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ショコラと貴婦人(11/13)

 公爵令嬢のディーネは敵対派閥の貴婦人を連れてチョコレート工場に来ていた。

 貴婦人・ヨハンナはショコラに毒を仕込まれたことがあるため味見を嫌がっている。


 しかしディーネはあきらめずに説得を続けた。


「ここにはお義姉さまのことをご存じの方は誰もおりませんわ。誰かにおいしいものを食べてもらいたいと思って作っている職人のみ厳選して雇っておりますのよ。だから、何の心配もいりませんわ」


 ヨハンナはその昔、まるまると太っていたのだという。専属職人に毎朝欠かさずショコラ・ショーを作らせ、食後のお楽しみやおやつ、寝る前などに、何杯も楽しんでいたらしい。


 その彼女が職人に裏切られて毒を入れられたとき、いったい何を感じたのだろう?


 彼女は何日か高熱と激痛に苦しんだあと、奇跡的に生還したが、それ以来一切ショコラを受け付けなくなってしまった。


 みるみるうちに痩せたのはこの頃だったそうだ。


 大好物だったものが食べられなくなって、人相が変わるほど痩せるのは、どんな気持ちがするものなのだろう。


 きっと他人には計り知れないような深い闇や苦しみがあったに違いない。


 ヨハンナはショコラが決して嫌いではないのだ。


 ショコラを作る専属職人が。

 職人を雇っている夫の伯爵や、家事の采配人が。

 彼女と親しくしているはずの貴婦人たちが。

 あるいは伯爵家と敵対している人たちが。


 誰一人として信じられなくなってしまったから、食べるのをやめてしまった。


 人に対する信頼感が失われてしまった彼女が芯からほしがっていたもの、それは――


 安心して口にできる食品だったのではないか。


 ヨハンナが手にしたカカオマスをちょっと指先で持ち替えた。カカオマスは油分が多くて、脆くて崩れやすい。持っていて気持ちのいいものではないのだ。

 べたべたする塊の処理に困って、心が揺れているのも伝わってきた。

 はやく食べてしまったほうが手が汚れなくていいのではないかと考えているに違いない。


「召し上がって? お味は保障いたしますわ」


 ディーネが重ねて言い添えると、ヨハンナはとうとう観念したように短く目を閉じた。迷いながらも、カカオマスを口に運ぶ。


 その一口にどれほどの勇気がいったのかは、表情を見れば察しがついた。だって彼女は、今にも泣きそうな顔をしていたのだ。


「……甘いわ」

「ご覧になっていたでしょ? 先ほど砂糖をどさどさ入れましたのよ。ほら、袋であんなに」

「ぞっとするわね」

「でも、おいしいでしょう?」


 ヨハンナは本当に小さな声で、「ええ」と言った。


 職人に追加のカカオマスをナイフで削りだしてもらうが早いか、そちらも口に放り込んでしまう。


「いやになるぐらい甘いわ」


 文句を言いながらも食べる手は止まらない。


 いつしかヨハンナは食べながら少し涙ぐんでいた。


「……本当は、誰よりも食べたかったはずですわよね」


 ディーネがそっと気遣うように言うと、彼女は食べながら泣きながら、今度は火が付いたように激しく笑い始めた。


 ――あ、あれ? へんなこと言った?


 戸惑うディーネに、ヨハンナがとげとげしい調子で言葉を投げつける。


「本当に、嫌になっちゃうぐらい甘いのね。うんざりするわ」


 言葉の上では怒っていたけれども、ディーネにはそれがこれまでにヨハンナからかけられた言葉のうちで一番優しいように感じられた。


「それで?」


 ヨハンナが笑いもすすり泣きも引っ込めて、つっけんどんに言う。


「あんたわたくしに何をさせたいのよ?」


 ――あっ、これ……


 ディーネにはなんとなくピンときた。怒っているような身振りと態度、しかし本音のところではそこまで怒っていない。


「……勘違いしないでよね。別にあんたのためじゃないわよ。わたくしだって皇宮に戻れないと困るってだけなんですからね」


 素直ではないながらも、実は好意的な態度や意見。


「……ちょっと? なんなのよ、人の顔じろじろ見ないでくれる? ニヤケてんじゃないわよ、気持ち悪いわね!」


 怒っているようなふりをしつつどことなくもじもじしているこの態度。

 ディーネには激しく見覚えがあった。


「ご、ごめんあそばせ、わたくしびっくりして……でも、とってもうれしいですわ!」

「くっつかないで! あんた本当にかわいくないのよ!」


 しっしっと追い払いつつ、ヨハンナはまんざらでもなさそうだ。ディーネは今度こそ確信した。こ、この人。この人やっぱりあれだ。


 ――ツンデレだー!


 ディーネは感動すら覚える。ツンデレって本当に存在してたんだ! フィクション限定の、伝説の存在だと思っていた。まさか生で拝める日が来るとは。世の中とは分からないものだ。


 うれしさと物珍しさで頬をつんつん突っついてみても、ヨハンナはもう怒鳴り散らしたりしなかった。代わりに、ものすごく嫌そうな顔はしていたが。


「実はわたくし、皇宮の皆さんにおすすめしたいものがたくさんあるのですけれど、どうにもやり方が下手みたいで……なかなか使っていただけないのですわ。それで、どうすれば広まるかをずっと考えていたのですけれど……」


 ヨハンナに勧めていた化粧水にしろ、ココアにしろ、流行らない理由は『得体が知れないから』だと思うのだ。


「作り方を知っていただくのが一番いいのではないかと思いましたの。ですから、お義姉さまには、わたくし特製の化粧水の作り方をお教えしますわ。それを売って儲けたお金なども好きにしていただいて結構でございます」

「なにそれ。あんたのメリットは何なのよ?」


 それはもちろん――


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