水門の利権をめぐる話し合い・下
新運河の建設計画は、まだこの世界にない技術を用いているので、エストーリオが不思議がるのもわけはない。
ふたつの川を運河でつなぐとき、双方の水位差がありすぎると、下流の船を上流に乗せるのが難しくなってしまう。馬で牽引するだとか、魔法石によるリフトを使うといった方法もあることにはあるが、ここはもう少しスマートに、閘門を作って水位を調節するという方法を取ることにした。
下流の川から船を閘門の部屋に入れて両方の扉をいったん閉じ、上流の門だけ開く。すると上流から水がどんどん流れ込んできて水位が上がり、労なく船を上流に乗せられるというわけだ。
ひとつのポンドロック式閘門で対応できる水位差はほんの数メートルほどだが、十、二十と連続で閘門をつなげるフライトロック式にすれば数百メートルの高さをまるでリフトのように昇ることができる。
この連続閘門こそが、まだこの世界には未知の技術なのだった。
「まだ実験段階なのですけれど、エスト様には特別にお教えしてさしあげますわね。水位差を解消するアイデアがあるんですの」
「いったいどのような……?」
「それは秘密ですわ」
「つれないですね。まあいいでしょう。次に、バームベルクの取り分が一割とおっしゃいますが、これはどう考えても取りすぎです。数パーセントだって多いのではないですか? どうして一割も取る気でいるのでしょうか」
「あら、技術料だとお考えになればよろしいのですわ。新式の水門もそうですけれど、工事技術ならわたくしたちのほうが数段上ですわよ……」
「ですが……」
「ですから……」
ああでもないこうでもないと話し合いを続けたあと、エストーリオは耐えかねたように吹きだした。
お手上げだというように、手にしていたスタイラスを投げ出す。
「まったく……フロイライン、あなたが次の公爵でなくてよかった。あなたが領主になっていたら、どれほどの辣腕を振るうのかと思うと恐ろしいですよ」
「からかわないでくださいまし」
「ホウエルン卿も褒めていましたよ。一割の権利を差し上げるのは少し苦しいですが、あなたに恩を売っておけるのならそのほうが得なのではないかと考えてしまう、とね」
「おあいにくですけれど、わたくし今だけの領主なのですわ」
「色々とお尋ねして申し訳ありません。大変勉強になりました」
「いえ……」
改まった態度のエストーリオを見て、ディーネは直感的に、これはダメだなと感じていた。
「ですが、水門の権利はやはり差し上げられません。確かにあの川はもともとバームベルク公爵のものでしたし、土地は返還するというお約束をいたしましたが、水門の権利を差し上げるという約束は当時も今もしておりません。すでに決まったことについて遡及して権利を主張なさるのであれば、これはわれわれに対する侵略行為と考えます」
ディーネは少しむくれた。おそらく最初から結論ありきで会話をしていたに違いない。長引かせていたのは、ディーネの持っている情報が珍しかったからだろう。
「まあ……では、わたくしたちは別の川に向けて運河を掘り進めることにいたします。それでよろしいのですわね?」
「ええ。しかし私たちとしても運河の利便性は捨てがたいですので、そちらの川とソフィア川にも新しく運河の工事をしようと思います」
ディーネはあっけにとられた。
そういう手があったかと、変に感心してしまう。
「さらに、ソフィア川とフラウ川を結ぶ運河の工事を行っていただけるのであれば積極的に協力いたします。分配についてはまた話し合いをいたしましょう」
それからエストーリオはにこりとした。
「ゼフィア大聖堂が観光地として人気なのはご承知の通りかと思いますが、大聖堂とバームベルクの主要都市が水路でつながれば、利益は少なくないのでしょう? 私たちへのつまらない嫌がらせで運河の建設を見送るなどとはおっしゃらず、ぜひ善行を積んでください。主はあなたの行いを祝福してくださるでしょう」
それで話し合いはおしまいだった。
ディーネの負けだ。
「今回はご期待に添えず申し訳ありません。でも、貴重なお話が聞けて感謝しています。もしも山岳地帯での運河工事が可能なのであれば、革命的なことだとホウエルン卿も驚いていましたよ」
「情報を引き出すだけ出して蹴るなんて品性が落ちるのではありません?」
