輸出関税
「やあ、ようやくのお出ましですね。いや、噂にたがわずお可愛らしい。公爵さまも鼻が高いでしょうね」
「うむ……さあ、かわいいわが娘よ。紹介するからこちらにおいで」
パパ公爵に上機嫌で手招きされてしまっては逃げられない。
彼はごくふつうの平服姿で立っており、ぱっと見では誰だか分からない。しかし腰から下げた剣には紳士の象徴である立派なトパーズがついており、あの日のホウエルン卿と同じだった。
そういえば素顔は初めて見る。
爽やかな印象の中年男性だ。本業が騎士だからか、うっとうしい髪型の男が多い帝国貴族に比べてさっぱりしており、清潔感がある。現役引退したサッカー選手だと言われたら信じてしまうかもしれない。
「ホウエルン卿、私の娘、ウィンディーネだ。賢そうな顔つきをしておるだろう?」
「完璧ですね。僕の好みです」
「いかんぞ君、ご婚約者はなんとあの皇太子殿下だ。未来の皇妃なのだよ、そうだろう、ディーネ?」
「なんとすばらしい、おかわいらしいお姿からは想像もつきません」
これはなんの茶番なのだろう。
ホウエルン卿はディーネを褒めそやし、パパ公爵はうれしそうに身内自慢をしまくっている。
「なんでも、ソフィア川とフラウ川の運河計画をなさったのもお嬢様だとか……?」
ディーネが事業をしていることはあまり公にしていないので、どう答えたものか戸惑っていると、パパ公爵が身を乗り出し気味に「そうなのだよ!」と答えた。
「この子はとてもけなげでね。民の生活をよくするのだと言ってがんばっているんだ」
「あれには本当に驚かされました、あれは名君の仕事ですよ。深窓のご令嬢の発想ではありません」
「そうだろうそうだろう、わはははは」
パパ公爵は有頂天だ。
さてはこの調子でおべっかを使われて懐柔されてしまったのだろうか。文句を言おうにも、今この場では無理だ。
「……ぜひ一度お会いしてよくお話を伺ってみたいと思っておりました」
ホウエルン卿の目の色が変わった。獲物を狙う鷹のような目つきで値踏みをされてディーネは寒気を覚える。
ディーネは彼の隣に座らされ、パンと骨付きチキンを取ってもらった。
現代日本なんかだと料理のとりわけは女性の仕事だが、この世界では男性がする。狩りなどで得たいい獲物をきれいに切り分けてサービスするのは騎士の仕事なのである。
「大司教主猊下からもおうわさはかねがね」
――余計なことを……
ディーネは心の中で『エストーリオにされた嫌なことリスト』を更新した。あとで絶対に文句を言ってやる。
「近頃の公姫さまは躍進ぶりがすばらしいですね。特にあの運河のお話には感服いたしました。あれほどの治水技術は世界中のどこを見渡してもないでしょう」
「そんな……あれは構想中で、まだまだ課題は山積みなんですのよ」
「ご謙遜を。あれが成功したら、水上交通の在り方が変わるでしょうね。帝都と主要各国の河川が運河でつながる未来が来る……ぜひうちにも欲しい技術です」
そうだ。あれはこの世界に外洋航海の時代をもたらすための、ひとつのキー技術なのである。
地球であれば古典力学が復興し、物理学が花開いた十六世紀以降にしかないもので、この世界では魔法石による移動技術に後れを取ってほとんど見向きもされなかった。
あれがいい技術だと理解できるのなら、ホウエルン卿には先見の明があると言えるだろう。
「そうそう、公姫殿下がバックアップをしているミナリール商会のことも議会で話題になっていましたよ。ご商売も順調でいらっしゃるだけに、あの奢侈税の追加は残念でしたね」
ディーネは曖昧に笑ってごまかしながら、直感した。
――本題はこっちね。
「議会の皆さんはなんとおっしゃっていたんですの?」
「ミナリール商会は、成功しすぎた、と。今回の法案は庶民の支持率も高いのですよ。これがどういうことか分かりますか? ミナリール商会は、世界の名だたる富豪たちから危険なライバルだと思われたのです。その裏にこれほど可憐な娘さんがいるだなんて、きっと誰も予想していないでしょうね」
――それにしてはマークされるのが早すぎると思うんだけどね。
「まあ……お恥ずかしいですわ。結局立ち回りに失敗して皆さんにそっぽを向かれてしまったんですのよ。やはりわたくしのように見聞の浅い小娘では駄目ね」
「それは周りが補って差し上げればいいことです。私のような者をおそばに置いていただければ、年の功が役に立つこともありましょう」
「あなたが?」
彼が裕福であることは疑いようもない。高度な製鉄技術の結晶である、艶消しの黒色をした新型の甲冑、トパーズの装飾剣に黄金の拍車。
どれも最上級の騎士身分であることを示す小道具だ。
「騎士様にご商売のことがお分かりになるんですの?」
「私の父親は商売人でした。船も数多く所有しているんですよ」
「まあ……では、運河のことにもお詳しいはずですわね」
「ええ。ちょっとしたものですよ。突然税率が変わったときの対処法についても少々詳しいです」
どうやらようやく話が核心に近づいてきたようだ。
「今回の奢侈税の話を聞いていて、ひとつ思い出したことがあるんです。もっとも、商売人の父が過去にこうしていた、ということなんですが……」
ディーネは緊張してきた。それは耳寄りな情報だ。
「まあ、お父さまも苦労なさったのね。一体どのようにお知恵を絞ったの?」
騎士は空中に何かの流れを描いた。
「ほら、ソフィア川はバームベルクを抜けてアークブルム側に流れていくでしょう? こっちがバームベルクで、こっちがスノーナビア。そしてここにアークブルム……」
「ええ」
「種を明かすととても簡単なのですが、とある地域で徴税が起きたのなら、一時的に別の地域へ荷物を移してしまえばいいのです。もっと言うと、実際に動かさなくとも、動かしたということにして売ればいい」
ややぼかした表現の説明に、ディーネは一瞬考え込んだ。
荷物をスノーナビアに移せば、もちろんのことそちらの税率に従って処理される。今回の奢侈税の適用範囲外だ。
ワルキューレでは輸出に税金はかからない。あとはスノーナビア側にいくら払うかの問題になってくる。
「バームベルクからホウエルンに荷を移すまでにかかる税と、スノーナビアの税関にかかる税は合わせても三パーセントは超えないかと。輸出の制限にはまた別の法案が必要なので、もう少し時間がかかるでしょう」
盲点だった。
輸出の税額を極端に高く設定すれば国が衰える。相手国は何かの商品を買うたびにワルキューレへ高額のお布施を払うことになり、敬遠されてしまうからだ。
いかにワルキューレが大国であっても、今回の売上税に見合うほどの税率……三十パーセントをかけて、無理やり相手国に買わせるほどの力はない。
なので、輸出関税には慎重になるはずだ。
――悪くないプランだと思った。輸出関税が施行されるまでの猶予期間に全部の品を売り抜ければディーネの勝ちだ。