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ショコラと貴婦人(10/13)


 明くる日、ディーネはアポなしでヨハンナの邸宅に突撃した。


 追い返されることは想定済みなので、ありとあらゆる手管を使った。皇帝陛下からのお達しであるとか、皇妃さまだって黙っていないだとか、物騒なことを喚かれては、使用人たちでは防ぎきれるはずもない。


 かくしてディーネは堂々と真正面から寝室でくつろいでいる彼女のもとに踏み込んだ。


「お義姉ねえさまごきげんようー!」

「誰がお姉さまよ!!」


 ヨハンナの叫び声はマジ切れの様相が色濃かった。


「あら、ヨハンナ様はジーク様のまたいとこですもの、ジーク様のお嫁さん☆ であるわたくしにしてみればヨハンナさまはお義姉さまのようなものですわ。ねえ、お義姉さま?」

「あんたねえ……! 本当に人を馬鹿にしくさって……!」


 今にも血管が切れそうになっているヨハンナにどんどん近寄っていって、がっし! と腕をとった。


「わたくしお義姉さまに折り入ってご相談したいことがございますの。かわいい義理の妹の頼み、聞いてくださる?」

「絶っ、対っ!! お断りよ!!!」

「わたくし魔術も護身術も使えますのよ、おとなしくなさってくださいましね」


 大柄なヨハンナをずるずると引きずって廊下を行く。使用人たちが目を丸くしているが、誰も止めに入る様子はない。


「ほんっとムカつくわ! あんた!」

「やっだぁー、こっわぁーい☆」

「頭の足りないしゃべり方やめろ!! 気持ち悪いっつーの!! あんたがやると百万倍気持ち悪いわ!!」

「たまにいますわよね、わざとらしく頭悪そうに振る舞うことで人を馬鹿にする女」

「あんたのことを言っているのよ!!」

「だいたい同性から毛嫌いされるんですわよね」

「あんた自分のこと鏡で見たことないの!?」


 何を言われようとも馬車に乗せてしまえばこちらのものである。


「乱暴にして申し訳ありませんでした、お義姉さま」

「これからあんたが私をお義姉さまと呼ぶたびに頬をひっかいてやるわ」

「ところでお義姉さま、ご相談というのは他でもなくわたくしの商売のことなのですけれど、お義姉さま」

「二回よ。絶対にひっかいてやるわ」

「お義姉さまに宣伝部長になっていただきたいんですの」

「三回よ。絶対にひっかいてやるわ」

「お義姉さまにしかお願いできないことなのでございます……どうかお義姉様のお力を貸してくださいまし。お義姉さまお義姉さまお義姉さま」

「絶対に絶対にひっかいてやるわ……!」


 しかし現実は非情である。ディーネには魔術の心得があるのでほとんどの女性は力でかなわないのであった。


「ただでお願いしようとは申しませんわ、お義姉さま」

「どんな条件でも絶対にお断りよ」

「もしもご協力いただけるのでしたらお義姉さまが皇宮に戻れるように手配いたします」

「絶対に戻らないわ。何があってもあんただけは地べたに叩きつけてやらないと気が済まないのよ」

「あらぁ、それってご夫君も同じ意見かしらぁ?」


 ヨハンナは、文字通りさっと青くなった。


「あなたのしくじりで皇宮から追い出されたこと、きっとご夫君はたいそうお嘆きでしょうねえ?」


 今のところ、ディーネの持つ一番の切り札がヨハンナの夫であった。

 皇宮の集いは遊びではないのである。そこで政治や芸術が行われているから、誰もが集まってくるのだ。


「お義姉さまだって皇宮が恋しいでしょう? わたくしちゃんと分かっておりますわ。わたくしのほうからも伯爵さまにお願いしておきますから、ご心配なさらないで?」


 ヨハンナは逃げられないことを察したようだ。今にも人を睨み殺しそうな目つきでディーネを見ている。


「わたくしが憎いのは結構ですけれど、少し冷静に考えてみてくださいましな、皇宮に伝手がなければわたくしを失脚させる算段も立てられないではございませんか」

「はん、見え透いた罠でしょうが! わざわざ自分を失脚させるかもしれない相手を招く馬鹿がどこにいんのよ!?」

「ここに?」


 ディーネが首をかしげると、ヨハンナはもう刺し違えてやろうかというような、壮絶な顔になった。


「わたくしもお義姉さまのことはいやだなー怖いなーっていつも思っているのですけれど、苦手だからといって排除まで画策するのはやりすぎだと思いまして」