「何をおっしゃる。先だってフロイラインに要求された土地返還に比べたら微々たるものかと。あれほどの無茶を強いたあとにまだ水門の権利がほしいだなんて、死者の棺から服を奪うようなものですよ。あなたに慈悲の心はないのですか?」
ちょっとだだをこねたぐらいでエストーリオが折れるはずもないので、ディーネは早々に諦めた。
「あなたのしたことで、バームベルク公爵は名君として歴史に名を残すでしょうね」
「それはどうかしら。なにせこの時代にはジーク様がいらっしゃるのですもの。あの方の名声の前には霞んでしまいますわ」
「ええ。あなたが妻となったら、ゆくゆくはあなたの功績も彼のものとして知られることになるのでしょうね」
なるほど、後世には運河の工事もジークラインがやったかのように記録されるのかもしれない。
なんとなく面白くないなと思っていると、エストーリオは敏感にディーネの顔色を読んで、話題を変えるかのように声色を明るくした。
「そうだ、代わりといってはなんですが、ちょっとした儲け話を……フロイライン、そちらに石材はありませんか?」
「石材……ですの?」
「実はホウエルン卿から、あるだけ売ってほしいと言われまして。大金貨で三万枚は用意していると言っていましたね」
「……三万?」
ホウエルン卿の領土はそんなに大きくない。それほどの石材はどう考えても不要だ。
「いったい何を建てるおつもりなんですの?」
「それが、ほら、議会が今法案を通そうとしているでしょう? 武力強化法案といいましたか。ホウエルン卿はあれが通れば砦用の石材が高騰すると思っているんですよ。その前に買い占めておきたいとかで」
ディーネは不思議に思った。投機目的で資材を集めるだなんて、まるで商人のような発想だ。騎士は貴族の末端なので、たいてい商売人のような行動を嫌う。
思案するディーネをよそに、エストーリオはほほえんだ。
「でも、あの法案は通らないですよね?」
ディーネは法案についてジークライン経由の情報しか持っていないが、確かに皇太子の口ぶりからすると否決される可能性はとても高い。
「さあ……わたくしには何とも」
ひとまずとぼけておいたが、エストーリオはどこでどんな情報をつかんでいるのか、騙されないぞとでもいうようにディーネを見ている。
「ドラゴンが襲ってくる不安で石材は今値上がりの動きを見せてますが、法案が否決されればまた下がるはずです。しかもあなたは別ルートの運河も検討中でしょう? そちらの開通と合わせて価格は転落するはずですし、高く売り抜けられるなら今がいいと思いまして」
エストーリオの容赦のない発言に、ディーネはちょっとたじろいだ。
「ホウエルン卿とはずいぶん懇意にしてらっしゃるようですから、お友達なのかと思っておりましたが……ホウエルン卿には法案が通りそうもないことは教えてさしあげないのですか?」
「利害が一致しただけの相手を友達とは呼ばないでしょう。あの方にも何か考えがあるようですからね。私が口を挟むことではありませんよ」
ホウエルン卿はドラゴン騒動に関わっているというし、エストーリオの見立ては間違っていない。
そこでふと疑問に思う。エストーリオはドラゴン騒動についてどこまで知っているのだろう?
皇太子は『あいつはただの馬鹿だ』といっていたが、エストーリオは聖職者固有の読心術の使い手でもあることだし、何にも知らないとは考えにくい。だいたい、ジークラインにかかればほとんどの人間はバカということになってしまうのだから、鵜呑みにするのは危険だ。
ぼんやりとエストーリオに探りを入れる方法を考えていると、彼は石材に関する現在の価格や流通量についていろいろと教えてくれた。
以上の条件から、やはり法案が流れる前に売買契約を結ぶべきだと結論づけたエストーリオに、卿とグルになってディーネを騙そうとしている兆候は見つけられなかった。
「……ホウエルン卿も、やっぱり、ドラゴンの襲撃に不安を感じていらっしゃるのでしょうね」
小さな砦の守護者としては、自衛手段がないのはもどかしいことだろう。
もっとも、彼が主犯となると話は別だが。
「臨時招集の議会に通いづめだと言っていましたよ」
「あら、ホウエルン卿も議会議員でしたのね。陪臣というからてっきり違うと思っておりましたが」
「彼自身は議員ではないですが、法案を支持する団体と一緒に行動しているのだそうです」
「まあ……」
エストーリオとの世間話は長く続いたが、彼がどこまで事態を知っているのかまでは読み切れずに終わった。
ディーネもまだまだ修行が足りない。




