続・騎士叙任式
「久しいな。いつ以来だ」
「皇太子殿下。いけません、直々のお声がけを頂くなど恐れ多いことでございます」
「何を言う。お前も俺も、継承権一位の同列だ。この俺に、友のように接することを許す。もっと楽にしろ」
ディーネはびっくりしてジークラインを見た。この尊大な男の口から、対等だの友人だのという言葉が出てくる日がくるとは夢にも思わなかったのである。
セバスチャンがジークラインと張り合う部分とは、要するに身分の高さのことのようだ。
「とんでもないことでございます! 私はあくまで一介の騎士称号を賜った身なれば……」
「ああ、そうだ、さっきのあれは最高だったな? 公爵位を蹴るなんてなかなかできることじゃねえ。やつらの間抜けヅラは見物だったが、なんだってあんな真似をした?」
「私は、爵位など望んでおりません。バームベルクの執事でいられれば、それで満足なのでございます」
生真面目な顔で答えるセバスチャンに、嘘をついている様子はない。ディーネにも分かったくらいだから、ジークラインはなおさら実感していることだろう。
「……ほとんどスノーナビアを顧みることがなかった私が公爵位を得れば、スノーナビアに内紛の種が増えることでしょう。ですから、私にふさわしいのは騎士の位のみと愚考いたしました」
「ああ、そいつは馬鹿だな。とびっきりの馬鹿野郎だ。そんなんでこいつをどうする気だ」
「ウィンディーネお嬢様には、これまで通り執事としてお仕えしていく所存でございます」
「ほら見ろ。だから爵位があったほうが……執事として?」
ジークラインがさっきから挙動不審だ。
セバスチャンはそんなジークラインを怪しむことなく、淡々と生真面目な調子で応じる。
「はい。お嬢様は、皇太子殿下との婚約を解消した後も、私と一緒にスノーナビアに来るつもりはないとおっしゃっていました。ですので私は、これからもバームベルクでのんびりと執事を続ける所存でございます」
「なんなんだ、そりゃ……」
ジークラインがそれっきり黙り込んでしまい、会話が途絶えた。
なんなんだと言いたいのはこっちだと思いつつ、退屈しのぎにディーネもセバスチャンに質問してみた。
「公爵になって悠々自適の生活しないの? もったいなくない?」
「私は執事としてお仕えするのが幸せなのでございます」
「セバスチャンて執事の鑑だよね……私には絶対真似できない」
「恐縮に存じます」
「それにしても王子様の執事かー……すごいミラクル属性だよね。ますますバンケットの奥さま方から人気出ちゃったりして? ほんとあなたって最高の逸材ね」
ディーネたちのやり取りを聞いていたジークラインが、そこでぼそりとつぶやいた。
「……まさか、本気で執事に甘んじるつもりか?」
「はい。私はずっとよき執事でいたいと思っております」
ディーネは不思議に思った。さっきとまったく同じ会話をジークラインがしている。彼は異常に察しがいいので、いつもなら無意味な会話はほとんどしない。
あまり会話したことのないセバスチャンが相手で緊張しているのだろうか?
一体なんなのだろうと思っていると、いきなり目に見えて機嫌がよくなったジークラインから、腰を抱かれた。
「なっ……ちょっ……!」
「腹減ったな。なんか食わせてもらおうぜ? ――セバス、お前も来な。特別にこの俺の隣で会食する栄誉を与えてやる」
「ありがたき幸せに存じます」
「ちょっと! くっつきすぎですわ、ジーク様!」
――セバスチャンの騎士叙任式は夜まで続き、スノーナビアの長い冬を過ごすための貴重な退屈しのぎとして、誰もがお祭りを楽しんだのだそうだ。
それと時を同じくして、ドラゴンの襲撃がぱたりと止んだ。ディーネの暴露により危険を感じたフェンドル庶子公が、ひそかに飼いならしているドラゴンと、帝国に襲い来るドラゴンとの関連性を指摘される前に手を引いたのだ。
帝国は証拠をそろえてフェンドル庶子公の領へ報復行動を起こそうとしている。
エストーリオもディーネのところにやってきて、ひとり言を聞かせるように言った。
「ホウエルン卿も石材の貯めこみを中止したそうですよ。荒れていた議会も収束しつつあります」
ホウエルン卿はドラゴンの供給元であったフェンドル公国が手を引いたので、反乱計画を続けていられなくなったのだろう。
ドラゴン騒動は本格的に解決へ向かいつつある。
「でも、新税法案の否決は……きっと間に合いませんことね」
大元のドラゴン騒動が終わっても、一度決まった徴税がなくなるとは考えにくい。もう少し早く解決したかったとディーネが思っていると、エストーリオはにこりとした。
「その件ですが、ホウエルン卿から伝言を預かっています。『仲良くしていきたい気持ちは変わりません』と」
