってしまうと手がつけられない。人死にや大けがもありうるというとんでもないイベントだ。


 去年のガーターベルトでももう『こんな祭典いずれぶっつぶしてやる』と決意するぐらいには嫌だったのに、全裸になれとは。


 人前でシュミーズ一枚になるイベントなら、中世には頻繁に起こる。それは王様や王妃であっても例外ではない。シュミーズ一枚でパレード行進をする年中行事があり、王様も参加していた、らしい。


 全裸もある。おそろしいことに。

 中世の中盤ぐらいまでだと、純潔を疑われた聖女は全裸を見せつけるのがお約束だった。それが本当の出来事なのか、宣教師によって誇張されたホラ話エクセンプラなのかまでは知らないが。


 羞恥心の概念は文化によって大きく違う。

 まして異世界であれば、常識だって変わる。


 ディーネは助けを求めてジークラインにすがりつく。もはや頼みの綱は彼しかいない。

 すると観客は一段と高い声を発した。


 生け贄を求めてうなりをあげる野生の獣も同然だった。


「ディーネ。動くなよ。肌に傷がつく」


 彼の台詞とともにディーネの身体が強制的に硬直し、なんらかの魔法をかけられたのだと悟る。ディーネはいよいよパニックを起こしそうになった。


 ――冗談じゃない冗談じゃない冗談じゃない!


 逃げようと思っても無駄だった。声は出ず、魔法の打ち消しあいもジークラインには敵わない。


 すごい突風が来て、一瞬だけオーバースカートがぶわりとめくれあがった。悲鳴を上げる間もなく、ぱさりと元に戻る。あちこち引っかかってはみ出しているシュミーズを大急ぎでオーバースカートの下にしまっていると、足元に何かがパサリと落ちた。


 それは三角形に斬られた布だった。底辺に見覚えのあるレース飾りがついている。ディーネが着ていたシュミーズの一部だ。


 ジークラインが今しがた切り取ったその布のレース部分を高々と掲げると、周囲から大歓声が沸き起こった。


 ――ま、丸裸は免れた……


 しかしだからといって無許可で人のスカートをめくり上げるのはどうなのか。どうせワンピース型なので見られても恥ずかしくはないが、あれは一応下着なのだ。周囲が大盛り上がりしてるのも公姫のあられもない姿が一瞬だけ見えたからである。


 ジークラインが先ほど切り取った戦利品を自身の剣の柄にくくりつけ、それで前座はおしまいになった。


 ――もうこんな世界、いやー!


 ディーネは半泣きになりながら、周囲に求められるまま、にこにこと手を振った。


***


 そして試合が始まり、ディーネたちは上覧用の特設天幕に移った。

 隣に座っているジークラインが呆れたように言う。


「まーだ怒ってんのか?」

「当たり前でございましょう!? 普通は怒りますー!」


 ディーネが弟のイヌマエルのようにイーッと歯をむきだして威嚇すると、ジークラインは困ったように手を広げた。


「いいだろ? 別に。肌が見えたわけでもなし」

「ジーク様は服の機能を『肌が見えるかどうか』でしか判断できませんの!?」

「それ以外に何かあるのか……?」

「し……信じられない! がさつ! 最低! 野蛮人!」


 ジークラインはちょっとむっとしたらしく、「服なんて着られりゃ何でもいいだろ」とつぶやいた。なんという適当加減。ディーネはいっそ泣きたかった。


「来年はもう絶対に参加いたしませんからね、こんなイベント!」

「そうは言ってもなぁ……」

「だいたいジーク様もジーク様ですわ! わたくしのことを見世物小屋の動物みたいに扱って! わたくしがどんなに恥ずかしかったか……!」


 思わずオーバーリアクション気味に広げた腕に、ジークラインが注目した。そこにブレスレットがはまっていることを遅れて発見し、気まずくなる。


 彼は気づいただろうか? 気づいたかもしれない。ガーターベルトとブレスレットをお揃いにするのはよくあるおしゃれなので、ディーネがわざわざ普段はしないブレスレットをこれみよがしに着けている時点で、勘のいい人なら『人の目を意識して下着とセットにしてきたんだな』と予想がついてしまう。そしてジークラインはおそろしく観察力があり、勘もいい。


「と、とにかく、わたくしはジーク様のためなら恥ずかしいのも嫌なのも我慢いたしますけれど、あんな人たちを喜ばせるために下着を晒すなんて、我慢がなりませんわ!」


 もう片方の手でブレスレットを隠しながらディーネが言うのを、ジークラインはじっと見ている。それがディーネには恥ずかしくてたまらない。ジークラインのことはもちろん好きだが、それでもまだ、見られたり意識されたりするのには抵抗があった。


 好きな相手でもまだ微妙に無理なほどなのに、なんで見知らぬ大衆のためにこんなものまで身につけねばならないのか。悲しいやら腹立たしいやらでいっそブレスレットも投げ捨ててしまいたかった。


「わたくしが着る服は、……ときどきおかしなこともございますけれど、それもこれも全部、ジーク様にご覧いただくために着ているのですわ。それをあんな風に……他の方に見せるだなんて、絶対にいや……」


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