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完結記念番外編 皇太子殿下の信頼と実績


 公爵令嬢が皇太子との婚約破棄を『やっぱりやめた』で元通りにし、しばらく経った頃。


 公爵家の娘、ディーネはすっかりふぬけていた。以前はこんなにつらいのならもういっそ婚約なんて破棄してしまえばいいと思うぐらいに追いつめられていたが、今はもうそんなことはない。


 皇太子とも仲直りをしたので、面会もすっかり苦痛ではなくなった。なのでディーネは皇太子のもとにせっせと通い詰めている。


 その日の空中庭園はよく晴れていて、絶好のピクニック日和だった。


 皇太子がどこやらから取り寄せたという上質なロゼワインを出してくれたので、試しに飲んでみたらこれが本当においしい。それでディーネはいい気分でどんどん杯を空けた。


 ここはふたりだけの秘密基地なので、小姓たちの目を気にしなくていい。酔いも手伝って、ディーネの口も滑らかになり、とりとめもなく色んなことを話した。ジークラインは辛抱強く聞いてくれたが、よくよく思い返してみると、彼が話を聞いてくれなかったことはあまりない。それでますますいい気分になって、子どものように思ったことを口にする。


「ジーク様、お慕いしております」

「ああ。俺も愛しく思っている」


 ディーネはもうすっかり上機嫌で、ゆるみきった頬に両手を添えた。こういう茶番のようなやり取りを、ちょっと前までのジークラインは絶対にやってくれなかったのだが、最近は言えば言っただけ返事をくれる。なのでディーネはすっかり骨抜きにされていた。


 もともとディーネは皇太子が好きすぎるあまりに暴走するはた迷惑なタイプだったのだが、最近はそれに拍車がかかっていると言ってもいい。人目があるところではセーブしているものの、ここは誰にも気兼ねしなくていいので、つい気も緩みがちになる。


「ジーク様、お手をお貸しくださいまし」


 テーブル越しに手を取り合って、指を絡めてぎゅっと握る。


「まあ、大きな手ですのね」


 彼の手の大きさに感心しては、ひとりでニマニマしてしまう。


 ディーネは楽しくて仕方がないのだが、ジークラインはそうでもないらしく、彼はさすられてるほうとは逆の手で頬杖をついて、うつむいてしまった。


「……ジーク様? お疲れですの?」

「ああ。まあ、疲れてはいるな」

「また忙しくしてらっしゃるんですか? 今度は何が?」


 仕事で何かあったのだろうかとディーネは心配になる。しかしジークラインは特段話す気がないのか、何も答えなかった。


 代わりに、ぽつりとつぶやく。


「眠くなってきた」


 ディーネはちょっと悲しくなった。せっかくふたりで会っているときに、退屈だといわんばかりの態度を取られるとさすがに傷つく。

 しかし彼が忙しい身なのは確かなので、あまり顔に出さないように気をつけた。


「無理はよくありませんわ……今日はもうお部屋にお戻りになったほうが」

「いや。少し寝れば大丈夫だ」


 寝るためには部屋に戻ったほうがいいのではないかとディーネがぼんやり酔った頭で考えていると、ジークラインはつないだ手をくいっと引っ張った。


「……一緒に寝ないか?」


 騎士が姫にするように、手の甲にちゅっとされる。


 ディーネはさーっと酔いが醒めた。

 酔っていても、言葉通りの意味にとるほど正気は失くしてなかった。


 何か言おうにも、びっくりしてしまって、うまく声にならない。断るとかいう以前に、まず、いつも紳士的なジークラインが含みのある誘いをしてきたことに驚いてしまって、真っ白になった。


「……わ、たくしは、眠く、ありませんけど……」


 天然ボケもいいところの返事だとわれながら思いつつ、なんとかフォローせねばと頭をひねる。


「……せっかくご一緒しているのですから、わたくしはもっとお話がしたいですわ」


 ジークラインはそうかとだけ答え、ディーネの手を放した。

 ディーネは食い下がられなかったことにほっとした。緊張が解けるとまた開放的な気分が戻ってくる。まだまだ話したいことはたくさんあったので、楽しくお話をしてその日の面会を終えた。


