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ショコラと貴婦人(8/13)

「ショコラを固形にして食べるのは禁止にすべきだということで、わたくしのお知り合いの修道士さまがたも賛同してくださってますのよ。近々、教皇さまにも具申があるかと思いますわ」


 ――あぁ、それは厄介……


 なんだかんだ言ってヨハンナの影響力は決して小さくない。著名な修道士とつながりがあるというのもこけおどしではないのだろう。


 聖界でのショコラの評価も真っ二つに分かれている。


 どんどん飲みなさいと断食日にも奨励している派閥と、一切飲むべきではないとしている派閥とが存在する。


 もしもショコラ否定過激派が『断食日のショコラは禁止にすべきだ』とぶちあげ、ついでに教皇が承認しようものなら大問題だ。

 チョコレートの売上はがた落ちだろう。


「固形のチョコの何がダメなんですの? 飲み物のショコラだって成分は同じなのですし、危険性は同じですわよね?」

「さあ、それは分からないけれど……塊と液体では薬効が違うのではなくて? 聖職者の方々は固形物がとにかく駄目だとおっしゃってるわ」


 ――逃げたわね。


 科学的には説明がつかないことであっても、このぐらいの時代であれば聖職者が言うことはなんでも権威のあることとして通用する。


「聖職者の方が固形のチョコをお嫌いになるのは、食べ物だと思われてしまうからではございませんの?」


 聖職者はミサの前日の夜から断食をして、一切の食事をとらないことになっている。

 ここで例外的に摂取してもいいとされているのがコーヒーとショコラだ。

 このふたつは飲み物であるから、断食にも適しているというのがその説明だった。


 せっかくうまく言い逃れをしていたところに登場したのがディーネの固形チョコレート。聖職者たちにとってはとにかく迷惑な新商品だったに違いない。


 ――そこに付け込むっていう着眼点は悪くないけど……


 何もかも遅い、とディーネは言いたかった。


 聖職者の断食チョコ問題は、固形のチョコレートを売り出そうとしたときに、すでに解決策まで考案済みだった。


 なにしろ当時は高位聖職者のエストーリオがディーネの屋敷に滞在していたので、聞き取り調査もばっちりやっていたのである。


「もちろんそれもあるでしょうけれど、やっぱり『乾』いていると性質が変わってしまうのではなくて?」


 乾・湿の状態変化で薬効が変わるとしているのがこの世界の標準的な薬学知識なので、そんなに無理のある言い逃れでもなかった。


「とにかく、固形・・でなければ問題ない、ということで間違いありませんこと?」


 詰めの質問をすると、ヨハンナはかすかに警戒したような顔をしたが、ややあってしっかりとその通りだという返事をした。


 現状、固形のものが追放されて困るのはディーネだけなので、対象を小さく絞るのもまあ妥当な判断といえるだろう。


「……そう……ようく呑み込めましたわ」


 ここまで来ればあとはディーネの独壇場である。


***


 ――三十分後。


 会場には大量のショコラとその機材が搬入されていた。


 こんなこともあろうかと、事前に準備をしておいたのである。


 移動はジークラインがパチッと指を鳴らせば終わりだ。なんという便利性だろうとディーネは感動すら覚える。味方でいてくれるうちは最高に頼れる相手だ。これで好きになるなというほうがどうかしている。


 お集まりの淑女の皆さまには、それぞれふたつのヒカラを渡した。ショコラを嗜むための専用カップのことを『ヒカラ』といい、『マンセリーナ』と呼ばれる受け皿がついている。取っ手がふたつついているのを除いて、外観はほぼ日本でよく見かけるティーカップと同じである。


 白い方のヒカラにはドロッとした半固形のショコラが。

 黒い方のヒカラにはサラッとした液状のショコラがそれぞれ入っている。


「いかがでしょう? どちらがより固形に近うございますか?」


もうこれは見るからに白い方だろう、と承知の上で、あえてディーネは問いかけた。


「黒いほうが固形に近いとお思いの方、いらっしゃるかしら?」


 誰も何も言わない。

 仕方なしにディーネはヨハンナと視線を合わせた。


「ねえ、ヨハンナ様? どちらが毒物に近いとお思いかしら? よかったら、めしあがって」


 ヨハンナは真っ青な顔をしている。彼女がショコラにトラウマを持っていることは知っていたが、思いのほか深刻そうな顔をしているので驚いた。


「まあ、ヨハンナ様。ちっとも進んでいらっしゃらないようですけれど……いかがいたしました? お口に合いませんこと? 毒なんて少しも入っておりませんわ、ジーク様だってわたくしだってなんともありませんもの」


 飲んでもらわなければ話にならないのでディーネがねじこむと、彼女は震える手でヒカラの黒いほうをつかんだ。サラサラしているほうだ。


 しかし口をつける気配はない。


「ねえ、ヨハンナさん、ご無理はなさらないほうがよろしいわ」

「そうよ。おあがりになる必要なんてないわ」

「……ええ。ありがとう、皆さん」


 お取り巻きの皆さんが助け船を出してくれたので、ヨハンナは試飲の役を免除された。


「ディーネ様、お気を悪くなさらないでくださいましね、ヨハンナ様は少しショコラに嫌な思い出がおありなんですのよ」


 話せなくなってしまったヨハンナに代わって貴婦人がとりなす。さっきからヨハンナと一緒になってディーネやジークラインを馬鹿にしていた女性だ。どの口が言うのだろうと思わないでもないが、文化的に未熟な宮廷で嫌味や当てこすりのマナー違反を糾弾したって『それの何が悪いの?』と言われておしまいだろう。もしかしたらイジメの概念すら理解していないかもしれない人たちなのだ。これまでディーネにさんざん加えていた嫌がらせも、ちょっとしたエスプリ、お笑い、かわいがりだと思ってる可能性は高い。


