ジャガイモとシスターとお嬢
ディーネの私室は三部屋に分かれている。ひとつは来客やひまを持て余した侍女が行き来する応接間。その奥がベッドルーム。そのさらに奥にあるのがドローイングルームで、衣裳や本などこまごまとした私物がつめこんであり、バスルームともつながっている。個室にひとつずつバスルームがついているのは近頃流行の建築スタイルだった。ワルキューレ帝国は古代から今に至るまでずっとお風呂好きなのだ。
もちろん日中は私室以外でくつろぐことが多い。公爵家の屋敷には数えきれないほどの部屋があって、急なお客様が百人泊まりにきたって対応できるぐらいたくさんのスタッフがいる。だから突然、『今日は天気がいいからお外でお茶しましょう』なんて言い出しても全然問題ない。
――その日のディーネたちは侍女を誘って外庭でピクニックもどきを興行中だった。
公爵家にはみっつの庭があり、それぞれ正門から玄関までを繋ぐ前庭、屋敷のところどころに挟まる中庭、そして外の広大な森につながっている外庭のうち、今回はより野外感のある外庭で春の景色を楽しむことになった。
外はクロッカスやスノードロップなど、春の花が満開のころを迎えていた。りんごの木やアーモンドの木がつける花はどこか日本のサクラに似ていて美しい。天気もちょうどいい頃合いだ。行楽シーズンになってきたので、これから王都でもたくさんの園遊会やお茶会が開かれるだろう。
つまり――珍しいケーキなども売れる時期だということだ。
ディーネが先日開発した新商品・ベーキングパウダー。
現代知識がある転生令嬢ディーネにはこれの使い勝手や風味のよさがよく分かっているが、この世界の人たちにも理解してもらうには、みんなに食べさせて回るしかない。
その新作のケーキをディーネが侍女たちに披露すると、四人の侍女たちは四人四様の反応をした。
侍女頭のジージョは眉をひそめた。
もと修道女のシスはお菓子に目を輝かせている。
伯爵令嬢のレージョは『またお嬢様の微妙な手作りケーキか……』という顔をしていた。
そして今回の主役である豪商の娘のナリキは、難しい顔で真剣にケーキを味わっていた。
「……どう?」
ナリキが食べているのはスポンジケーキ。素材の風味のよさを味わってもらうため、味付けはシンプルに、ジャムだけ挟んだ。
前世ではいわゆるヴィクトリアケーキと呼ばれていた代物だ。
「確かに、食べたことのない味がします。おいしいとも思います」
ナリキは難しい顔で言う。
「……ですが、商品化は難しいでしょうね」
ディーネはショックを受けた。
「ど……どうしてかな?」
「単純に言ってコストがかかりすぎます。わが国の主食はなにか、覚えていらっしゃいますか?」
「えーと……」
たしか記憶が戻った直後にふりかえった。
『帝国ワルキューレは軍事大国であり、ジャガイモをよく産出』
そうそう、ジャガイモだった。
「ジャガイモです」
「ご名答。つまり、わが国の小麦の産出量は主食全体の二割程度なのです。これがどういう意味かお分かりですか?」
横で聞いていたレージョが、『はーい!』と手をあげた。
「みんなパンよりジャガイモのほうがすき!」
「いえ、そういうわけでは……」
ナリキはちょっと肩すかしを食らったような間抜けな顔をした。
もちろんレージョの言うことは間違っている。
国民は、仕方なくジャガイモを食べているのだ。
「小麦よりもジャガイモのほうが育てやすい……ってことよね。小麦は手間がかかる割に収穫量があまり多くないの。ぜいたく品なのよ、小麦のパンって」
ディーネが解説すると、シスがすっと手をあげた。
「……わたくしがいた修道院のシスターは……」
おっと。なんか切ない話の予感がする。
修道院は人里離れた厳しい山奥に建てられ、修道女たちはそこで自給自足の生活を送る。
暮らしぶりはかなり厳しい。
「シスターはいつもおなかがいっぱいになったからっていって、わたくしに食事のジャガイモをわけてくださっていたんですの……わたくしはそれがとてもうれしくて……ご自分をかえりみず人に分け与えることができるシスターの崇高なお心にいつも感動しておりました……」
わあー、切ないぞう。
犬は三日飼えば三年は恩を忘れないというけれども。
ジャガイモひとつでそこまで。
どこまで厳しいんだ修道院生活。
「でもわたくし……ある日偶然目撃してしまいましたの……」
シスのからだがわなわなと震える。
「いつもおやさしくて謙虚で素敵な、わたくしの理想のお姉さまが……お姉さまが……」