お嬢様と(元)修道女
不定期更新、小ネタやこぼれ話中心です。
公爵令嬢のディーネは婚約者の皇太子から手紙をもらった。
中身はなんてことのないラブレターなので恥ずかしく、侍女たちにも見せないようにしていた。
しかし、侍女のひとり、シスは納得しなかった。
シスは戒律がゆるめの修道院育ちだからか、侍女四名のうちで一番たくましく、淑女としてはあまり褒められたものではない趣味も持ち合わせている。ラブロマンスなどには目がないほうで、ディーネとジークラインの仲についても詳しく知りたがる傾向があった。
「ねーディーネ様ぁー、そろそろ見せてくださいましー」
手紙について再三尋ねられているうちにディーネもだんだん根負けしてきた。
「大したことは書いてないよ?」
「でも素敵な内容でしたでしょう? ディーネ様のお幸せそうなお顔を見れば分かりますわぁ!」
「う……」
「きっとディーネ様も自慢したいはず! わたくしには分かりますのよ!」
「ううっ……!」
図星をさされて困惑するディーネに、シスは泣き真似をしてみせた。
「ねぇディーネ様ぁー、寂しい独り身のわたくしにも幸せのおすそ分けをくださいましー! ついでにあの小姓の方をわたくしに紹介してくださいましー!」
「えぇ……それはちょっと」
「なんですの、わたくしの幸せを応援してはくださいませんの!?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
シスは身分だけならかなり高い。皇族筋の庶子だということだが、具体的に誰の子なのかまではディーネにも知らされておらず、秘密を握っているのはパパ公爵と修道院長のみである。パパ公爵の領地で預かることになったのも、皇帝家に対する絶対の忠誠を見込まれてのことだ。ディーネでさえも教えてもらえないぐらいだから、本当にマズい出生の秘密を持っているのだろう。
シスは生涯修道院に幽閉されて暮らすことがあらかじめ決まっていたが、たまたまその修道院に遊びにいったディーネが、愉快な彼女を気に入って侍女に迎えたのである。
継承権のある皇族の結婚は難しい。シスに限らずだが、何かあって左遷された貴族がみんな判で押したように修道院に入っているのは、子孫を残す心配がないからである(似たような用例として日本の武家の『出家する』がある)。おそらくは皇族の継承権問題をこれ以上ややこしくしないために幽閉されていたであろうシスを侍女として引っ張り出すのも本来は褒められたことではないのに、さらに結婚となるとディーネにはとても責任が取れなくなってしまう。
シスも自分の立場は分かっている。だから彼女は言うのだ。
「夢くらい見させてくれてもよろしいのではありませんこと? ねぇディーネ様ぁー!」
ディーネはとうとう根負けした。どうせ今日はシス以外に誰もいない。それに自慢したい気持ちがないと言えば嘘になる。
「……誰にも言わないって約束できる?」
「もちろんですわぁ!」
シスに手紙を渡すという段になって、ディーネは急に心配になった。
「封蝋は壊さないでね、折り曲げたりするのもやめて、字をこするのもだめだよ」
「大切になさっているのですわね……いったいどれほどのロマンスチャンスが……?」
シスは紙にさっと目を走らせるなり、カッと目を見開いた。
「んなっ……! なかなか……! これはなかなか……!!」
「……大したことは書いてないでしょ?」
「何をおっしゃいますの、愛してるって書いてありますわよ!? まぁ~、まぁまぁまぁ! いつの間にそんな仲におなりなんですの!?」
「いつの間にも何も、その手紙が初めてだよ……」
「おめでとうございますディーネ様! 長年の夢が叶いましたのね!!」
ディーネが日頃から『ジーク様から相手にされてなくて辛い』とこぼしていたことはシスも知っている。わがごとのように喜んでくれるのもそのせいだろう。恥ずかしくはあったが、改めて言ってもらえるとやっぱりうれしいなと思ってしまう。
「それにしても驚きですわぁ……ジーク様ってこういう方でしたのね。もっとつれない方かと思っておりましたわ」
