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バームベルク公爵領の転生令嬢は婚約を破棄したい  作者: くまだ乙夜
書籍発売記念番外編

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202/252

ショコラと貴婦人(13/13)


 公爵令嬢のディーネはケーキやショコラなどを販売する事業なども手掛けている。


 ヨハンナの騒動からしばらくのち、ショコラに関する悪いうわさも消え去って、お店の売上もすっかり回復した。


 ジークラインには何かと手助けをしてもらったので、ちゃんと後日ケーキを持っていってお礼もした。


 紅茶をいれてもらってのんびりと会話をし、近頃の軍の動きについて解説してもらったりしているうちになんとなく一緒に本を眺めることになった。ディーネは面白く読んでいたのだが、ジークラインは途中で飽きてしまったらしく、そわそわしてる。


 夢中になって続きを読んでいたディーネを現実に引き戻したのは、ぱらりと耳元で髪がほどけるかすかな音だった。


 ジークラインが暇を持て余すついでにまたヘアセットを壊してしまったようだ。すでに諦めているディーネはとくだん何もコメントしなかった。


「……だいたいパターンがつかめてきたな」


 ジークラインがぼそりとつぶやいたのにも、ディーネは特別注意を払わなかった。どれだけ乱れていてももう侍女たちも気にしなくなっている。むしろ念入りに構造を解析するほど気に入ってもらえて何よりだ。


「うし。そんじゃいっぺんやってみるか」


 ジークラインがつぶやいて、小姓に何かを持ってこさせる。巻き布がバラバラと紐解かれて転び出たのは、大小の櫛だった。豚の毛で作られた大きなブラシと目の細かい木彫りのコーム。彼の大きな手で扱うのは少々不便に感じられるような、ちんまりとした女物の日用品。


「……どうしたんですの、それ?」

「何でもいいじゃねえか。おとなしくここに座っとけ」


 座らせたディーネの後ろに立つジークライン。まっさらストレートな状態まで戻されてしまったディーネの髪に、大きいほうのブラシを入れる。


「つやつやですね」


 横合いから小姓が感心したように言う。


「おう。汚ねえ手で触んじゃねえぞ。俺のだからな。なあ、ディーネ?」

「は、はい……」


 ディーネは恥ずかしさのあまり頬がカーッとなった。ジークラインの喋り方がくどいのはいつものことだが、他人が聞き耳を立てていると思うとまた格別だ。


 縮こまっているディーネの髪を大きな手がブラシでなでつけ、解きほぐしていく。触れ方があまりにもやさしいので、髪の毛の先にまで神経が通っているのではないかと思うほど心地よくて、ドキドキした。


「殿下、おそらくこのあたりから編み込みを作るのかと」

「わーってるよ。うるせえな」


 小姓とああでもないこうでもないと相談しながら髪を三つのブロックにわけて、耳のサイドと後ろとで別々に結び目を作る。


 耳のわきで羊の角のようにくるりと髪をひと巻きするのを両サイドでやってから、後ろの髪をさらに分けて両サイドに寄せ、ツインテールにし、上からネットをかぶせてピンで留めた。


 頭頂部の髪を引っ張り出して盛り髪を作りつつ、さらに頭巾をかぶせてその上に絹布の造花を散らす。


「こんなもんか」


 ジークラインから鏡を渡されて、ディーネがのぞきこむと、そこには先ほど部屋を訪ねてきたばかりのディーネとほぼ変わらない髪型にセットし直された自分の姿があった。


「す……すごい……!」


 ――すごいけどちょっと気持ち悪い!


 ディーネもある程度なら自分で髪を結わえるが、これは明らかにディーネが結うより上手だ。まったくの初見でこの再現度というのもだいぶ不気味である。


「ジーク様……いったいどこでこんな技を……?」


 小姓がうしろでくすくす笑っている。


「ずいぶん練習なさったんですよ。ねえ、殿下?」

「お前は黙ってろ。もういいから下がれ」

「よかったですね、公姫殿下。これで泊まりがけの日も安心ですよ」

「下がってろっつっただろ!」


 ジークラインに短く吠えたてられて、年若い少年は甲高い悲鳴と笑い声をあげて退散していった。


「……あの、わたくし、泊まってゆく予定はいまのところないのですけれども……」


 大事だと思ったのでひとまず最初に突っ込んでみると、ジークラインは焦ったように声を荒げた。


「分かってるよんなこたあよ。お前が嫌がってるうちは何もしない。趣味じゃねえんだ、分かるだろ? 俺がお前に何かを強いたことが一度でもあったか?」


 ディーネはぽかんとしてジークラインを見つめる。言われてみれば何も思い当たらない。


 照れたような、あるいは決まりが悪くて後悔しているようなジークラインの表情に見とれてしまって、へらりと相好を崩す。ディーネは彼のこういうところが心底好きだった。


「……はじめのうちは、とりあえずいつも髪を乱して帰ってりゃあ、いざってときもいろいろと言い訳が立って都合がいいかと思ったんだけどよ」


 ディーネはいっぺんに冷めてしまい、笑うどころではなくなった。そっと椅子の上を移動し、ジークラインから距離を取る。やけに髪の毛で遊ぶなぁとは思っていたが、そんなせせこましいことを考えてたとは知らなかった。


