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お嬢様のご決断


 公爵令嬢のディーネは領地の経営をがんばっているが、先日商売で稼ぎすぎたせいで法外な税金を上からかけられてしまった。

 困ってしまったディーネに手を差し伸べたのは辺境警備の騎士ホウエルン卿。

 彼は密輸をそそのかした。


「それで、どうするんです?」


 エストーリオがそんな風に声をかけてきたのは、ディーネがお昼の正餐のためにいったん戻って着替えをし、また広間に降りてきたときだった。お昼のためのドレスなので、正装ほど派手ではない。ゆったりとした飾り気のない亜麻布のワンピースだ。


 会場にはディーネが会議のために招集した領地代官たちが集まっていて、辺りはがやがやとやかましい。もともとバームベルク宮廷に滞在していた貴族たちは肩身が狭そうだ。


 エストーリオはディーネが食事をする横に堂々と陣取った。


「まあ、エスト様ごきげんよう。どう……とは?」

「ホウエルン卿のことですよ。昨日いろいろと話があったでしょう?」


 そうだ、その件では文句を言ってやろうと思っていたのだ。


「……エスト様、人の個人情報をペラペラと喋らないでくださいまし」

「告解の秘密は守っていますよ?」

「告解で得た知識であろうとなかろうと、プライバシーの侵害です」

「ぷらい……?」

「それはともかく、わたくしは昨日はっきり申し上げました。帝国派の筆頭であるクラッセン家の者として、敵国に塩は送れません、と」

「なるほど。フロイラインはまだお分かりでないようですね」


 エストーリオはうさんくさい笑みを浮かべた。


「……婚約を解消したら、あなたの一番の敵はワルキューレ帝国だというのに」

「帝国が……?」


 おかしなことを言うものだとディーネは思った。


「どうしてですの? ジーク様は怨恨でわたくしに嫌がらせをするような方ではありませんわ」

「少し気の利く廷臣なら、過去にトラブルがあった女性はまず皇宮に招きませんよね? 次の結婚相手にしても同様です。未来の皇妃からいわくつきの令嬢に転落したあなたを相手にする帝国貴族がはたしてどれほどいるか……」


 ディーネは顔が引きつった。それを見て、エストーリオはさらに笑みを深める。


「あなたのお父上も、いつまであなたを勘当せずにおくでしょうね? 商売の取引先だって帝国ににらまれたくなければ手を引くでしょう」


 ――ありもしない不貞をでっちあげられて、魔女扱いで責め殺されることもありうるわね。


 先月ぐらいに母親が言っていた言葉が脳裏をよぎる。


 ――どうしてもというのなら、エストーリオ様を味方につけるか、それなりにご立派な王国の方に嫁いでいくのが一番ではないかしら?


 エストーリオが言いたいのも、母親と同じことなのだろう。


 その場しのぎのやり方でジークラインとの婚約を破棄できたとしても、ミナリール商会はすでに上院下院の議員たちから目をつけられている。この先の商売もことごとく邪魔されるだろう。もしも機嫌を損ねたジークラインが周辺諸国にも圧力をかけて妨害してきたらディーネはもう何もできない。せっかくの革新的な水車利用も、水門の設計も、日の目を見ることなく終わってしまう。


 ディーネが手がけてきた事業を守るのに最も手っ取り早い方法は、ジークラインと結婚することだ。


 それが嫌なら、ディーネが持っていないコネを補完してくれるような相手を早急に探さなければならない。なるだけジークラインの影響を受けない相手だといい。その相手として、ホウエルン卿はまずまずの合格と言える。


「ご存じないかもしれませんが……現在、スノーナビアには王位簒奪の陰謀が進行しています。帝国はその機に乗じてスノーナビアを乗っ取るつもりでいるんですよ。死んだと思われている王の双子を利用して……」


