ショコラと貴婦人(2/13)
公爵令嬢のディーネは領地の経営ついでにケーキ屋などもやっている。
その日は地方のお店の視察に来ていた。
いつもなら人で賑わうはずの時間帯だが、お店は閑古鳥が鳴いていた。がらんとしたオープンカフェにさびしく寒風が吹きすさぶ。
――どうなってんの……?
慌てたディーネがお店の中まで入っていって、帳簿の記録を確認する。店長の話によるとしばらく前からずっとこうなのだということだった。
「どういうこと? 断食期間中よね? あったかいコーヒーとかが売れる季節じゃない?」
バームベルクの暦的には、今は農閑期。すべての農作業が終わった冬の時期に人類が何をするのかというと、たいていはお祭りが企画される。地球史でいうところのクリスマスとかカーニヴァルというやつだ。
バームベルクの場合はお祭りの前後に断食の期間がやってくる。断食といってもすべての食物を断つわけではない。祝祭のあとは肉食断ちをして、冬の備蓄食糧を浪費しないようにするのだ。
――チョコレートは体に悪いってうわさが広がっているのよ。
ザビーネからそう話を聞かされたとき、ディーネもまさかと思ったのだが、どうやら本当らしい。
ショコラ・ショー、チョコレートケーキ、ナッツ入りチョコレートと、チョコの関連商品が軒並み売れなくなっている。
本来であれば、今の時期――断食期間中には魚やワイン、コーヒーチョコレートがよく売れる。肉がダメだから魚というのはまだしも、なぜワインやコーヒーが売れるのかというと、それが聖職者お墨付きの食べ物だからなのだった。
コーヒー・ショコラは聖職者御用達だ。彼らはミサの前日夜から一般人よりも厳しい断食を行う。食物の一切を口にしないのだが、コーヒーとショコラは飲み物なので、断食中にも採ることを許されているのである。
断食の期間は同時に禁酒期間でもある。一般市民も聖職者と同様、ワインとともにコーヒーやショコラなら採ってもいいとされているので、この時期は酒場への出入りが減り、カフェが繁盛する。とくにこの冬は断食期間中にも食べられる甘いもののレシピをディーネが工夫したので、秋や年末の成功例を考えればお客はもっと入ってもいいはずだった。
ランダムで数軒回ってみたところ、どこも同じようにガラガラだった。
「マッズいわ……対策が必要ね。どうしようかしら……」
母親の公爵夫人がにこにこしながら言っていたことを、ディーネは必死に思い返してみた。
チョコレートに関する悪いうわさは皇宮の外が出所のようで、ザビーネにも詳細がよく分からないらしい。ただ、ヨハンナが関係しているかもしれない、とのことだった。
ヨハンナは皇宮によく出入りしていた貴婦人だ。今風に言うならインフルエンサーで、社交界に大きな影響力のある女性だったが、去年の暮れに皇宮を追放されてしまった。
そのおかげもあってか、ディーネは皇宮の催し物でヨハンナと顔を合わせることがなくなり、快適な年末年始を送ったのであった。
ヨハンナは皇宮を追い出されて以来、冬の大祝祭にはどれも参加していなかったから、今頃どうしているのだろうなとディーネも気になっていた。
母親のザビーネによると、どうやらヨハンナは自分の領地で小宮廷を開いているらしい。おいしい料理やヨハンナ自身の魅力的なトークなどで客を惹きつけて、まるで第二の皇宮のような状態なのだそうだ。
その話を聞いてディーネは素直に感心した。ヨハンナにそれほどたくさんの人をひきつけられるほどの才覚があるとは知らなかった。どうやら人望があるのは本当のことらしい。年末年始の祝祭はとくに人出が減ったようにも見えなかったのでディーネは気がつかなかった。ヨハンナも一応皇宮の動向には気を遣っているらしく、皇宮の催し物との重複は避けて、平日の決まった曜日に邸宅を解放しているとのことだった。
――あぁ、要するにサロンね。
宮廷以外での女性主催の催し物には、地球史ではサロンという立派な呼称がついている。
ともあれ、ヨハンナが皇宮から若い女性をメインに自宅へ引っ張り入れてしまったので、皇帝陛下もつまらないと愚痴を言っていたのだそうだ。
なるほど、とディーネは思った。天の岩戸伝説ではないが、皇宮に入れてもらえないなら皇帝に戸口を開けてもらえるまで騒いでみるのも一興だ。
――そうそう、ディーネちゃんが差し入れしてくれた新作のチョコレート? 皇宮でもとっても評判がいいわよ。身体に悪いだなんて嫌なうわさよね。そんなものを流してヨハンナは何がしたいのかしら?
