復讐するは我にあり
「しらばっくれるんじゃねえ。スノーナビアの王太弟だ。お前、バラしやがっただろう」
「わたくしは何もしておりません」
「お前以外に誰がいるってんだ?」
ディーネはそこでニタリと笑うのを止められなかった。ジークラインのひるんだような顔を見るに、迫力はあったようだ。
「くどいですわね。では、わたくしがやったとして、わたくしは何の罪を犯したんですの? それは現行法のどれに抵触いたしましたか?」
ディーネの商売に関する秘密を、ジークラインが勝手にバラして税金をせしめようとしたのはつい最近の話だ。同じことを同じようにやり返されたからといって、ジークラインには責めるべき正当な理由などありはしないだろう。
完全に自業自得だ。
皮肉を言われていることは分かったのだろう、ジークラインはガシガシと頭をかいた。ふだんのジークラインにはあまり見られない、子供っぽい仕草だ。けっこう取り乱しているらしい。
「あのな……お前がやったことは、反逆行為だ。自覚はあるか?」
進行中のスノーナビア侵略計画の情報を極秘裏に集めて、勝手に台無しにしたのだから、ディーネはこの場で反逆罪を問われてジークラインに処刑されても文句は言えない。むしろ、そうしなければジークラインが皇帝から厳罰を受ける案件だ。
「たかだか商売の金を取る取らないの話とは違う。俺のオヤジどのが多大なる関心を寄せてることをぶち壊しにしたんだ」
「あら、たかだか商売だなんて聞き捨てなりませんけれど、今は不問にしてさしあげますわ。それより、証拠はおありなんですの? どうしてか、わたくしがやったことになっているようですけれど。わたくしは何にも存じ上げませんでしたわ。まさか、ジークライン殿下ともあろうお方が、国家規模の重要な秘密をわたくしのような小娘に軽々しくお話しになったりはなさらないでしょうし……」
どちらかといえば、罪に問われるべきはジークラインの軽率さのほうだろう。女『なんか』に重要機密を教えたジークラインが悪いのだ。おそらく皇帝も同じように判断するはずだという確信がディーネにはあった。それがこの国の法であり、男性のみに参政権が許された社会制度の常識だった。
「だいいち、小娘ごときにそれを利用する知恵など回るはずもございませんわよねえ? だってわたくしは、か弱い女でございますもの」
わざとらしくディーネが首をかしげてみせると、ジークラインはうんざりした顔になった。ちょっといい気味だと思ってしまう。
「いいか、これは冗談ごとじゃない。お前の悪ふざけでは済まされないんだ」
「では濡れ衣をお着せになりますか? わたくしは何の罪も犯してはおりませんから、どんな法でもわたくしを裁くことはできないでしょうけれど。ねえ、ジーク様。わたくしを偽りの天秤にかける覚悟はおありなのでしょうね?」
「反省の色なしか」
ジークラインが不機嫌に言うので、ディーネも彼をにらみつけてやった。全面抗争も辞さない覚悟だ。
「ございません! わたくしは無実ですけれども! ――もしもこれがわたくしのしたことなら、他国の領土を踏みにじろうとする行為への反逆なのですから、むしろ正義はわたくしにありですわ! たとえわたくしは殺されようとも本望でございます!」
ジークラインは何やら格好いい感じで額を手で覆ったきり、何も言わなくなった。
本気で困っているようだ。
ディーネとしてはいい気味以外の何物でもない。
「ねえ、ジーク様。わたくしを女なんかと侮ったせいで、ずいぶん高くつきましたわね? ご存じないようですから教えてさしあげますけれども、『復讐するは我にあり』ですわ。わたくしに正義があればこそ、神は復讐の刃をみずから揮われたのでございましょう」
聖書にいわく、『復讐するは我にあり』。
復讐は神が行なうことなので、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい、という戒めだ。それが神意だったのだと言われれば、ジークラインにはもう何も言い返せないのである。
「わたくしの刃は目に見えず、ジーク様の玉体に傷ひとつつけられないでしょうけれども、それでも『殺す』ことはできるのですわ。残念でしたわね?」
ジークラインは渋い顔でディーネの言葉を聞いていたが、それでも少し表情を柔らかくして、ディーネに話しかけようと試みた。
「なあ、ディーネ。お前がこないだの件で腹を立ててんのはよーく分かったよ。それに関しちゃお前を責めることはできない。お前は、それだけのことをされたんだ。……けどなぁ……」
ジークラインは本当に困った様子で、ディーネに言う。
「さすがにやっていいことと悪いことがあんだろ? スノーナビア侵略のお膳立てにどれだけ多くの投資と労力がかかってるか、お前には解説するまでもねえだろうが……」
地球史で言えば、中世の中頃になると、フランスで「神の平和」運動が起こり、ドイツで「平和令」が成立する。
これらは、同じキリスト教圏の私的な紛争、私闘、一方的な略奪行為などを戒めたもので、この頃になってくるとどこでも好きなところに侵略してよかった中世初期とは戦争のルールが微妙に変化する。
