第三部終了記念番外編 家令と魔物料理とお嬢様
ハリムはバームベルク公爵の雑事一切を取り仕切る家令だ。公爵令嬢の指揮下で領地の改革をしているが、成果をあげすぎたのが災いしたのか、新商品にまとめて税金をかけられてしまった。それがつい二週間ほど前のことだ。
いつものようにハリムが公爵家の本邸で作業していると、わざわざご丁寧に皇帝の徴税官が直接やってきて、施行の日時などを詳細に知らせてきた。
ふつう、徴税が法律の通りにきちんと為されることはあまりない。だからこそ徴税官という、取り立て専門の職ができたのだ。これまでの経験から、今回の徴税ももしかしたらあの手この手ですり抜けられるかもしれないという淡い期待はあったが、そのことごとくを潰すような、念の入った説明だった。そういえば今年の夏に、徴税長官を屋敷に招き入れていたなと、教会への追徴騒動のことを懐かしく思い出す。それで徴税官はハリムたちの勝手を知り尽くしていたのだろう。不思議なもので、つい三か月前のことなのに、もう長い時間が経ったような気がする。
今回の徴税は運がなかったと思う。
第一に、バームベルク公爵は商売上のツテをほとんど持っていなかった。
第二に、公爵令嬢の身の回りにはベテランの政治家が何人もいた。
第三に、いかに優秀であっても、公爵令嬢の公的な権力はほとんどないに等しかった。
これだけの条件が整っていて、目をつけられないほうがおかしいのだとも言える。周囲がよほどの無能揃いでなければ、いずれは起きたはずのことだ。
ただ、今回は、あまりにも芽を摘まれるのが早すぎた。
手引きした黒幕が皇太子なのかどうかは、ハリムの情報網では確かめようもないが、もしも彼の仕業なら、まずもって妥当な処置を下したと言える。というのも、皇太子は議会に対して何ら権限を持ち合わせていないからだ。皇帝が、本来であれば皇太子に譲られるのが慣習的に適っているはずの、四か国のうちの一国たりとも与えようとしないのは、皇太子に騎竜議員としての権限を与えたくないからだとも言われている。
騎竜議員は、四か国それぞれの王と、一定の大きさを超える領地を持つ貴族とで構成されている。現在は皇帝が四冠を独占しているので、事実上、誰も皇帝に逆らうことはできない。本質的に君主制とはいえ、それなりに議会を重んじてきたこの国が、皇帝の代になってから急激に勢力を拡大し、二か国を征服するに至ったのは、ひとえにこの政策のおかげであった。
とにかく、皇太子は軍の統括はしていても議会には関わっていない。だからこそ、今回の手はうまいとハリムは思った。
皇太子は、これが自分の与り知らぬところで起きたところだと抗弁するつもりなのだろう。失意のお嬢様を適当にお慰めしていれば、そのうち事態は収束し、彼女も気を変えて、またもとのように戻るかもしれない。
ウィンディーネお嬢様にはもはや打つ手なしかと思われた。
しかし彼女は、やぶれかぶれとも思える奇妙な取引を編み出した。
「……本当にそれでよろしいのですか?」
「大丈夫大丈夫。絶対にうまく行くから、まあ見ててよ」
彼女の目論見は不思議と当たる。
今回も、半ば以上が成功しつつあった。
「見てなさいよ。絶対にあいつにギャフンと言わせてやるんだからね……」
奇妙なことを口走るお嬢様の考えは、ハリムにはとうてい理解できそうにもない。そもそも、なぜ彼女は婚約を解消しようと思ったのだろう。使用人の身で立ち入ったことを尋ねるのも気が引けて、あえてその話題には触れずにきたが、そろそろいい頃合いかもしれない。この策がうまく行けば、お嬢様の活動も一段落だ。これまでのように執務室に入り浸ることはなくなるかもしれないのだ。
「お嬢様は、ご婚約を解消なさったら、まず何をしたいですか?」
