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ショコラと貴婦人(9/13)

 公爵令嬢のディーネは領地の経営をしている。

 固形のチョコレートは体に悪いという俗説を覆すため、水に混ざりやすくした固形チョコを使って、これまでよりもサラサラとして飲みやすいショコラ飲料をサロンの客にふるまった。


 しかし貴婦人たちは飲もうとしない。


 もともと多勢に無勢だ。誘導をしようとしても限界がある。


「そうですわよねえ、身体に悪い……だなんて、ヨハンナさまのたわごとを本当にしようというのですもの、飲むわけにはまいりませんわよねえ?」


 とりあえずここで話をうやむやにされては困るので、やや煽り気味に言うと、彼女たちは気色ばんだ。


「まあ……!」

「たわごとだなんて」


 流れをこちらのものにするには、相手にしゃべらせないことだ。


「ヨハンナさまのショコラ嫌いは元からでございましょう? 固形のチョコと何も関係ありませんわ。ご自分がお嫌いなのは結構ですけれど、排除まで画策するのはやりすぎなのではありませんこと?」


 固形のチョコがどう身体に悪いのか、説明できた人はひとりもいない。このときもディーネにうまく反論できた人はいなかった。


 ディーネは険悪な空気などものともせず、むしろあえて能天気なふりをして会場に揃えたショコラの作成用什器一式のほうに歩いていった。


「ところで皆さん、わたくし今日は皆さんにお披露目したい新作がございまして……」


 真っ白いテーブルクロスがかかった長テーブルに、ココアパウダーが入ったポットと、砂糖壺とが並んでいる。


 ディーネはココアパウダーと砂糖を適当に二、三杯ヒカラに放り込み、お湯でさっと溶いた。


 ココアパウダーはカカオ豆から脱脂をして作られる。


 ――つまりお湯に溶けやすくて、伝統的なショコラ飲料よりも飲み物に適している。


 できたてをショコラづくりの専属侍女さながらに銀の盆で捧げ持ち、ヨハンナのところまでしずしずと歩いていった。


 ショコラはきれいに着飾った専用の職人ショコラティエが目の前で作ってみせて提供するところまでがエンターテイメントなのである。


「さあどうぞ。作るところはご覧になっていたでしょうから言うまでもありませんけど、毒なんて入っておりませんわよ」


 ヨハンナはヒカラを受け取ることができない。

 分かっていてディーネは相手に受け取らせるまでしつこく勧めた。


「『ココア』と申しますの。原料はシンプルな豆と砂糖で、この通りほとんどお湯といってもいいくらいサラサラしておりますから、きっと健康にいいと思いますわ。さっと十秒ぐらいで作れますから、毒殺が心配されるほど恨みを買ってる方はご自分でお作りになったらよろしいのよ。まあ、なんてことでしょう、画期的ですわね!」


 トラウマが発動して何も言えなくなっている相手に一方的にものを言うさまは、周囲にも奇異に映ったことだろう。


「こ……公姫殿下、おたわむれは……」


 周囲の貴婦人がたしなめようとするので、ディーネはニタリと笑ってみせた。


「あっらぁー……」


 シンデレラの姉や継母や、その他あらゆる物語で見かける意地悪な女性をイメージして、ディーネは言った。


「わたくしのショコラが飲めないっておっしゃるの?」


 もはや完全に悪役のセリフであった。


 笑顔で無体を強要する公爵令嬢と、下を向いて屈辱に打ち震える伯爵夫人。


 これまでとはまるっきり立場が逆転していることは誰の目にも明らかであったことだろう。


「ねえ、ヨハンナ様。錬金術の領域に手を出したのは失敗でしたわね。うちの技術なら固形のものを液状に変えるくらいなんてことありませんのよ。浅知恵でどうにかできるなんてお思いにならないでくださいましね。それでも無駄な努力がなさりたいというのでしたら、どうぞお好きなように。でも――」


 これがディーネの宣戦布告だった。これから先はもう、一方的にやられているつもりはない。


「――わたくしにだって聖界の伝手くらいあるんですのよ。職を失って困るショコラ職人や、いつも宴会を手伝ってくださる料理人たち・・・・・にも、ね」


 実際にディーネが現場で働いているところを目撃されたこともあるのだから、ヨハンナにはそれを思い出してもらうだけでいい。


「あんまり恨みばっかり買っているようですと、あとが怖いですわよ?」


 ――これからはお料理の毒にもお気をつけあそばせ?


 そういう含みをもたせたことに気づいたものは何人いただろう?