「どういう風の吹き回しなんだろうね」
「かぜ……? 風なんか吹いておりませんわ、ディーネ様」
「ああうん、私もびっくりってこと」
「やっぱりあれなんですの? 失って初めて分かる大切さ……婚約破棄を経て今度こそディーネ様を大切にしようとお思いに!」
「いや、知らないけど」
「もうディーネ様、お顔が笑っていらっしゃいますわぁ! 憎いですわね! この! この!」
シスはひとしきりディーネのほっぺたをぷにぷにすると、虚無のような目つきで言った。
「……彼氏がほしゅうございます」
「んんっ……」
ディーネにはもう咳払いしかできない。激励するのもおかしいし、あきらめろと諭すのも今さらだ。
「どこかにいらっしゃらないかしら……わたくしとの真実の愛に目覚める、若くてかっこよくて品がよくて親切でエスコートが上手で、女性慣れしてるのにわたくし以外の女性には見向きもしない王子様」
「ハードルが高すぎる」
「条件さえ満たしていれば収入は月に金貨百枚ほどで構いませんわぁ」
「さらにハードルがあがった……だと」
「全然高くないですわぁ。わたくし妥協の塊ですもの。なんだったら性別だって問いませんのよ」
「えぇ……? 女性でもいいの……?」
「うんと譲歩して、お妾さんでも結構ですわぁ。あらぁ? ちょうどこちらにおかわいらしくてお優しくてお金持ちのお嬢様が!」
シスがディーネにキラキラしたまなざしを向けてくるので、ちょっと引いた。
「冗談だよね……?」
「ディーネ様の弟君も将来有望だと思いますの!」
ディーネは突っ込む気力がなくなった。シスは思いつきでしゃべっていることが多いので、相手にするだけ無駄だったりする。
ディーネが相手をしなくても、シスのおしゃべりは止まらない。
「……それにしても、ジークライン殿下もようやくディーネ様の魅力にお気づきになりましたのね。おっそーい! と申し上げてもようございますわぁ」
ディーネは目をしばたたかせた。
突然なんだというのだろう。
褒めてもなにも出ないぞと言いたい。
「ディーネ様がそれでいいとおっしゃるならわたくしがどうこう言うことはないと思っておりましたけれど、ジーク様はそれほどディーネ様に興味がないのかと思っておりましたわ」
「まぁそれは、私も思ってたけど……」
婚約破棄を切り出したときの対応だって『お前がそう言うんなら』だった。
塩対応にもほどがある。
「ここだけの話ですけれど、わたくしは信じられないと思っておりましたわぁ。外見に惑わされないのはいいことかもしれませんけれど、こんなにおかわいらしい婚約者がいて何の興味も示さないなんて、健全な殿方の反応とはとても思えませんもの。どこかよそに好きな殿方でもいるのかと思っておりました」
「えぇ……?」
シスは思いつきでしゃべっているので、話している内容が五秒前と矛盾しているなんてこともよくある。ディーネが困っていると、案の定彼女は適当にあとをつづけた。
「だってディーネ様はとっても一途な方ですのよ? せっせとお菓子を作ってお手紙を書いていらっしゃるお姿とってもおかわいらしゅうございましたわぁ。こんなにお可愛らしくて気立てのよい方がおそばにいて、変な気を起こさないジーク様ってはたからみてもちょっと異様でしたもの」
ディーネにはなんとも言えない。好意での行動とはいえ、一方的に押しつけたら迷惑になるのは当然で、行き場のない好意を持て余しているディーネがジークラインから内心邪魔がられていても仕方がないのではないかと、ずっと思っていた。
「でも最近のジーク様はようやく人間らしくおなりで、わたくしちょっと安心いたしましたわぁ」
「人間らしくって……」
「今までのジーク様はどこを切り取ってもみごとな聖人君子ぶりで、人間っぽくないと思っておりましたの」
「シスもけっこうジーク様にキャーキャー言ってなかった?」
「それは皆様と一緒に、ノリで?」
「ノリか」
アイドルの追っかけみたいなものだろうか。
「あとはジーク様がいつになったらディーネ様を押し倒すかなのですけれども」