 ――それにしてもあれって何だったんだろう。


 ジークラインの誘いは実に唐突だった。あまりにも不自然だったので、もしかしたらディーネの意識しすぎ、考えすぎだったのではないかという気さえしてきた。ただの添い寝の誘いだった可能性も捨てきれない。


「ディーネさま、今日のジーク様はいかがでしたの? やっぱり男前でいらっしゃいました?」


 侍女のレージョがお菓子をポリポリしながら雑に聞いてくる。

 ディーネの家の侍女たちは割とフリーダムに生活を送っているのだ。週休三日ぐらいで寮完備、実家に帰るときは交通費分の魔法石支給なのでゆとりのある余暇が送れる。なんならホワイト公爵家と呼んでもらっても構わない。


 主人が外出するときには侍女もついてくるのが普通だが、ジークラインは女性を自分の部屋に入れたくないと言って、ディーネしか来させないようにしている。

 ――もっと言うと、そういう要求が簡単に通ってしまうぐらい、ジークラインは公爵から信頼されている。


「今日は眠そうだった」

「いいですわねー、眠そうなお顔、わたくしも拝見してみたいですわぁ」

「あと、一緒に寝ないかって誘われた」


 レージョは手にしていた薄焼きの小麦粉菓子をのどにつめて、盛大にむせた。


「……大丈夫?」

「だっ、大丈夫も何もありませんわ! 本当なんですの、ディーネ様!?」

「うん」

「本当に『寝ないか』っておっしゃったんですの?」

「そうだけど……」

「直球ですわぁ! なんて男らしいのかしら! 殿下らしいお誘いですのね!」


 それからハッとして辺りを見渡す。


「今のお話、ジージョさんに聞かれたら大変なことになっておりましたわね……大声など出したりして失礼いたしました」

「あ、いや、いいけど……たぶん、あいつも、深い意味があって誘ったわけじゃないと思うし……」


 レージョは変な顔をした。チンピラみたいに口をゆがめてディーネにガンを飛ばす。


「天然ちゃん路線ですの? いやですわ、今どき流行りませんわよ、無知っ子なんて」

「無知っていうか……だって、ジークだよ? むしろ深い意味があるほうが驚くっていうか……」


 なにしろ相手はジークラインだ。十年来の付き合いの婚約者にもほとんど手を出さないできたという、信頼と実績の皇太子殿下だ。

 ディーネは信用するのを通り越して、もはや彼にはディーネが魅力的に見えていないのだろうというところまで認識が行っていた。色気があるかないかで言われたら、おそらくはまったく『ない』ほうなのだろうとディーネ自身も思うほどだ。華奢で人形のようといえば素敵だが、つまり起伏がなくて女らしさに欠ける。寄せてあげても大平原で、肉づきに乏しい太ももは枯れ木も山の賑わい。体型がはっきり分かる服を着ていても、色っぽさより痛々しさが先にくる。どこからどう見ても永遠の少女体型だ。


 なるほどこの娘に好かれまくったからといって、妙な気を起こすわけもないだろう、そりゃあパパ公爵も絶対の信頼を寄せるだろう、と自嘲的に悟るところまでいってしまったディーネには、なかなかジークラインの行動理由が飲み込めないでいた。


「何をおっしゃいますの。ジーク様だって健全な殿方ですのよ」


 レージョのコメントで、だんだんディーネにも実感がわいてきた。


 言われてみれば、空中庭園の廃墟にはなぜか、隅の方にベッドが置いてあった。ふだんからサボりに来ているのだというジークラインの説明を真に受けて気にもとめていなかったが、ベッドはしっかりメイキングされて、シーツがかかっていた、ような気がする。酔っていたのでよく覚えていないが。