 ヨハンナは真っ青な顔でわなわなと震えていた。


 他の誰が気づかなかったとしても、宮中における嫌がらせのエキスパートであるヨハンナは気がついたのだ。そのぐらい察しがよくなければ社交界の中心でいつづけることはできない。彼女は頭のよさと会話の術を持ち合わせながら、発揮する場所を政治の世界に得られないまま宮中に閉じ込められて育ったのである。


 何が起きているのやら、ついていけずに固まっている一同に別れのあいさつをして、ディーネはジークラインのところに戻った。


 去り際は優雅に。


 ディーネがにこにこと無邪気な笑顔で手を振りながらジークラインに連れられて去っていくのを、貴婦人がたは唖然と見守っていた。


***


「争いは悲しみしか生みませんことね……」


 ――あー、しんどかったー。


 ディーネがつまらぬものを斬ってしまった辻斬りの気持ちでため息をつくと、かたわらの男はちょっと苦笑した。


「あの女よりお前のほうがよっぽどビビッてたもんな」


 ディーネはどうにもああいうことに向かないようで、内心はガクガク震えていた。声が震えたり視線が泳いだりしやしないかと気が気でなかったし、もう一回同じことをやれと言われてもたぶん無理だろう。


「でも、ここまで持ってきたのですから、あとひと押しだと思いますのよ、ジーク様」

「そこまでするほどのものか? あの女……いいから追放しちまえよ。まだるっこしい」

「そうはまいりませんわ。嫌いだからって排除していってはただの独裁者でございます」


 そう、シャットアウトなどしたって仕方がない。ヨハンナがいなくなったとしても、すぐにほかの女性がやってきて、ディーネに同意をしたり、敵意を示したりするのだ。


 うまく操縦する方法を学ばねばならない。


「で、お前はすっきりしたのか?」

「はい。ようやく言えましたわ!」


 何をしたって無駄なのだと、ディーネはずっと言ってやりたかったのだ。


「ジーク様がついていてくださったから、ちっとも怖くありませんでしたのよ」


 ディーネは宮廷でいつも大人の女性に取り囲まれて、ひとりぼっちで寂しくて辛い思いをしていたのに、今日は孤独や不安を感じなかった。


「わたくしの面倒なお願いごとを聞いてくださって、ありがとうございます」


 ややもすればジークラインの立場を悪くしかねない行動だったのに、受け入れてくれたのがディーネにはとにかくうれしかった。


「あの、さっきヨハンナさまのおうちに入る前におっしゃっていたことなのですが……」


 あのときは突然のことでとっさに何も思い浮かばなかったが、今ならちゃんとお返事ができる。


「……わたくしもお慕いしております。その……深く」


 恥ずかしくってまともに顔が見られない。うつむいて頬の火照りが覚めるのを待っていると、ジークラインは興味があるのだかないのだか、そうかよ、とそっけなくつぶやいた。


 それからディーネの髪をかきあげて、おでこを丸出しにしてしまう。


「……なんですの?」

「いや……」


 特に意味はないらしい。

 疲れているのか、どことなく気の抜けた顔で前髪をみょいんみょいんといじっている。


「……ジーク様って、どうしていつも髪の毛をぐしゃぐしゃにしてしまうんですの?」


 ディーネはわりといつもやめてほしいと言っていたりいなかったりする。


「あ? 髪の毛だけで済んでるんだからいいだろ」


 不機嫌に言われてしまい、なんだそれ、と普通に思った。

 ディーネは髪の毛をぐちゃぐちゃにするなと言っているのに。


「触っていただくのは構いませんわ、でも、崩されてしまうとちょっと困ることもあるのですけれど……」


 うらめしげに背の高いジークラインを見つめていると、彼はため息をついて手を離した。


「……分かったよ、悪かった」


 ジークラインのテンションがとても下がったのを感じる。

 単に髪の毛が崩れると侍女たちがうるさいのでやめてほしいだけだったのだが、さすがに少し冷たく聞こえたのだろうか?


「で、でも、あの……触っていただくのは構わないのですわ」


 それはディーネとしても喜ばしいことなのである。すきあらばいちゃいちゃしたいので、その機会をうかがっているぐらいだ。

 ディーネは思い余って、自分の手でおでこを出した。


「具体的には、ちゅー、とか……していただいてもよろしいのですわ……」


 ――いや、なに言ってるんだろ?


 軽く後悔したディーネだったが、ジークラインは笑ってくれた。


「まったくお前はしょうがねえな」


 言葉の終わりに身をかがめた彼からおでこにチュッとしてもらって、ディーネはついニヤケてしまった。こっ恥ずかしいけれども、ねだってみてよかったと思う。


 ――なんだかんだで、解散するまでにいっぱいしてもらった。




◆お知らせ◆

書籍は明日発売です

どうぞよろしくお願いします


詳細活動報告にまとめておきました

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