 ――そういえばそんな話もあったなぁ。

 セバスチャンが虚言でなく本物の王子の生まれで驚愕したのもつい先日だ。


「エスト様は事情通でいらっしゃいますわね。驚きましたわ」

「色んな方が心の声で教えてくださるんです」


 やっぱり情報戦はエストーリオに分があるようだ。

 この口ぶりからするとおそらく、ほとんどの事情に通じていて、わざと知らないふりをしていたのだろう。ディーネにはまったく見抜けなかった。

 他人の感情をかなりの精度で見抜くジークラインでさえも彼のことを軽視していたのだから、ディーネに太刀打ちなどできるわけもない。


「さて、もしもスノーナビア国王の弟が私の父に身柄の保護を求めるのなら、きっと歓迎されるでしょうね。彼にその意思がなくても、あなたとはとても親しくしているようですから、あなたが亡命を勧めれば彼は従うかもしれません」


 話がどんよりときな臭くなってきた。


「彼は王位を望んでいないのでしょう? 彼の身柄を守ってあげられるのはあなたしかいないかもしれませんよ。ふたりで一緒に亡命すれば、フロイラインの身の安全も図れるでしょう? そして教皇はスノーナビアに対する有力な切り札を手に入れ、帝国の計画は破綻する……すべてが丸く収まる構図です」


 帝国はセバスチャンを確保していなければスノーナビアに侵攻する口実を失う。王位継承における血の掟とはそれほどに重たいものなのである。


 ディーネは一通り勘案してみて、その有用性が理解できてくるにつれ、タイヤから空気が抜けていくときの音のような、変な声が出た。


「……すごいんですのね、エスト様って。まさかあのジーク様を出し抜いてそこまでの陰謀を張り巡らせられる方がいらっしゃるなんて……」

「伊達に人の欲望ばかり覗いていませんから」


 ――今度エストーリオに触るときは気をつけよう。

 今も絶対に触らないように注意はしているが、教会の典礼規範によっては断れないこともある。


「まあ、ゆっくりお考えになるといいでしょう……」

「でも、やっぱりお断りいたしますわね」


 ほとんど同時ぐらいに喋ってしまい、お互いに顔を見合わせた。


「今、お決めになることはないですよ……じっくりメリットを検討してからでも遅くはありません」

「いえ、わたくしずっと考えておりましたの。帝国を相手に危険な橋を渡ろうとしているホウエルン卿の真意……」


 現代社会で密輸の王様といえば麻薬だ。軽くてかさばらず、価値が高いものが密輸にふさわしい。

 では、ワルキューレでもっとも密輸に向いている商品は何だろう?

 そう考えるとホウエルン卿の目的も見えてくる。


 今回の誘いは、何かのとっかかりだと思ったほうがいい。密輸に関わらせることそのものが目的なのだ。

 おそらくホウエルン卿は、ディーネに負い目を作りたいのではないか。

 バラされたら困るところまで深入りさせてから、もっと大きなものを狙っている可能性がある。


「ホウエルン卿は石材をほしがってらっしゃいましたわね。もちろんバームベルクにありますわ。わたくしには自由に動かせる権限がある……でも、彼が本当に欲しかったのは、石材だったのかしら?」


 ホウエルン卿が、ディーネとの密輸関係を作り上げてまで欲しがったもの。

 おそらくそれは、魔法石だろう。


 騎士身分の彼は所有の限界量が厳しく決められている。それこそ犯罪に手を染めてでも欲しい代物に違いない。

 なんのことはない、ホウエルン城砦の独立をディーネに支援させるのが真の目的だったのだ。


「帝国貴族としては、闇の武器流通を促すわけにはまいりませんわ」

「あなたは売られたというのに?」


 ディーネは目を丸くした。


「売られたとは、穏やかではありませんのね」

「でも、事実でしょう? 父親から皇太子に売られ、皇太子には貴重な財産を取り上げられようとしているのに、誰に義理立てしているんですか?」


 ディーネはパパ公爵の命令で何も分からない幼児のうちに婚約を結ばされた。

 考えようによっては、売られたとも取れるのかもしれない。


「 あなたの意思を無視して物のように身柄をやり取りする彼らを見返してやりたいとは思いませんか?」


告解(ローマ・カトリック教会方式)

洗礼後に犯した罪を悔い改め、聖職者に告白して、ゆるしを受ける一連の儀式を告解という。


告解の秘密

神父は告解で行われた罪の告白を他言してはならない。

この決まりができたのは第4ラテラノ公会議(1215)。


プライバシー

私生活のことをみだりに暴露されない権利。

告解の秘密が職務上の守秘義務に分類されるのに対し

プライバシーは人権に分類されるところに違いがある。

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