 ディーネはそちらの女性にターゲットを移すことにした。


「白い方をご覧になって。こちらは従来の方法で作ったものですわ。ショコラって、もともと固形に近いものだとお思いになりません?」


 この時代のショコラ・ショー……チョコレート飲料は、テクスチャーがかなり硬くて、スプーンを入れると直立するほどドロリとしている。熱したガラスや水あめよりはやわらかいが、生クリームよりはもっとずっと硬い。ファーストフードでよく出てくるシェイク飲料に感じは似ている。


 ここまで硬いともはや飲む、というより、少しずつ食べているような感覚になる。後味も濃いので、水と一緒でないとなかなか飲みきれない。


「でも、黒い方のショコラはもっとサラサラしておりますわよね? これ、固形のショコラを使用しておりますのよ。飲んでいただければお分かりになると思いますけれど、のど越しもとても滑らかなのですわ。こうしてみると、固形のショコラのほうが食用に適しているではないかと思ってしまうほど……」


 ショコラ・ショーの粘度は含まれているカカオバターの量で決まる。

 昔ながらの製法で作ったカカオマスはカカオバターを脱脂していないので、そのままショコラに使うとドロドロになるのだ。


 黒い方の新商品は昔ながらのカカオマスに代わってカカオバターが少なめの固形チョコを使ったというだけのことだが、それでも見た目に大きな変化が出た。


 貴婦人はなんとも答えにくそうだ。あからさまな誘導に乗りたくないという意思が感じられる。


「……そうかしら? 私には黒い方もずいぶん硬いように見えますけど」


 貴婦人の発言を皮切りに、周囲のお取り巻きも口々に同意した。


「どっちもどっちですわ」

「固形のチョコレートを使っているのなら、わたくしはもう結構。身体に悪いというお話をしたばかりではございませんの。公姫殿下もお人が悪いこと」


 こんなものはくだらない、とばかりに貴婦人たちがヒカラを下げさせようとし、周囲もそれに同調しかけた。


ショコラ・ショーの粘度は含まれているカカオバターの量で決まる


中世のショコラ・ショーに含まれるカカオバターの量(約50%以上)に一番近いのはクーベルチュールチョコレート(31%以上)。

ただしクーベルチュールチョコレートはカカオバターがコンチングによってしっかり練り込まれているので、代用品で作った場合のテクスチャーは中世版よりもずっと滑らかだと思われます。(未確認)


https://www.youtube.com/watch?v=pARM7qASfYU

動画の2:00からショコラ・ショーの製作実演

おそらくクーベルチュールチョコレートで製作していると思われます。(未確認)

2:34 龍涎香(アンバーグリス)をすりおろしているのが確認できます。


参考

マリア・テレジア愛飲のショコラ・ショー

材料 ココアパウダー二〇〇~二五〇グラム、

ビターチョコレート四~五かけ(カカオバター六〇パーセント以上のもの)、

バニラ・ビーンズ三~四袋(サヤに入ったもの)、

粗糖(中南米産)大スプーン四、

生クリーム二五〇グラム、

甘口ワイン二五〇cc(スペイン、イタリア、ポルトガル産)、

ミルク五〇〇cc、

シナモン小スプーン一・五~二杯、

バラの花びら二つかみ、

ジャスミンの花びら一つかみ


出典:

関田淳子 ハプスブルク家の食卓 饗宴のメニューと伝説のスイーツ(新人物文庫)(Kindleの位置No.1710-1713)新人物往来社

作り方は要約するとココアパウダーと花びらを一緒に保管しておいて

香りが移ったら花びらを取り除き、

鍋にかけた牛乳にココアパウダー含む各種材料を入れて泡立て器で攪拌

火を止めたらワインを入れる、だそうです。

(正確な手順がお知りになりたい方は出典元を確認してください。)


※ココアパウダーの発明は19世紀、ココアという用語が誕生したのも同時期です。

マリア・テレジアの時代にココアパウダーは存在しませんが、出典元は「女帝夫妻もココアを愛飲した。」と記しており、「ショコラ・ショー」と同じ意味合いで「ココア」の用語を使用していること、上述のレシピが別の本記載のジャスミン・チョコレート(※1)に近い製法であることなどから、おそらくカカオ豆を煎って砕いただけのものを読者さんにも分かりやすく、また再現しやすいよう、便宜的に「ココアパウダー」と意訳なさったものと思われます。



※1 ”トスカナ大公のジャスミン・チョコレート

材料

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―一○ポンド〔四・五キロ〕

摘みたてのジャスミンの花

(中略)

作り方

箱またはそれに類する器に、ジャスミンの花の層と砕いたカカオ豆の層が交互に重なるように入れ、そのまま二十四時間置く。”

チョコレートの歴史 ソフィー・D・コウ P206-207

※傍点は引用者による


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