かつて西欧中世を席巻していたゲルマン人には決闘の概念があり、騎士や貴族は自分の名誉を守るために戦う権利を持っていた。これは警察などの統治機能がなかった中世ならではのもので、自分の身は自分で守る、を原則に、抗争や戦争は彼らの自由裁量でいつでも起こすことができた。細部を見ると全然違うが、帯剣が許された特権階級の武力行使権、という意味では、日本の切り捨て御免に少し似ているかもしれない。
このフェーデの権利が制限されたことにより、中世の戦争はいつでもどんな理由でも起こせるものではなくなった。
一方でこちらの世界随一の軍事大国、ワルキューレでは、常設軍が備わっている関係で、騎士崩れなどが他の国に比べてとても多い。騎士という名のチンピラによる切り捨て御免は歴史の早い段階から問題になっていたらしい。平和令に似た法律はすでに各地に備わっていて、決闘および戦争を始めるには名目上の正義が必要だ。だからこそ、スノーナビアの侵略に際しても皇帝たちは回りくどくあれこれと策を弄していたのだ。
セバスチャンの継承権が重要視されているのも、このあたりの理屈づけなのである。
そもそも西欧の宗教観で言えば、側室、第二妃、愛人との子どもが王位継承権を得ることはまずありえない。養子などもってのほかだ。それに対して、日本では生まれた順番、正室、側室などを問わず、子どもの中から一番優秀な者を選ぶことが多い。場合によっては養子でも構わないぐらいだ。この違いは宗教観による。
メイシュア教は一夫一妻制を採用しているが、それは恋愛感情を大切にするべきだとか、愛人を持ってはいけないということではなく、結婚と財産に関する権利を正式な妻にのみ認めることで有力者の持つ財産の散逸を防ぎ、なおかつ財産継承権の定義を掌握することで教会が王侯に対して優位に立つという、きわめて政治的な理由によるものである。現代人が考えるような愛や平等を大切にする精神はその次ぐらいに来る。
聖職者が大きな力を持っているこの世界でも、王位継承権が教会によって左右されている状況は地球の中世と変わりない。よって、正当な権利を持たない愛人の子が王位につくことはまず容易ではないのである。
フェンドル庶子公のように、国王から可愛がられて領地を分けてもらうぐらいがせいぜいだ。王の血を受け継いでいる子でさえそうなのだから、まったく無関係のワルキューレ皇帝がいきなり戦争を仕掛けて勝ったからといって、すぐに自分の国とすることはできないのである。
「誤解があるようですから重ねて申しあげますけれど、わたくしは別にジーク様への報復で軽率な行動をしたわけではございません。わたくしなりに、今回のことは帝国の方々の一方的な侵略行為だとは感じますし、そこに義憤を覚えはいたしますけれど……」
そう、戦争はよくないことだと教えられて育った前世持ちのディーネとしては、今回の陰謀はワルキューレのほうが悪いように感じてしまうのだ。
「だいいち、侵略ってそんなに大切なことなんですの? 他国の権利を暴力で奪い取るのが正義だとは、わたくしは思いません。今回の侵攻計画は、戦争に駆り出される帝国民のためにも、そしてまた、不当に権利を侵害されるスノーナビアの皆さんのためにも、即刻おやめになるべきでございます」
大きすぎる領地を持った国が長続きしたためしはない。ワルキューレだって未熟な統治機能の集団が四か国も抱えているのだから、リソースに関しては十分と言える。
「戦争なんて野蛮ですわ。侵略せずともスノーナビアを骨抜きにする方法なんてごまんとありますのに」
「言うじゃねえか。お前にそれができるとでも? だいたいお前、持参金稼ぎはどうした? こんなことしてる場合か? てめえの身の振り方ひとつままならねえ女が大言壮語を吐いたもんだ」
ディーネは驚いてジークラインを見た。
何か特大の地雷でも踏んでしまったのか、いつになくトゲトゲしい。
いつもやさしかったジークラインから急に突き放されて、ディーネはなんだか悲しくなった。
「……そんな……あんまりですわ。わたくしが女の身に生まれたのはわたくしのせいではありませんのに……」
ずずっ、と大げさに泣きだす予兆を演じてみせ、手のひらで顔を覆い隠す。
「ひどいですわ、あんまりですわ、きっとわたくしはこの先もジーク様に女は黙っていろと抑えつけられて家畜のような人生を過ごすのですわぁ~」
ディーネの泣き真似を、ジークラインは冷ややかに見ている。
彼は人の精神状態に敏感なので、泣き真似なんて通用しないことは分かっていたが、こうまで無表情だとちょっと面白くない。
「……少しも引っかかっていただけませんのね。騙しがいがありませんわ」
「泣けば思い通りになると信じてるような、浅はかで驕慢な女も嫌いじゃないぜ。あえて引っかかってやるのも、たまの余興としては愉快だ。けどよ……」
ジークラインはうんざりとしたように息を吐きだした。
「……そんなにあいつが大事か。よりによってオヤジに真っ向から逆らってでも、あいつを守りたいか?」
――あいつって誰のこと?
言いにくそうに名前を伏せたジークラインの真意が分からなくて、ディーネは考え込んでしまった。
あいつ。あいつ。今回のことで守られる予定の誰か。バームベルクの領民? いや、違う。スノーナビアの王? 面識なんてない。
かなり考えてから、ようやく王太弟に任命される予定の、セバスチャンのことに思い当たった。