ザビーネの話はそれで終わりだった。
ヨハンナが何を考えてチョコレートのネガキャンをしているのかは不明だが、放っておいていい規模でなくなりつつあるのはお店の状態を見ても明らかだった。
「どうしたもんかしら……」
一晩考えてみて答えが出なかったディーネは、もう一度母親に相談してみることにした。
「お母さまは、どう思います?」
「そうねえ……」
ザビーネは首を傾げて、やすりをかけていた爪の先にふうっと息を吹きかける。
「殿下にご相談するのはどうかしら?」
「ジーク様に?」
思いもよらないようなことを言われて、ディーネは少し困ってしまった。
「でも、これは女性同士のことですわ」
いずれディーネが皇太子妃になり、皇妃となった暁には、自分の采配で宮廷をコントロールできるようにならなければいけないのだ。
小さないさかいの解決まで彼に頼って、この先もやっていけるのだろうか?
「なんでもかんでも頼ってばかりなのは……」
「またそんなことを言って……仕方がないわね、ディーネちゃんにいいことを教えてあげる」
ザビーネは爪やすりを置いて、にっこりした。
「たぶん、皇太子殿下はね、好きな女の子に頼ってもらえたらとっても喜んではりきっちゃうタイプの男の子よ」
ディーネは目をぱちくりさせる。
「す……え……好きな……?」
「そうよ、ディーネちゃんのことよ。しっかりなさいな」
「え……ええ? そ、そう……?」
「誰が見てもそうよ。分からない子ねえ」
思考停止してしまったディーネに、ザビーネがほのかに笑う。
「……あなたが殿下に頼ってはいけないと思うのはどうして?」
「それは……」
「たぶんあなたは、頼ってばかりいたら、彼の愛情が目減りすると思ってるんじゃないかしら?」
「ええと……」
コーヒー・ショコラは聖職者御用達
”教皇はコーヒーに洗礼を授け、キリスト教徒の飲み物としました。”
出典:http://coffee.ajca.or.jp/webmagazine/wonderland/87sekai9
ショコラは飲み物なので、断食中にも採ることを許されている
”要するに、チョコレートは飲み物なのか食べ物なのか、そこが問題なのだ。(中略)もし、飲み物であると同時に食べ物でもあるのだとしたら、まじめなカソリック教徒であれば、聖体拝領に先立つ真夜中からの断食(一九五八年に第二回ヴァティカン公会議によって一時間に短縮された)や、四旬節〔聖灰水曜日から復活祭前夜までの四十日間〕をはじめとするさまざまな断食日には、チョコレートを口にすることができないはずだ。
この論争は、聖職者や平信徒、それに時には教皇まで巻き込んで、二世紀半にわたって続いた。”
チョコレートの歴史 ソフィー・D・コウ P209
サロン
17世紀~20世紀初頭に開かれた女性中心の会合を指す用語ですが、場合によってはそれより以前の女性を中心とした文学的・芸術的な宮廷文化のことを便宜的にサロンと翻訳することもあるようです。
”アデラの私室のように、王侯貴族の夫人や子女の私室は、私的な空間ではなく、文芸のサロンであり、作品の生まれる温床であり、文芸の保護者を任じる貴婦人たちが自分の才能を存分に発揮する場所であった。彼女たちはここで友人をもてなし、スパイス入りのぶどう酒を飲んだり、チェスに打ち興じた。詩人や芸術家を招き、詩作させ作品を創らせた。”
※アデラはウィリアム征服王(1027年 - 1087年)の娘
イギリス中世の女性たち 石井美樹子 P212