「ほんっとあんただけは何があってもひねりつぶしてやりたくなるわ……!」


 そうこうしているうちに馬車は転送ゲートを潜り抜け、目的地に着いた。すでに建物からは甘い香りがただよっている。


「……なによ? ここ」

「チョコレート工場ですわ」

「チョコ……?」

「ショコラを加工して、固形の食べ物にする施設ですのよ」


 ヨハンナが青い顔をしたのにも構わず、ディーネはどんどん中へと引っ張っていった。


「ちょっと、やめて、離しなさいよ!」

「じゃっじゃーん、本邦初公開! 秘密のチョコレート工場ですわー!」


 そこに広がっていたのは白衣の料理人たちがそれぞれの持ち場で黙々と作業する光景だった。


「……なんなのよ、気持ち悪いわね! 目的を言いなさいよ!」

「今からお見せするのはショコラの作り方ですわ、お義姉さま」


 工場……とは言いつつも、特定の工程を除いてはほぼ手作業で作られている。まだ工業化が追い付いていないのだ。


 昔ながらの製法で豆を炒めたり、突き棒で砕いたりしている職人の姿が目に入る。彼らは公爵令嬢に気がつくと軽くかしこまって礼儀をみせた。


「……なんでそんなもん見せられないとなんないのよ!?」

「作り方が分かれば、お義姉さまも安心してココアが飲めるかと思いまして……」

「飲まないわよ、そんなもん!」


 大声に驚いた職人たちの注目が集まる。


「あら、ここにいらっしゃる職人のみなさんはとても信頼できる方たちですもの、心配なさらないで?」

「話聞いてくれる!?」

「ほら、あれが原料のショコラの豆ですわ」


 とろ火の鉄鍋に山と放り込まれたカカオ豆が、職人の手によってひっきりなしにかき混ぜられる。


 順番に説明をする構えのディーネに耐え切れなくなったのか、ヨハンナはじたばた暴れだした。


「ほんといい加減にしてよ! なんなの!? 知らないわよ!!」


 しかしディーネには力で敵わないのだった。ヨハンナはしばらく暴れると体力が尽きたのか、ぐったりしてしまった。


「……うふふ、大声を上げても誰も来ませんわよ、お義姉さま?」

「こいつっ……!」


 死に体のヨハンナを引きずって工場をどんどん進んでいく。


 煎った豆を寝かせる工程、棒で突いて皮をはがす工程……


 練り上げた塊――カカオマスまでたどり着いたとき、ディーネは職人からひとかけらもらって、口にした。


「この状態でもけっこうおいしいのですわ。お義姉さまも、ぜひ」


 半分にわけた塊を手渡そうとしたが、彼女は受け取ろうとしない。


「わたくしが今味見しましたでしょ、毒なんて入っておりませんわ。ほら」


 残りをさらに半分に割り、また口にする。


 見守るヨハンナの表情は怒りに染まっていたものの、どこか迷うようでもあった。


「……お義姉さまがショコラを苦手になってしまったのは、何が入っているか分からないからでございましょう?」


 ショコラは毒殺によく使われる。

 風味の強いスパイスや香料で仕上げることが多いからだ。

 たいていは豆を煎るところから専属のショコラティエが自宅で行うが、自家製だからこそ、毒を仕込むチャンスは無数にあるのだ。


「この通り、今お見せした材料しか入っておりませんわ。ここは大量生産する場所ですから、いちいち何かを混ぜている暇などございませんのよ。万が一毒が混入したとしたら、何千、何万という人に被害が及びますもの。特定の誰かの暗殺には向きませんわ」


 ディーネが改めてカカオマスを押しつけると――


 思わずというように、ヨハンナはそれを受け取った。



カカオマス

イギリス人旅行家E・ヴェリャードの手記より抜粋要約

1 カカオ豆を鉄鍋で弱火にかけ煎る

2 箱に入れて二時間おきにかき混ぜ、一晩寝かす

3 麺棒で軽く押しつぶして殻をはがす

4 ふるいにかける

5 チャフェンデッチ(こんろ付き卓上鍋)で石を暖めながら練り粉状のマスになるまですり潰す

6 豆と砂糖が4:1になるよう加える

7 シナモンとバニラの莢を適量入れてよくすり潰す

8 麝香とアチョーテ(赤土)を数グラム入れてよくすり潰す

9 お好みの形に成型して乾燥させる


”十九世紀初頭におけるファン・ハウテンの革命的な発明まで、チョコレートはずっとこうして作られていた。”


チョコレートの歴史 ソフィー・D.コウ P186



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