 ジークラインからお酒をすすめられたのも、わりと珍しいことではある。

 もしかすると最初から狙っていたのかもしれないというところに思い至って、ディーネは今さらながらに気恥ずかしくなってきた。


「それでディーネ様はなんてお答えになったんですの?」

「眠くないって言ったら、普通に流れた」

「まあぁー……よかったような残念なような……でも、しつこく誘ったりしないところもまた潔くて男らしゅうございますわぁ……」


 そう。まさに、よかったような残念なような、だ。

 好きな相手なのでそれはもちろんうれしくないわけではないが、このガッカリ体型を白日の下に晒すのかとか、まだ結婚前なのにとか、いろいろなしがらみが思い起こされるせいで、なんだかどうにもままならない。


「……どうすればいいと思う? その……もし、次も同じようなことがあったら……」

「それは……もちろん、ディーネさまのお気持ち次第ではございません?」

「気持ちっていわれても……」


 ディーネとしては、今が一番楽しいと感じる。お話をして、目を見て微笑み合って、手をつないだり、たまに抱きしめてもらったりするととてもいい気分になれる。


 そういうふわーっとした気分を味わうのは好きだけれど、添い寝をするところまで行ってしまうと、あんまり楽しくなさそうだなと思ってしまう。なにしろディーネは残念なのだ。触り心地とか、見た目の形状とかが。せっかく楽しくお付き合いをしているのに、はやばやと幻滅されてしまったらとても悲しい。そういう嫌なイベントはもうちょっと後にしてもらいたい。具体的には結婚をしてしまって、もう後戻りできないところまでいってからとか。


「……手をつないだりするのは好きなんだけど、その……あんまり、恥ずかしいこととかはやだなーって……」

「でしたら、ぜひそう素直に仰せになるべきでございます。ジーク様なら分かってくださいますもの」

「……うーん、そうだね。そうする。ありがとう」

「うふふ、今日のお話はわたくしとディーネさまの秘密にしておきますわね」


 レージョとこっそり笑いあう。他の侍女たちはそれぞれクロゼットや応接間などで思い思いの作業をしていた。

 どこか遠い目をしたレージョがしみじみと言う。


「ほーんと、ディーネ様がうらやましいですわぁ。素敵な結婚相手がいらっしゃって……」

「レージョもお見合いする?」

「わたくしは結婚したくありませんもの。お忘れですの?」

「ううん……覚えてるけど」


 ディーネとレージョの付き合いはかなり長い。

 初めて出会ったのは六歳のころ。

 レージョは名門伯爵家の末娘で、本人が言うには、政略結婚をした姉たちの不幸を見て育った、らしい。家のためなら子どもを不幸にすることもいとわない伯爵夫妻が次に目をつけたのは、皇太子とすでに婚約を済ませたディーネだった。未来の皇妃と親密なお付き合いをするよう言いつけられたレージョはその当時まだ七歳。親の思惑など半分も理解できていなかった、と彼女は当時を振り返る。ただなんとなく親に連れられて遊びにいったら、自分ごのみの金髪の女の子がいたのだ、という。


 レージョのごっこ遊びに付き合わされ、ディーネは縦ロールにするための焼きごてで髪の毛を焦がされたり、ドレスに見立てた布で簀巻きにされたりと、けっこうろくでもない目に遭わされた。しかし、まったく悪気がないレージョと、相手を責めるという発想がないディーネはすっかり意気投合してしまい、彼女を侍女に迎え入れて現在に至る。


「わたくし、結婚なんかしたくありませんもの。この侍女の仕事は天職だと思っておりますの」

「服のデザイン好きだもんね、レージョ」

「ディーネさまの侍女でなければ、お針子なんて、お父さまは絶対にお許しにならないはずですものね」


 ディーネにはレージョの家の事情はどうこう言えないが、お針子が貴族の仕事じゃないと思われていることは確かだ。


「ですから、ディーネさまがうらやましいのですわ。執事さんたちと一緒に働いているディーネさまはイキイキしていらしてとっても素敵で……わたくしもディーネさまみたいに、お職を持てたらよかったですのに……」


