ドラゴンの襲撃
ワルキューレで頻発しているドラゴンの襲撃事件。
ある晩秋の昼下がり、とうとう帝都アディールがドラゴンに襲われたらしいという速報がクラッセン邸にもたらされた。パパ公爵は慌ただしく皇宮に向かっていき、ディーネはジークラインと連絡がつかなくなった。彼に限って負けることはないので、おそらく忙しいのだろう。
帝都の様子が分からない留守番組のディーネは、公爵夫人とエストーリオと、その他バームベルク宮廷の要人たちと一緒に連絡を待った。場合によっては支援物資なども必要になるかもしれないので、気が抜けない。
伝令兵がやってきたのはその日の夜更け過ぎだった。
無事に鎮圧されたということで、ひとまずは安心して侍女たちをうちに帰した。
要約すると、死傷者はなし。同時多発的に何か所も襲われたため、掃討に時間がかかったとのことだった。
「……五か所同時に襲われて? 死傷者ゼロですか?」
あまりにもできすぎているのでエストーリオが誤報を疑っているが、たぶん真実だろうとディーネは思う。ジークラインがいたらドラゴンが同時多発的に襲ってきても何の問題もないということが証明されてしまった。あいつがひとりで千匹でも二千匹でも倒してくる。なんならエースストライカーの勲章でも与えておけばいい。今日からあいつが撃墜王だ。
安全確認をして解散したが、騒動はそれで終わらなかった。
帝都の空をうろちょろするドラゴンは人心に多大なる恐怖を植え付けたのである。
ジークラインはもっとも防衛が堅固な皇宮を一番後回しにしたため、最後に掃討されたドラゴンは半日近くも結界を破ろうと攻撃していたという。危ない場面も少なからずあったらしい。
息子の軍才に絶大な信頼を寄せていた皇帝も「わしちょっとヤバいかな?」と思ったようだ。
ドラゴンの帝都襲撃から翌日、皇帝家が保有するすべての宮殿に改修工事が入ることに決まったそうだ。石材は防御壁系の魔力と相性がいいので、塔や城壁を増やして防空設備を作るらしい。
ちなみに皇帝家の宮殿は帝国領内に二百か所以上ある。
「……と、いうわけで、見事に石材の値段が高騰してしまいました」
ディーネとのお茶がてら、部屋にやってきたエストーリオはそう話を結んだ。
「ホウエルン卿の見込みが当たってしまいましたね。分かっていたら、先月に慌てて石材を売ったりなんかしなかったのですが……」
「結局どのくらい売ったんですの?」
「先月の時点で全体の半分ぐらいでしょうか? 船荷にして運ぶのに時間がかかっていたので、半分で済みました」
「あら、ラッキーでしたわね」
しかしエストーリオが間抜けなことには変わりない。
この様子だと、ホウエルン卿のたくらみにエストーリオが関与している可能性は低そうだ。ジークラインが馬鹿だと言っていたのもそのせいかもしれない。
「エスト様が他人にしてやられるなんてお珍しいこと。騙し合いはエスト様の独壇場かと思っておりましたが。心の中はのぞいてみませんでしたの?」
「もちろんのぞきましたよ。でないと信用できませんからね」
――のぞいたんかい。
信用ゼロである。エストーリオらしい病み方だ。
「どうもホウエルン卿もこんな展開は予測していなかったようで。その証拠に、法案は通る見込みがありません」
そう。皇帝が頑として法案を通さないので、議会は憤っている。
――皇帝は自分の家さえ守れればそれでいいのか。
――民を見殺しにする気か。
帝都の治安も悪化する一方だ。
「ホウエルン卿が目指していたのはあくまでも法案の可決であって、石材の高騰は二の次三の次です。今回のことは皇帝の気まぐれでしょう」
ホウエルン卿は地方の武力強化法案を利用して砦を石材で増強し、ゆくゆくは独立するつもりでいる。なので、石材の値段が高騰しても、本音のところではあまり嬉しくないだろう。そこにはエストーリオも気づいているようだ。
皇帝派のエストーリオにしてみれば、帝国が分割弱体化するのは望ましいことである。ならば、共犯とはいかないまでも、ホウエルン卿のすることを静観している可能性はありそうだ。
「でも、どうしてホウエルン卿は武力強化法案を通したいのかしら。ジーク様に守られていたほうが安全確実だということが着々と証明されていっておりますのに」
ディーネが探りを入れようと思って発した問いは、エストーリオを愉快がらせたらしい。
彼は大笑いした。
「御冗談を……それはあなたと同じなのでは?」
「え?」
「守られていたほうが安全でも、独立を求める心というのはまた別なんですよ」
ディーネはいよいよ混乱してきた。ずいぶんと知ったようなことを言うものだ。この口ぶりだと、ホウエルン卿に謀反の意志があることは承知しているかのようだ。
では、彼はホウエルン卿がドラゴンを動かしていることも知っているのだろうか?
どう質問すれば核心に迫れるのだろう。
「お困りのようですね」
エストーリオがにこりと謎めいた微笑みを浮かべるので、ディーネはドキリとした。
「な……何のことですの?」
「告解の秘密は守らねばなりません。ですのでこれはただのひとり言ですが……同盟相手をうまく見極めることもときには重要ですよ」
「……何をおっしゃっているのか分かりませんわ。誰からどんな情報を得たんですの?」
「新しい法案が特定の誰かさんの商売を妨害しているといううわさを、少し」
ディーネはひやりとした。彼がその話題を振ってきた目的が読めない。
「ええ……とても困っておりますの。まさかあんなことになるなんて……」
「犯人は案外身近なところにいるかもしれませんよ。あなたとの婚約が破綻して困る相手、心当たりありませんか?」
ジークラインのことを言っているのだろうか。彼が婚約を破棄されて困るかどうかは分からないが、消去法で言えば犯人なのは間違いない。
とすると、エストーリオはディーネをジークラインから引き離したくて告げ口をしている?
「同盟の相手をうまく見定めることですよ、フロイライン。自分にとって得になるのなら、敵の敵を利用するのもひとつの手です」
エストーリオの言うことは最後まで抽象的だった。
主語がないので、どうにもよく分からない。
翌日ディーネが緊急招集をかけた各地の代官たちとああでもないこうでもないと話し合いをして、ぐったりしながら着替えののちにお昼にいくと、なぜか立派なトパーズの黄金剣を下げた人物がいた。
クラッセン家は大きな公爵家なので、家の広間や遊戯室に見知らぬ貴族がたくさんいる状態には慣れている。今も各地から集めた領地代官たちが広間でわいわいと食事をしている。それでも敵だと思っていた人物がしれっと座っているのにはギクリとした。隣には涼しい顔のエストーリオがいる。
ディーネが現れたのを見るや、その男は立ち上がった。