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バームベルク公爵領の転生令嬢は婚約を破棄したい  作者: くまだ乙夜
書籍発売記念番外編

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ショコラと貴婦人(3/13)


 公爵令嬢のディーネは領地の経営をしているが、近頃妙なうわさをバラまかれて困っている。


 母親は婚約者の皇太子に相談すべきだと言うが、ディーネは気が進まなかった。


 すると、ディーネの気持ちを見透かしたように公爵夫人が言うのだ。


「たぶんあなたは、頼ってばかりいたら、彼の愛情が目減りすると思ってるんじゃないかしら?」


 それはそうだろうとディーネは思う。誰が好き好んで面倒くさい相手と付き合いたいものか。小さな紛争も自力で解決できないような女の面倒まで看ていたのではうんざりもするだろう。


「たぶん、そこから認識違いがあるのかもしれないわ。皇太子殿下はね、ディーネちゃんに面倒なお願いごとをされるのも好きだと思うわ」

「そう……なのですか?」

「だって解決してあげたらディーネちゃんに尊敬のまなざしで見てもらえるでしょう? そういうのってたまらないのよ。特に男の子にはね」

「そうなのでしょうか……」


 ディーネは自分が面倒くさい女だということにかけてはちょっと自信がある。尊敬のまなざしでとはいうが、たぶん現段階でもジークラインのことをすごい人だとは思っているのだ。


 だからこれ以上面倒な女になってはいけないと常日頃から思っているのだが、そうでもないのだろうか。


「ヨハンナはあなたが何をしても気に入らないと思うわ。チョコレートの件だって、やめさせようとしても難しいんじゃないかしら。でも、殿下に相談ごとを持ちかけたらその分思い出ができるのだから、してみたらいいじゃない」


 ――そんな適当な。

 困惑するディーネにザビーネはにこにこしながら続ける。


「解決に向けて殿下とふたりでよく話し合うのはいいことだと思うの。あなたたちはこれからも夫婦として長く付き合っていくのだから、なんでも相談し合えるようになるのはいいことだわ」


 ザビーネは、がんばってね、と結んだ。

 そろそろ外出をするからと言って部屋の外に追い出されたディーネは、とぼとぼと自室に戻りながら疑念をぬぐいきれなかった。


 ――もしかしてていよく追い払われたのかなぁ……?


 母は悪い人ではないが、ちょっといけずだった。


「それにしても好きな相手って……」


 母親にも認めてもらって嬉しいやら恥ずかしいやらのディーネだった。

 ジークラインがディーネの推しであることは間違いないし、常にすごいなーカッコいいなーと思っているが、では彼がディーネをどう思っているかというと、やっぱりまだ一方通行のような気がしてしまうのだ。

 付き合いが長い分、ディーネに情はあるのだろうが、厄介な頼みごとをされたら張り切るよりもめんどくささの方が勝つのではないだろうかと思う。


 彼はディーネのためにはりきってくれるだろうか?


 想像しようとしても、うまくいかなかった。


「でも、相談し合える仲になるのは大事よね……」


 それに関しては確かに母親の言うとおりだ。結果的にどうするのかは自分で決めるにしても、ジークラインにも話をするだけしてみるのもいいかもしれないと思った。


 思い立ったそのときに連絡がつくのだから、転送ゲートはいい文明である。


 あいさつもそこそこに、ジークラインにさっそく事情を説明した。


「どう思います? ジーク様」

「どう、って言われてもな」


 ジークラインは気のない様子で、なんだかぼんやりしている。


「……悪い。いまいちピンとこなくてな」

「分かりづらいところがございました?」

「いや、お前の説明は分かるんだが、こう、経験したことがねえもんはどうにも……」

「ああ……そうでしたわね。ジーク様のことをお嫌いな方なんて宮廷にひとりもおりませんものね……」


 ジークラインの崇拝されぶりはすごい。一歩外に出ればすぐに廷臣たちに取り囲まれ、万歳のコールまで起こるほど人気がある。しかも彼はほとんど軍で過ごしているので宮廷には立ち入らない。宮廷内でのごたごたとは完全に無縁の生活を送っている。


 ジークラインにしてみれば、ディーネが嫌がらせをされて困っている話などというものは、ピンク色のクジラが空を飛んでいた話をされるぐらい意味不明なのかもしれない。


「とにかく、チョコレートの悪いうわさは取り消していただかないと困るのですけれど……わたくしとしましては対話でどうにか解決できないかしらと思いまして……」

「めんどくせえな。つぶしちまえよ」

「た、対話でどうにか……」

「お前が口で言い負かせる相手か? そうだったらとっくにそうしてるよな」

「う……そうですわね」


 ヨハンナと話し合いなど、しようと思うのも馬鹿らしい。


「でも、見込みはないこともないのですわ。要するにチョコレートに毒性がないことを証明できたらいいのですわよね? 議論まで持ち込めたらなんとか……」


 問題はどうやって議論の場まで持ち込むかだ。話し合いの場につけと言われても彼女はまず出てこないだろう。そうなるとディーネが彼女のサロンまで出張していくことになるが、そこでまともに発言をさせてもらえるかどうかは非常に疑わしい。何も言えない状態で一方的にイジメられる可能性が高い。


「お母さまがおっしゃるには、ヨハンナ様はショコラに毒を入れられたことがあるのだそうですわ」


 ショコラ飲料は風味の強いスパイスを大量に使う。そのため毒殺に使われやすい。一度ショコラで死の淵をさまよって以来、彼女は一切ショコラを採らなくなってしまったのだとか。


