二百話突破記念小話 ~殿下の寝込みを襲うお嬢様~
おかげさまで二百話突破しました。
いちゃついてるだけの記念小話です。
ディーネがお菓子をつくってキッチンを出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
――やっばい、遅くなっちゃった。
ごちゃごちゃとややこしいケーキを作っていたら思いのほか時間がかかってしまった。この後婚約者の皇太子と会う約束をしていたが、ちょっと待たせすぎているかもしれない。
ばたばたと気ぜわしく身支度をして、彼の部屋に駆け込んだ。
――誰もいないじゃん。
がらんとした部屋には明かりがついていなかった。ひとまず壁の明かりを灯してみる。すると、ベッドの上に人影を発見した。
ジークラインが寝ている。
待ちくたびれて居眠りをしてしまったのだろうか、彼は毛布もかけずにごろりと無造作に横たわっていた。身体が大きな彼に合わせてベッドも大きく作ってあるらしく、特大の羽毛のマットレスに埋もれるようにして眠っている。眺めているうちにディーネは懐かしい記憶を呼び起こされた。
小さい頃はよく一緒にお昼寝をしていたのだ。
今でこそ目つきが鋭くておっかない顔のジークラインだが、小さいころはもっとずっと中性的で、天使のようにかわいかった。久しぶりに眺める寝顔には子どものころの面影が色濃く残っていて、ディーネはドキリとした。
――や、やだもう、めんこいわぁー……
もはやただ眠っているだけで可愛いと思ってしまうのは、彼が神に愛された美丈夫だからか、それともディーネが彼のことを好きすぎるせいか。両方かもしれない。
いい気になったディーネは眠っているジークラインの鼻の頭をちょんちょんとつついた。彼が起きる様子はない。
思い切ってほっぺにチュッとしてみるも、やっぱり反応は何もなかった。
しばらくは頭を撫でたりして楽しんでいたが、平和な寝顔を眺めているうちにだんだんディーネも眠くなってきた。
昔はよくこのベッドで添い寝をしてもらっていたなぁと思い、ふといたずらをひらめく。
久しぶりに添い寝をしてあげるのはどうだろう? 目が覚めたら隣にディーネがいたとなれば、さすがのジークラインも少し慌てるかもしれない。そうなったら見物だろう。
ディーネはわくわくしながら靴を脱いで、ベッドにそろりとあがった。
すみっこに追いやられている毛布を手繰り寄せて、ジークラインにかけてやってから、彼が投げだしている長い腕に、細心の注意を払ってそっと頭を置く。起きる気配がないようなので、安心して一緒の毛布にくるまった。
――えへへ、あったかい。
幸せな気持ちでジークラインの横顔を眺め、ぬくぬくと過ごす、つもりだった。
そのとき、突然バサッと毛布が跳ね飛んだ。
「誰だ!」
うつぶせにされたディーネの上に素早くジークラインがのしかかり、一瞬の早業でディーネの手をひとまとめに拘束する。
「ちょ、じ、じーくさまっ……!」
「……なんだぁ? ディーネ、この俺の寝込みを襲うとはなかなかいい度胸じゃねえか」
「襲ってませんー! はなして! はーなーしーてー!」
左右に体をひねってアシカのようにじたばたしていたら、ジークラインは戸惑いつつもすぐにディーネを解放してくれた。
「悪い。寝ぼけた」
「えぇ……? そんな寝ぼけ方ってある……?」
ディーネが思っていたのと違う。今のはもっとこう、ドキドキして甘酸っぱい感じになるところではなかったのだろうか。こんないかにも「刺客に襲われるのは日常茶飯事です」といわんばかりのこなれた動きで拘束などされたくなかった。
「今のはお前が悪い、ディーネ。気配を殺して寝所に忍び寄られたら誰でも警戒する」
「そんなのジーク様だけですわよ……」
「でも寝込みを襲う気はあっただろ? そういう気配だったからな」
「いえ、添い寝以外に何も考えておりませんでしたけれど……」
「この俺に一切気取らせないで真横につくとはなかなかやる。ちゃんと訓練すりゃ見込みがありそうだ」
「はあ、どうも……」
気乗りしないディーネの生返事を意に介した風もなく、ジークラインはディーネに再びのしかかった。
真正面から迫られて、悲鳴がのどまでせりあがる。
「いいか? 寝込みを襲うときはここだ」
手を引っ張られて、ジークラインの首筋に触れさせられた。皮膚の下に強い脈を感じる。それを密着した姿勢でやられたものだから、ディーネは真っ白になった。
――ち、近すぎるんですけど!
視線がのどのあたりに吸い寄せられる。寝乱れて汗ではりつく髪と白い肌。男らしく隆起したのどの輪郭。
「ここなら小型のナイフでもとどめを刺しやすい。ためらわずに根元まで突き刺せ。二、三回繰り返せば非力なお前でも勝てる」
物騒なことをのたまいながらジークラインがディーネの手首をつかんで動かした。首の表皮をぬるりとした動きで撫でさせられ、わけもなく赤面させられる。指先にドクドクと温かい血が流れる感触がして、プライベートな場所に触っていることを強く意識した。卑猥だと感じるのはディーネの心が汚れているせいなのだろうか? しっとりした素肌のやわらかな感触にあらぬ想像をかきたてられる。
「聞いてるか? 首筋だぞ」
「は、はいいっ……!」
なんでもいいからもう開放してほしかった。
ディーネがうろたえまくっていることは、たぶんジークラインにもバレている。だって彼はとてもいい笑顔でディーネをベッドの上に押し倒したまま、みじんも退く気配がないのだ。
「分かっちゃいねえって顔だな。まったくしょうがねえなぁ、手のかかる生徒にゃもうちっと親切な解説が必要か。なあ、ディーネ」
彼はなんのつもりなのか、もったいぶった仕草でディーネの顎をつかんで、持ち上げた。首元にくぎ付けだった視線が上がり、彼の瞳とかち合う。何か魅了系の呪いがかかっているとしか思えない絶世のいい男がこちらを見つめ返していた。
「忘れらんなくしてやろうか?」
甘いささやきかけに目が回る。
「こういうのは身体で覚えたほうが早い」
なにかとてもいやらしいことを言われている気分なのは、ディーネが混乱しているからなのだろうか? 「はい」と答えなどしたら一体どうなってしまうのか。
「なあ。どうなんだ? ディーネ」
「あっ……」
ディーネはやっとそれだけ絞り出すと、気が動転したままあらぬことを口走った。
「あ、ありがとうございますっ……!」
――何がありがとうございますだ何が!
なぜ突然感謝を表明したくなったのか。それはディーネにも分からない。でも言わなければならないような気がした。気の利いた返しなどは何も思いつかなくても、それだけはとっさに声に出せたのだ。
完全に目が回っているディーネに、彼はクッと低く笑った。
「いい返事だ」
頸動脈のあたりにかぷっと噛みつかれて、ディーネの口からエクトプラズムが抜けた。
しばらく気を失っていたというのでもないだろうが、ハッと意識が戻ったのは服を脱がされそうになったときだった。胸元をはだけようと何やらややこしい紐飾りと格闘しているジークラインに、今度こそディーネは青くなる。他の部位ならいざ知らず、胸はディーネにとって一番のコンプレックスだった。
「だ……だめー!!」
悲鳴を上げてしまったのも仕方がなかったとディーネは思う。
――皇太子と公爵令嬢のお付き合いは一歩進んで二歩下がっている。