 なるほど、とディーネは思った。

 やりたいと本人が言っているのなら、やってもらうのもいいかもしれない。


「……まだ内緒にしててほしいんだけど、実はね、そのうち織物も作ろうと思ってて」


 彼女は目を丸くしている。


「どんな柄を入れて、どんな風に染めて、どんな服を作って……ってのを決めるとなると、どうしてもセンスがいるじゃない? 私、流行には詳しくないから、もしかしたらレージョのアドバイスがいるかも」

「まあ……でも、わたくし、布のことなんてよく分かりませんわ」

「大丈夫、みんな最初は何にも知らないんだから。あなたの服をたくさんの人が着る未来も、そう遠くないうちに来るかもね」


 レージョはちょっとはにかんだ。


「……そうなったら、どんなに素敵でしょう」

「なるなる、絶対なる。でもごめんね、待っててね。がんばって開発進めてるから」

「待ちくたびれておばあちゃんになってしまいそうですわね」

「そこまではかからない、と、思う、たぶん……」


 レージョとそんな会話をしたせいか、急に仕事で積み残していたことが気になりだし、ディーネは執務室へと向かった。


***


 後日、ふたたびジークラインと連れ立って空中庭園に行ったとき、ディーネはついベッドを横目で確認してしまった。明らかに未使用の、きれいなシーツと毛布がかかっている。


 ジークラインがいそいそと用意したのだろうかと考えて、ディーネはあやうく笑いそうになった。こまかいというべきか、律儀というべきか、どちらにしろ嫌な感じはしなかった。


 そういうつもりで見てみると、どことなくジークラインの挙動もそわそわしているように感じるからおかしい。

 図体が大きくて威張りくさっている男に対する感想ではないだろうが、かわいいとしか言いようがない。


「ねえ、ジーク様。わたくしはジーク様とこうしていられるだけで幸せですわ。できればいつまでもこうしていたいくらい」


 ディーネが笑いながら言うと、ジークラインは何を勘違いしたのか、首もとに腕を巻き付けてきた。


「……いりゃあいいじゃねえか。帰りたくないんなら、ずっと俺のところにいればいい」


 ――誘われてる……よね?


 じゃれつかれるのは好きなので、されるに任せることにすると、後頭部にチューされた。くすぐったいやら恥ずかしいやらで変な笑いが出たが、嫌悪感は覚えなかった。


「朝になったら送ってやんよ」


 朝まで一緒。もろもろのしがらみは置いといて、楽しそうだと思ってしまう。


「いけませんわ、ジーク様。お父様に叱られてしまいます」

「心配すんな。俺がうまく言ってやる」


 熱心に言われて、ディーネはなぜかいい気分になった。主導権が自分にあると分かっているからか、まったく危機感は覚えない。それどころか、もっとお願い事をされてみたいと思ってしまう。


 側頭部、こめかみ、耳と順繰りにキスを受けて、ディーネはくすぐったくなった。後ろ髪を引かれる思いだったが、このままではいけないという意識もちゃんと残っていた。


「わたくしは、こうしているのが好きなのですわ。ですから、このまま・・・・がいいのです。あんまりたくさん触られると、恥ずかしくなって、帰りたくなってしまうのでございます」


 さっきからディーネをぎゅうぎゅうに抱きしめていたジークラインは、ギクリとして動きを止めた。


「恥ずかしいのは、まだ嫌かなぁって……」


 ジークラインはそろそろとディーネを離した。爆発物でも取り扱ってるのかと思うぐらいビビりの入った動きで、そろーっと離れる。


「ジーク様のことは、とってもお慕いしているのですけれど……」


 とどめのフォローが効いたのか、ジークラインは何とも言えない罪悪感にかられた顔でディーネを見降ろしていたが、やがてぽんぽんと頭を撫でてくれた。


「愛してるから、今のは忘れろ。昨日の続きでも聞かせてくれ」


 おかしいやらかわいいやらで、ディーネは笑いそうになった。力では絶対に敵わない、図体の大きい男がディーネの言動に振り回されているのだと思うと、なんだかいけないことをしている気分になってくる。


 ――帝国の皇太子と公爵令嬢のお付き合いは、順調に続いている。


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