「もしかしたら、ヨハンナ様のショコラ嫌いはトラウマが関係しているのかもしれませんわ」

「トラウマ……?」

「一度嫌な思いをすると、いつまでもいつまでもそのときの記憶が邪魔をする現象でございます。もしもそうなのだとしたら、ショコラを排除しようとしたお気持ちも少し分かるような気がして……」


 死にかけた原因の食品が身近にあふれていたら、落ち着いて生活できないだろう。嫌いなら食べなきゃいいのに、などと言われても難しいのだ。とにかく目につく範囲から排除してしまわないと気が済まない――となる人もたまに存在する。


「でも、ヨハンナ様にとっては、わたくしもショコラと同じぐらい嫌いな存在でしょうし、どうかしら……」


 難しいかもしれないなと思って、ディーネはため息をついた。


「……わたくしの目論見通りにことが運ぶかは分かりませんけれど……」


 それでも、ディーネはヨハンナのサロンまで出張してみたいと思う、別の理由があった。


「でも、わたくし、一度あの方にはぜひともご注進申し上げたいことがあるのですわ」


 だってディーネは、ヨハンナからあれもこれも言われっぱなしで終わってしまったのだ。

 彼女はきっとディーネがジークラインとの婚約を破棄して退場すれば満足しただろうが、結果的にそうはならなかったので、この先も突っかかってくる可能性はある。


「いくら意地悪したって無駄なんだって、言ってやりとう存じます」

「それで事態が解決すんのか?」

「しませんわ。でもわたくしがすっきりいたします!」


 ディーネがぐっとこぶしを握って言うと、彼は声を出して笑った。


「……いいんじゃねえか? やりたきゃやってみろよ。骨は拾ってやる」

「ジーク様っ……!」


 ディーネはジークラインの細かいことを気にしないところが好きである。


 ひとまず直接乗り込んでみようか、というところで話がまとまった。


 ヨハンナが邸宅を解放している日はすぐに調べがついた。彼女自身が大々的にいろんな貴族へ声をかけているからだ。

 そこにディーネが乗り込んでいったって、特に問題はないだろう。

 びっくりさせてやろうと思い、電撃訪問することにした。


***


 ジークラインと一緒に彼女の邸宅の前までやってきて、ディーネは深呼吸した。どんどん進むジークラインに待ったをかけて、ずっと考えていたことを口にする。


「ジーク様にお願いしたいことがございまして」


 そうは言ってみたものの、まだディーネはためらっていた。はたしてこんなことをお願いしてもいいものか。いくらなんでもくだらないと怒られやしないだろうか?

 後ろめたくて、ディーネがこわごわ背の高い彼を見上げると、わしわしと頭を撫でられた。この動作、髪のセットが壊れるので実はあまり好きではなかったりする。しかし今は雑な俺のもの扱いに笑えてしまって、肩から力が抜けた。


「手を、つないでいてほしいのです。できれば、会合が終わるまで、ずっと」


 ものすごく子どもっぽいお願いだと、ディーネは思う。


 そもそも宮廷社会は不倫文化なので、夫婦がどこに行ってもべったり、というのは物笑いの対象になる。


 公私の区別もつけられないのかと思われることは間違いない。


 宮廷社会では、夫婦が仲良くすることはマナー違反。恋愛の相手も配偶者とは別に、赤の他人を選ぶべき、と言われている。


 だから、ジークラインが苦笑したのも無理からぬことではあった。


「まったく……お前、俺を誰だと思ってやがる」

「う……やっぱり、問題ですわよね……」


 彼は若い身空で将軍職についている。その功績から、帝国民の心の拠り所として担ぎ上げられてきた、我が国が誇る『軍神』だ。


 軍隊などという序列至上の男社会で生きるに当たって、常人とはかけ離れた天才のイメージを武器にしてきたジークラインが、婚約者の少女とお手々つないで仲良しこよし、だなんて、致命的なマイナスイメージになりかねない。


 危険な願いだということは彼だって知っている。

 それでもジークラインはまじめくさってディーネの手を取った。


「いつも言ってるだろ、俺に不可能なんざないってな。お前の願いはすべて叶えてやると決めている。なにしろ俺は……」


 ――寛大だから?


 いつもなら、そう結ぶところだ。天才で何一つ欠点のない彼は、婚約者の少女にも最大限の譲歩をする。そういう話し方が彼の持ち味であり、ディーネがうんざりしつつも仕方がないかと思っている部分でもある。


 続く言葉をぼけっと想像していたディーネに、ジークラインは上半身をかがめて近寄った。


「……お前を深く愛しているからな」


 心臓が止まるかと思った。

 今までにない切り口である。


 あうあうと無様なうめき声をもらしているディーネの手をしっかりと引いて、彼は余裕の足取りでみんなが待つ広間へと入っていった。


毒殺に使われやすい

”ヨーロッパ中で、強い風味を持つチョコレートが、密かに毒を仕込むのにうってつけの食品と見なされるようになった。”

チョコレートの歴史 ソフィー・D・コウ P194



恋愛の相手も配偶者とは別に、赤の他人を選ぶべき

”アンドレアス・カペルラヌスの『愛の技法』は、一一七〇年から一一七四年頃にポワティエにいた、王妃エレアノールの宮廷を舞台にしている、と言われている。(中略)

宮廷風恋愛と夫婦の関係についても、第七の対話で扱われている。(中略)シャンパーニュ伯夫人は、恋は夫婦の間に存在しうるかという問いに対して、恋は結婚した二人の男女の間ではありえない、という裁定を下した。”

西洋中世の愛と人格―「世間」論序説 阿部謹也 P212


※アリエノール・ダキテーヌの宮廷で発展した宮廷風恋愛の価値観はイギリス・ドイツをはじめとしてキリスト教圏の宮廷に広く普及しました。

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