「仲良く……と言われましても」
「まあそうおっしゃらずに。彼も生き残りに必死なのでしょう。議会でさんざん帝国の政策を批判していた立場上、騎竜議員の方々との仲は険悪です。その点あなたは騎竜議員の父上をお持ちで、下院議員とのコネを必要としている。良い関係ではありませんか」
つまり、うまく取引すればホウエルン卿が新税法案に対する抑止力になってくれる、ということなのだろう。
ドラゴンは使役するのにコストがかかる。今回のドラゴン騒動でホウエルン卿もかなり浪費したはずだから、態勢を整えるためには、ひとまず収入が約束されている運河計画のバックアップに回るしかないのかもしれない。そうなれば、ディーネの商売の後押しもホウエルン卿にとっては重要な課題となる。新税の撤廃は、ホウエルン卿の利益にもつながってくるのだ。
ディーネが海千山千の彼ら相手にどこまで利益を引き出せるかは分からないが、仲良くしておかなければならない相手なのは間違いないようだ。
「それと……今朝がた、教皇庁のほうにフェンドル庶子公から寄進の打診があったそうです」
「あら、それはようございました、エスト様」
フェンドル庶子公は帝国を怖れるあまり、おっとり刀で教皇のご機嫌伺いに走ったようだ。風のうわさによれば、彼は公国の主に君臨するときにも血筋の卑しさを誤魔化すために教皇へ多大な献金が必要だったらしい。何かの弾みで破門をされるリスクは普通の領主よりもずっと高い。帝国ににらまれているこのタイミングで教皇から破門でも食らえばもはやそれまでだ。
もっとも、帝国に利益がいくと分かっている状態で教皇がフェンドルをどうにかする可能性は限りなく低いのだが。
つまりこの騒動は、帝国がフェンドルに侵攻したくても教皇が宗教的権威を振りかざして阻止する、という形で、うやむやのうちに決着することになる。
「あなたに巻き上げられた税額には及びませんが、少しは父の機嫌も直ったようです」
教皇としては「にっくきワルキューレ皇帝の陰謀が潰えてたいそう愉快だったようです」とエストーリオは付け加えた。
「それにしても分かりませんね。あれほど王位にこだわっていたフェンドル庶子公がいきなり悔い改めるだなんて……」
「きっと神様のお告げでもあったのでございましょう」
そらっとぼけると、エストーリオは疑わしげな視線をディーネに送ってよこした。
「なんですの? そうじろじろ見ないでくださいましね、気分が悪くなりますので」
「そうはっきり言われると傷つきますね」
「あら、だいたいの女はじろじろ見られたら大なり小なり気を悪くしますわよ。ひとつ賢くおなりですわね、貞淑な大司教主猊下」
ディーネが悪意たっぷりにからかうと、エストーリオはややむっとしたような顔をした。
「……見事なお手並みでした……といいたいところですが、あなたはやっぱり甘すぎます。何もあのタイミングで王太弟の認知をさせなくても、ホウエルン卿と組んで儲けを上げつつ、フェンドル庶子公が挙兵するのを待てば最大の利益になったでしょうに」
「わたくしは売国奴にならないと、申しあげましたでしょう?」
「甘いところはまだあります。私の提案を受け入れていれば、彼は王太弟として認知されることもなく、平穏に過ごしていけたでしょうに……これからは彼も命を狙われるようになるかもしれませんよ」
「あら、うちの執事を見くびらないでくださいまし。あの子がそうやすやすと暗殺されるわけがありませんわ」
エストーリオはまだじっとりした目でディーネを見ている。やがてぼそりと言った。
「……せっかくのチャンスを棒に振るなんて、おかしな方ですね。せっかく私が手を差し伸べてさしあげたのに……」
「幻滅したのでしたら『いい気味ですわ』と申しあげておきます。わたくしはあなたが思っているほどおとなしくて御しやすい女ではございませんの」
エストーリオはしばらくあぜんとしていたが、やがて悔しそうな顔で「後悔しても知りませんよ」と言い残して去っていった。
最近のエストーリオはだいぶディーネに対する盲目的な言動が抜けてきつつある。彼が夢見ていたような愛らしい少女ではなくなってしまったからなのだろうが、何にせよディーネにとってはありがたいことだった。
「さっむーい……」
執務室に行く途中の渡り廊下で寒風に拭き晒され、ディーネは震えあがった。
すでに十一月も三分の二が終わり、新税のタイムリミットがすぐそこに迫っている。
「あと少し」
やり残した課題を指折り数えながら、ディーネはにんまりした。もうあと少しで持参金稼ぎから解放される。きっとやり遂げられるだろうという確信が彼女にはあった。
――まもなく降誕節。大きなお祭りの季節が、間近に迫っていた。
第三部・終