終わりの告白
――えっ……?
ディーネは聞き間違いかと思った。それでなくともほとんど聞こえないぐらいの大きさだったから、反射的に気のせいだと思いそうになった。
「俺の人生には当たり前のようにお前がいて、この先もそれが続くと思っていた。ガキの頃からずっとお前の喜ぶ顔を見るのが好きだったし、それで満足だった」
ジークラインがぼそぼそと喋っている。おそらく告白が恥ずかしいのだろうが、聞かされているディーネもたまったものではなかった。
――何それ何それ全然知らないんですけど!
「お前は俺のものだと思うと気分がよかった。懐いてくれるお前が可愛いと思いこそすれ、他の女がいいなんて考えたこともなかった」
小さな頃のジークラインが、俺の女俺の女とやけにうるさく言っていたのはディーネも覚えている。この男は何につけても誇らしげなので、そこに特別な意味なんてないと思っていた。
「お前が懸命になって俺の後をついてこようとするのも最高だったな。できもしねえくせに、必死になって魔術まで勉強してやがってよ。もどかしいからつい手を貸してやりたくなるんだ。お前がちょっとずつ上達してくのも、何かこう、子犬の成長でも見てるみたいでよ」
――犬って。
対等な立場だと思われていないことは知っていたが、幼なじみの成長を犬に例えるとは、どこまで傲慢なのだろう。
しかし当人に悪気はないらしく、ジークラインは引き続き照れくさそうに口を開いた。
「いつだって、俺が一番に助けてやりたいと思うのはお前だよ。帝国の民を守って戦うときにも、決まってお前を思い浮かべる。他の、大多数の人間の行く末は気にならなくても、お前のことだけは放っておけないんだ」
信じられない台詞がずらずらと続き、ディーネは完全に固まった。
「婚約を解消してやりゃあお前がこれからの人生を笑って過ごせるってんなら、それでもいい。解放してやるのがお前のためだと思うことにした。その、つもりだった」
理解が追いついていないディーネを置き去りにして、ジークラインはなおも続ける。
「……ところがどうだ。割り切れねえからこうして無様に喚いてる。俺の率直な気持ちだ? そんなもん初めから分かりきってるじゃねえか。嫌なんだよ、俺は。お前を手放すのも嫌なら、女々しい泣きごとを聞かせるのも嫌で嫌でしょうがねえんだ」
固まってるディーネに、なぜかジークラインはちょっとドヤ顔をしてみせた。あるいは少しヤケになっているのかもしれない。ろうそくの明かりに照らされているから分かりにくいが、よくよく見ると顔が赤い。
「言ってやったぞ。なあ、ディーネ。満足したか?」
「えっ、あっ、はい……」
それ以外になんと返事すればよかったのだろう。
「じゃあもう、そろそろいいだろう。振った野郎の傷口にどんだけ塩すりこみゃ気が済むんだよ?」
ディーネはまだ疑問符だらけだったが、どうしても引っかかっていたことだけは反射的に思い出した。
「あ、で、でも、ジーク様は、私のこと、愛してないって」
「言ってねえよ」
「うそ、でも、前に聞いたら、臣下は平等に愛してるって」
「お前は特別寵愛してやるって言ってあっただろうが」
「で、でも、あんな言い方するから、いやいやなのかと思ってっ……」
「はっきり言わなきゃ分かんねえか? しょうがねえな」
この期に及んでなにが飛び出すのだろうと戦々恐々としているディーネに向かって、ジークラインは子どもを諭すように、ゆっくりと言った。
「愛してるから、お前と結婚しようと思ったんだよ」
ジークラインは死ぬほど不本意そうな顔をしているが、ディーネにはもはや気にかけてやれるほどの余裕がなかった。
――愛してる? 愛してるって……
ぐるぐると同じ言葉が頭を巡る。宇宙空間に放り込まれたかのような心許なさだった。
「は、初めて、言われた……っ」
破局すると決まったときですら言う気配がないから、想像以上に疎まれていたのではないかと悩んでいたのに。
「一度も、おっしゃってはいただけなくて、ずっと、ずっと……っ」
政略結婚の相手にそこまで期待してはいけないのだと、自分に言い聞かせてきたのに。
「わたくしは、ずっと、さびしくて……」
一度は結婚なんかしたくないと騒いではみたけれど、やっぱりそれは強がりだったのだと、こみあげてくる涙でまざまざと思い知らされた。
「分かった。泣くな。悪かったよ。な?」
「どうして今頃になって……わたくしは、ずっと、そう言っていただけるのを、待ち望んでおりましたのに……」
彼に釣り合う人間になりたいとずっと願っていた。自分に自信が持てないから、分かりやすい形で何かを成し遂げて、彼に認めてほしかった。これがあるから愛されているのだと安心できるような理由付けが欲しかった。彼の情けで甘やかされるだけでは足りなくて、必要とされているのだと実感できる何かをずっと探し求めていた。それは小さな頃には魔術の勉強だったり、典礼言語の勉強だったりしたけれど、ディーネが春に領地の経営を始めたときでさえも、根っこの動機はあの頃と同じだったような気がする。
だから目標金額を達成したときも、念頭にあったのは、褒めてほしい、認めてほしいという思いだった。
ジークラインからただの一度も好きだと言ってもらえないから、ディーネはずっと、代わりになるものを探していたのだ。
なのに、言われた通りの持参金を稼いでみても、結局ジークラインには認めてもらえなかった。
婚約の解消についても異議を唱えてもらえなかった。
本当は、心のどこかで、ずっと引き留めてほしいと思っていた。
お飾りの女ではダメだと――他の誰でもない、ディーネがいいのだと、ジークラインには思っていてほしかったのだ。
「わたくしは、どうして、ジーク様から愛されないんだろうと、ずっと、ずっと……」
泣いてしまって言葉にならないディーネに、ジークラインは優しく声をかけてくる。
「……ちゃんと言ってやれなくて悪かった。お前に落ち度があったわけじゃねえよ。言えなかったのは……俺が、ガキだったからだ。どうしようもなく、ガキだった」
この傲岸不遜な男が自虐的なことを述べるのは、数年に一回あるかないかのことである。
ディーネは驚きのあまり、まじまじと彼を見てしまった。あいもかわらず精悍な面構えだが、そのときは少し視線を下げていて、落ち込んでいるように見えた。
「正直に言やあよ。ここしばらくの間、俺の知らないところで楽しそうにやってるお前が、俺はどうしても気に食わなかった」
初耳だった。だって彼は、いつも余裕たっぷりで、商売人ごっこに明け暮れるディーネのことなど気にも留めていないように見えたからだ。
「……さんざん面白がってらしたはずですけれど……」
「初めのうちは面白かったんだよ。お前がどうやら本気らしいと分かるまではな」
そうだとしたら、そんなそぶりを一切見せなかったジークラインはやはりプライドが高い。