シスが訳知り顔でそんなことを言うものだから、ディーネはもう少しでお茶を吹き出すところだった。
「いや、しないでしょ、そんなこと……」
「あらぁ、時間の問題ですわぁ、ディーネ様」
シスは思いつきでしゃべるタイプだ。
ディーネが呆れているのにもかまわず、シスは、んー、と首をかしげた。
「まったくご興味がないふりをしてらしたくらいですもの、ディーネ様がすっかり騙されてしまうのも致し方ありませんわね。でも、すましていたって殿方が考えることなんてみんな一緒ですのよ」
シスは何を思ったのか、急に立ち上がった。
マントルピースまで近寄っていくと、飾ってあったジークラインの人形を取り上げる。
ちょいちょいとポーズを取らせているのは、ジークラインの物まねでもしようという魂胆か。
シスは男の人っぽく作った声で言う。
「『こいつまたなんかメソメソ泣いてやがんな。それにしてもかわいい。今すぐ押し倒したい』」
「ちょっと」
「『何怒ってんだかよくわかんねえけどかわいいな。とりあえず今すぐ押し倒したい』」
「やめてよ」
「『またわけのわかんねえもんに熱中してやがんのか。なんでもいいけどかわいいんだよなぁ。早いところ押し倒してえなあ』」
「何なのその邪悪な腹話術」
「あらぁ、とっても正確だと思いますわぁ」
「あんたあいつのことなんだと思ってるわけ……?」
いくらなんでも四六時中押し倒すことばっかり考えてるような人じゃないんだからねとディーネは言いたかった。
「あらぁ、殿方がおかわいらしい女性を見て考えることなんてそんなものですわよ」
「認知の歪みがすごい」
この子は何か男性に関して嫌な思い出でもあるのだろうか?
いや、そもそも生身の男性をどれほど知っているというのか。女性ばっかりの修道院育ちなので男性と頻繁な接触があったとは思えない。
とするとやはりロマンス小説などという偏ったジャンルばかり読ませていたのがよくなかったのだろうか。ディーネは彼女の女主人として、もっとバランスのいい読書に取り組ませるべきだったのかもしれない。
悶々とシスの心配をしているディーネの気持ちなど知らん顔で、シスはたわいないおしゃべりを続ける。
「うそだとお思いなら試してみたらよろしいのですわぁ。『この部屋ちょっと暑い』って言いながらさりげなくお洋服でも脱いでみたらいかがかしらぁ?」
「この真冬に?」
現在十二月。冬の大祝祭の真っ最中だ。
つい先日寄宿学校から帰宅した下の弟にも無表情で『近寄らないでください』と言われてしまった。
冬場のディーネは氷の魔法の冷気が勝手に漏れ出すので、近寄ると寒いらしい。
自分自身では空気を暖める魔法も使えるのであまり感じないのだが、周囲にいる人たちはやはり寒いらしく、俺は全然平気です、と強がった上の弟も、しまいには青い顔でガタガタ震えていた。
シスだってこうして話している間にも火鉢と毛皮を手放さない。
「じゃあ『寒いから抱きしめて』って言ってみたらよろしいのですわぁ」
「別に何も起きないと思うけど……」
そんなことで手を出されるのなら、もうとっくにそういう関係になっている。
「起きないなら起きないでよろしいではありませんの。殿下がディーネ様のことを大切にしていらっしゃる証拠ですもの」
「そういうもんかな……」
「そうですわ。本当は色々なさりたいところをぐっとこらえていらっしゃるんですもの。よほどディーネ様を愛していらっしゃるか、それとも魅力的な異性から好かれても平然としている自分を愛しているか、どっちかですわぁ」
「自分を……」
ジークラインはおそらく自分のことがかなり好きだろう。そうでなければあんなに自信過剰な発言はそうそう出てこない。
「以前のジーク様はご自分を愛していらっしゃったのかもしれませんけれど、今は平然とするふりをおやめになったのでしょう? でしたら愛ではありませんの」
いいですわねぇ、と呑気に言うシス。
ディーネはなんとなく思いつつも口に出しそびれた言葉を、胸の中でつぶやいた。
――ふりとかじゃなくて、本当に興味ないんじゃないかなぁ、と。