 確かに、最初のうちは毎日のようにヘアセットを崩して帰ってくるディーネを見て、侍女たちも不適切な関係をずいぶん疑っていたが、最近は何も言わなくなってしまった。彼の狙いは当たっているが、それにしたって情けないと思う。


 引き気味のディーネの視線に気づいたのか、彼はもっと慌てたようにあとを続ける。


「ぐちゃぐちゃにされても困るってお前が言うから、じゃあ元に戻してやれりゃ解決するんじゃねえかと思ったんだよ」

「そうだったんですの……」

「なんだよ、戻してやっただろ? これでもう文句はねえよな?」

「それは構いませんけれど……でも、ジーク様って……その……」


 ――そんなに泊まりがけのあれとかこれが楽しみなんですの?


 と、正面きって聞いてみる勇気は、ディーネにはまだなかった。

 ジークラインに限って絶対にそんなことは言わないと思うが、万が一にも「勘違いするなよ」と返されるようなことがあったらディーネは生きていけない。


 それに、ディーネ自身の心の準備の問題もある。

 そもそも相手がディーネでは、せっかくの期待を大きく裏切るような結果にもなりかねないのだ。前世の記憶もあいまって、今の自分に色気がないことは痛いほど承知している。きちんと結婚式をあげて、キャンセル不可になるまで待ちたいと思ってしまうのはわがままなのだろうか?


 さまざまな思いが交錯しすぎて却って何も言えなくなった。


 困り果ててジークラインの顔色をうかがう。

 ディーネと同じくらい困ったような渋い顔に行き当たり、ますます混乱した。どうしてそんな顔をするのだろう? 困っているのはディーネのほうだというのに。


 前世の記憶をありったけたどってみても、こんなときにどうしたらいいのかは分からなかった。


 分からないから、困るのだ。


 そこまで考えて、ようやく気がつく。何もかも初めてで分からないことだらけなのはディーネだけじゃない。ジークラインだって、初めてなのだ。彼にはディーネが困惑していることがかなり正確に見抜けても、その理由がなんであるかまでは分からない。


「……わたくしは、ジーク様のことをお慕いしておりますわ。ずっとずっと、もう何年もジーク様のことばかり考えてまいりましたのよ。でも、やっぱり、『いざ』となると……なかなか……」


 不安でいっぱいの気持ちを分かってほしいだなんて言わないけれど、せめて、彼が嫌いだから拒んでいるのではないということだけは伝わってほしいと思った。


 そしておそらく、ちゃんと伝わったのだろう。


「知ってるよ。お前が俺にベタ惚れだってことはよく知ってる。そんなもんこっちはとうに聞き飽きてんだ。だからそう暗い顔すんな。な? 俺はお前を困らせたいわけじゃねえんだからよ」


 いましがたセットしたばかりの頭に手を置かれてしまい、ディーネはちょっと笑った。どうしても無意識のうちに手が伸びてしまうらしい。


「……特別な日にご馳走があったら嬉しいだろ? お前にはそういう風に思っててほしいんだよ。嫌なことが待ち受けてますって顔されてたんじゃつまんねえからな。お前が楽しみになるまでちゃんと待つから、大丈夫だ。分かったら笑え、俺はお前が笑ってる顔を見たいんだよ」


 ディーネは照れを感じつつも少し笑ってみた。


「そうだ。それでいい」


 相変わらずしゃべり方はえらそうだ。それでも真摯だと感じさせるところがジークラインらしいと思う。優しくて頼りがいがあって、とびっきりえらそうなこの男がディーネの大好きな人なのだった。


 ふと窓の外ではばたく小鳥に目が行く。


 季節はもう春になろうとしている。

 復活祭まであと少しだ。


 アーモンドやリンゴの木が桜色の花を咲かせている。満開の花々を部屋の窓から見下ろして、ディーネは懐かしい気持ちになった。


 ちょうど去年のいまごろだった。

 ディーネが婚約の破棄を宣言したのは。


「ねえ、ジーク様。覚えていらっしゃいますか? 去年のこと……」


 アーモンドの木を目で示すと、ジークラインも懐かしそうに目を細めた。


「忘れたくても忘れらんねえな」

「わたくしはあのとき、たしかにジーク様のことを忘れようと思っていたのに……」


 本当にその覚悟はあったのだ。もう、そうするしかないと思い込んでいた。


「……でも、どうしてかしら? ……去年よりもっとずっと深くお慕いするようになってしまいましたわ」


 少し遠回りはしたけれど、きっとそれが必要な道のりだったのだと思いたい。


「……なんて、ジーク様はもう聞き飽きていらっしゃるのでしょうけれど」


 軽くまぜっかえすと、ジークラインはいつもの大げさな身振りで何にも分かっちゃいないなというように首を振った。


「バカだな。何回聞いても飽きねえよ」


 甘い声の調子ややさしい苦笑が、ディーネにはとてもくすぐったく感じてしまって、笑みがもれた。


 ――来年も、そのまた再来年も。

 彼と一緒にいられたらいいなと思った。



書籍化記念番外編はこれで終了です。

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