ショコラと貴婦人(1/13)
公爵令嬢と皇太子の婚約破棄騒動が落ち着いて、冬の寒さもひとしおの季節。
公爵令嬢のディーネは皇太子ジークラインと以前のような交際を再開した。
「ジーク様! お久しぶりでございます!」
ディーネがジークラインの部屋に来て早々言うと、ジークラインは苦笑した。
「いや、三日前も会っただろ」
「もう三日も経ったのですからお久しぶりですわ!」
婚約破棄を願い出る以前、公爵令嬢が婚約者の少年に夢中だったのは周知の事実である。前世の記憶を取り戻し、婚約破棄を考えるようになる以前には、こうして毎日のように自主的に押しかけてきていた。好きな人の顔は毎日見たいし毎日相手してほしい。とくだん話すことがなくったって、ちょいちょいと髪飾りのあたりでもいじってもらうと良い気分なのである。
「お。今日は毛皮が載ってんな」
「冬なので暖かくしてみたらしいのですわ」
「おーおー。そんじゃ跳ねてみろよ。うさぎみてえに」
「えぇ……」
――かつあげかな?
別に跳んでも小銭の音なんてしないぞと言いたいディーネだった。
「何ですの、それ。馬鹿みたいってことですの?」
今日の服装はディーネ自身もちょっと子どもっぽかったかなぁと思わないでもない。白いうさぎのファーを髪飾りにする大人の女性はそういないだろう。ジークラインがどちらかといえば大人っぽい服装好みだったことを思い出し、しゅーんと頭を下げたら、笑われてしまった。
「馬鹿。ちげえよ。わかんねえか? かわいいからうさぎと見違えるって褒めてんだよ」
ぱぁーっとなったディーネが伸びあがって背の高いジークラインを見る。百万回見ても見飽きないジークラインの男らしい美貌がそこにはあった。目と目を合わせて微笑み合う。たったそれだけのことがうれしくってしょうがない。
「胸を張れ。お前は世界で一番いい女だ」
――好き……っ!
婚約破棄騒動からこっち、ジークラインはディーネにやたらと甘くなった。まだまだ話し方やたとえが大げさすぎて照れてしまうこともあるけれども、最近はちょっと意識しているのか、喋り方もだいぶ落ち着いた、ような気がする。
感激したついでにハグも要求しそうになったが、ディーネはなんとか踏みとどまった。まだ婚約中の身空に、いい若い娘がすることではない。実際にはちょくちょく、いやかなり頻繁にハグだのチューだの要求してはいるものの、やはりよくないという認識はあった。
交際は清く正しく美しく。
触りすぎは健康な男子であるジークラインのためにもよくないであろう。多分。
抱き着く寸前、おしとやかに適度な距離を保って止まったディーネを見て、ジークラインが不思議そうな顔をする。
真面目な話をしているのでなければ、ディーネたちはいちゃいちゃして過ごしている。
踏みとどまったディーネを彼が不審に思うのは無理からぬことであった。
「……なんだ? 今日も水道の話か?」
「いえ、今日はとくに、そういうのでは……」
「じゃあ来な」
ディーネはうっとなる。行きたいのはやまやまだったが、あんまり距離感がないのも考えものだとついさっき踏みとどまったばかりなのだ。
「わたくし反省したのですわ。ジーク様がおやさしいからといって、あんまりご厚意に甘えてベタベタするのはよくないって……」
ディーネがもごもごと要領を得ない説明すると、ジークラインの笑顔に後ろめたそうなものが混じった。
「いや、まあ……お前が何考えてんのかは分かるけどよ」
「わたくしちょっと考えなしでしたわ」
自分がああしたい、こうしたいばかりではいけないのである。
微妙な沈黙がふたりの間を埋める。
雄弁なジークラインにしては珍しく言葉に詰まった様子で、手持ち無沙汰に耐えきれなくなったのか、彼はディーネの頭をわしゃわしゃと撫でた。
***
「ディーネ様が皇太子殿下大大大だーいすき! なのは存じておりますけれどもねえ……」
筆頭侍女がため息をつくので、ディーネは恥ずかしくなってぐちゃぐちゃの髪の毛を手で隠した。
「だってこれは! ジーク様が!」
「毎回毎回どうしてそんなにヘアセットを乱してお帰りなんしょうね? もしや人に言えないような……」
「ち、ちがいますー! なんでもないですー! 変な想像しないで!」
うさんくさい目で見られてディーネは対応に四苦八苦だった。
「私だって知らないよ……なんかあいつ髪の毛いじるの好きみたいなんだよね」
ジークラインに引き抜かれてしまった毛皮留めのヘアピンをバラバラとポシェットから出す。
「たぶんあれ、おもちゃにじゃれてるんじゃないかなぁ……イヌマとかと一緒ね」
弟たち同様、小さい男の子は揺れ動くものや光るものが好きである。ジークラインもそうなのだとしたら十八にもなってみっともないが、それがまたかわいいような気もするディーネだった。好きな相手だから『かわいい』の判定がユルユルなのである。
「あらあらまあまあ。仲良しさんなのねえ」
のんびりおっとりした女性の声がする。
声のしたほうを見やると、ディーネの母親、公爵夫人のザビーネが入ってくるところだった。
「でもねえディーネちゃん、あんまり激しいのはよくないと思うわ」
少女のような外見のザビーネが無邪気に言うので、ディーネは一瞬何のことだか分からなかった。
「ち、違うんですのよ、これは!」
「公爵さまが泣いてしまうわ。あら、喜ぶかしら? ちょっと分からないわね。ひょっとしたら泣いて喜ぶかも?」
「お父様ってどうしてそんなにジーク様がお好きなんですの……?」
下手をしたら娘のディーネよりも好きなのではないだろうかと彼女は思う。
「わたくしにも分からないわ。なにかそういう魅力のある方なのね、皇太子殿下って。そこはディーネちゃんのほうが詳しいのではなくて?」
おっとりとディーネに微笑んだ公爵夫人は、「そうそう」と話の腰を折った。
「ディーネちゃんにお話があるの。少し耳に入れておいてあげたいことがあって。実は……」
ザビーネの持ってきたお話は衝撃的なものだった。