「えーっとねー……とりあえずヨロイ貝をバター焼きにしたい!」
ヨロイ貝とは、ピンク色の真珠を産出する魔物の貝だ。
「ヨロイ貝を……ですか?」
「そー! あれホタテにそっくりじゃない? すっごくおいしそう!」
「はぁ……」
ハリムの知識にホタテなるものは存在しないのでぴんと来ないが、それ以前にこの国で魔物の料理はあまり聞かれない。というのも魔物は身体を構成する要素のほとんどが魔力と、魔力を蓄える無機物なので、可食部が少ないのだ。
「絶対おいしいと思うんだけどさー、食べちゃダメって言われて……ひどくない?」
「魔物食はメイシュア教の教義違反では……」
「ハリムんところでは食べてるでしょ? 地元でも人気の食材なんだって。大丈夫だいじょーぶ。死なない死なない」
そうは言っても心配になる。
「こないだこっそり持って帰ろうとしたら研究員に見つかって。怒られたのなんのって。ジーク様に殺されるからやめてくださいって泣いて頼まれたらさすがにちょっとねー……」
思わぬところで皇太子殿下が影響していた。ずいぶん仲良くやっているようだが、この分だとどうやら情報は筒抜けだったと考えたほうがよさそうだ。
婚約を解消したいと言いながら、お嬢様は相変わらず皇太子に好意を持ち続けているように見える。分かっていないのは本人だけなのだろう。
「そうだ、ハリムは魔物食好きな人? それとも駄目な人?」
「私は好きですが……そういえば、最近は食べていませんね」
「じゃあ解禁したら日持ちするやつにして持ってきてあげるね。燻製にしてもおいしいんだよ、ホタテ。あ、でも、皆には内緒ね? 駄目な人多いから、また取り上げられちゃうかも」
ひそひそと悪だくみをするお嬢様は、本当に楽しそうだった。
「では、皇太子殿下にはぜひとも『ギャフン』と言っていただかなければなりませんね」
「そう。はやいとこ片付けて、領地の方の経営をもっと見られるようにしないとね……レオにもいろいろと覚えてもらわないと」
語られる展望には当然のように公爵家のことが入っていて、婚約解消の後にも彼女が屋敷に残るつもりでいることが伺える。
「あ……あと、労働基準法も作らないとね。ハリムにもお休みをあげないといけないし」
「あまり、必要性は感じていませんが」
「ダメダメ。休暇は大事、絶対」
濃やかな気遣いは、公爵閣下からすべてを任されていたときにはなかったものだ。その分忙しくはなったが、それだけの価値があるものをもらっていると感じる。
「ではまたカフェにでも参りますか。セバスチャンが騎士を拝命したとかいういきさつも、まだよく知らされておりませんし」
「あの子ね、実は……あ、やっぱり本人の口から聞きたいよね」
「ええ。平民の身としては今後の参考にぜひ詳しく聞きたいところですね」
「あれ、ハリムもやっぱり出世したいんだ?」
なんでもセバスチャンはお嬢様と同じ式典に呼ばれて、隣り合って一緒に食事をしたらしい。お嬢様自らがそう言っていた。
平民の身でそれほどの栄誉を賜るなど、なんとも羨ましい話ではないか。
なろうと思えば、騎士ぐらいにはなれる。必要なものは立派な軍馬と鎧一式、従者が最低二人と、貴族とのツテだ。それで一度ぐらいはお嬢様の隣に立てるのだとすれば、そう高い買い物ではない。
「男として生まれたからには追及せずにはいられない。出世の道とはそういうものでしょう」
「そうなの……よく分かんないけど、私もハリムの立場だったら出世したいかも。それならやっぱり目指すは騎士だよねぇ」
お嬢様は、こちらの真意などまるで知らぬげに目を輝かせる。
この平和なときはあとどのぐらい続くのか。
書類の続きに戻るのが惜しまれて、忙しい時だと言うのに、その日はずいぶん話し込んだ。




