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化粧品は好きなもの使ってください


 化粧水、コールドクリーム、美容液。呼び名はさまざまなれど、基礎化粧品の手づくりはそれほど難しくない。

 水と油に乳化剤を入れて攪拌すれば完成する。材料もわりと幅広く好きに選べる。卵で作ってもいいし、牛乳で作ってもいい。ミツロウで作ってもいい。いってみれば生クリームやマヨネーズみたいなものである。


 行き過ぎた美容オタはたいがいこのあたりにも手を出す。

 前世のディーネの母親もこういうものが大好きだった。懐かしい。


 ただ、普通に混ぜただけではすぐに腐る。冷蔵庫のないこの時代、どうやって品質を保たせて流通させるかというのが課題になる。


「防腐剤ってどうすれば作れるんだったかなぁ……」


 化粧水の作り方は知っているが、さすがに防腐剤の作り方までは知らない。

 そもそも、現代日本のコスメオタは防腐剤忌避で化粧品を手作りしているところがあるので、入れてしまったら元も子もないというのもある。


 一応、限りなくエタノールに近いものは作ったが、それだってもともとあるお酒を蒸留して間に合わせたので、完璧ではない。無水のものは蒸留では得られないので、さらなる研究が必要だ。


「まあいいわ。ひとまず水の割合を減らして、油性の美容クリームから商品化しましょう」


 水の割合を減らせば化粧品の保存性は一気にあがる。

 油が腐りにくいのと同じ理屈だ。

 そこに酢を混ぜたマヨネーズなどは常温でもかなり持つが、まさか化粧水に高濃度の酢を混ぜるわけにもいかない。殺菌作用の強い薬草の蒸留水とエタノールを足してせめてもの慰みとした。


 ――かくしてミツロウの乳化作用を利用したコールドクリームが完成した。


 腐りやすいことも含めて考えて、冬季の限定販売を開始する予定である。

 ただ、この商品は一般庶民やアッパーミドルクラス向けだ。相当に乱暴な使い方をしても悪くならないと見越して作っている。常温保存で半年いけることは確認済みだが、識字率の低いこの世界のこと、トンデモな使い方をする人が出てこないとも限らない。腐った商品を傷口に塗って悪化させたりするような人が出てくるかもしれないと思うと、なかなか出しにくいというのが実情だった。


 この時代の庶民の化学知識は本気で迷信と変わりなく、大真面目な薬草学の書物にも『女性が月経血を塗ると避妊に効果がある』などと書いてあったりする。ある程度きちんとしたサニタリーの知識が一般に広まるまでは、薬品・化粧品の類は考えて販売しないと危険なことになりかねない。


 それとはまったく別に、趣味で作った化粧水がディーネの手にある。こちらは一般流通向けの化粧品とは違い、かなりハイエンドな成分配合をしている。

 油でふたをするコールドクリームではなく、水分保湿を目的に作られたこの商品は、大量販売に向いていない。鮮度を確認しながら、きちんと管理できる人にだけ渡す予定の品である。


 ディーネはあらかじめ決めておいたターゲットに接近するべく、ザクサーノ伯爵領に使いをやった。

 すると彼は申し訳なさそうな顔で戻ってきた。


「伯爵夫人はどなたともお会いにならないそうです」

「そうなんですの……ごくろうさま」


 正面から行ってだめなら絡め手だ。ディーネはヨハンナが外出しているときを狙って、彼女がくつろいでいる見晴らしのいい草原までやってきた。

 気候は長袖でちょうどいいぐらいで、暖房がなくても過ごしやすい。絶好の行楽日和に、葉影でピクニックをしている伯爵夫人一行が見えた。


 どんどん近づいていくと、侍女と歓談中だったヨハンナが飛び上がった。


「あ、あなた……! 勝手に……!」

「ごきげんよう、ヨハンナ様。すっかりご自宅に引きこもっているといううわさでしたけれど、お元気そうで何よりですわ」


 ディーネはわざわざドレスの端をつまんで正式なおじぎをした。このあいさつはそう頻繁にするものでもない。初対面でもないのにわざとやったのは、要するに、ディーネなりの意趣返しだった。


「私を笑いに来たの? 田舎の部族ふぜいが生意気ね」


 彼女は皇女に生まれ育ち、宮廷文化の第一人者として活躍してきた人だ。その彼女にしてみればディーネなど田舎育ちの冴えない小娘にすぎない。


「あら、退屈していらっしゃるだろうと思って、田舎で流行っている遊び道具をお持ちしたのですけれど……」


 ディーネは先日作ったミネラル系のファンデーションを取り出した。ちなみに粉は酸化鉄とカラメルでうっすらとしたピンク色に着色している。


「おしろいに色をつけてみましたの。これを塗ると自然な肌色になりますから、近づかなければお化粧していることがばれにくいですわ」


 ディーネが説明しながらぽんぽんと手の甲に粉をはたいてみたが、ヨハンナは相変わらず剣呑な顔をしている。彼女の侍女たちも警戒した表情だ。


「もうひとつ、リキッドタイプのファンデーションも作ってみたのですけれど、必要なかったかしら?」


 こちらも特に難しいものは使っていない。ミツロウを乳化剤にして、植物性油脂と酸化亜鉛のおしろいを混ぜ合わせただけだ。


 ピンクがかった肌色のペーストを手の甲に塗る。


「ほら、肌の色に近いから、お化粧品だとは分かりにくいでしょう? この上からパウダーをはたくと、強力な補正がかかりますわよ」


 もう一度手の甲に粉をはたいてみせると、ヨハンナは眉をひそめた。


「……それがどうしたの?」


 なぜ自分が突然化粧品の売り込みを受けているのか分かっていないようだ。


「こちらのお化粧品を使って、自然なメイクをして劇に挑まれてはいかが?」


 ヨハンナは今度こそ激怒したように手近な祈祷書をディーネに向かって投げつけた。おっと。

 ひらりとかわすと、今度は怒声が投げつけられた。


「どこでその話を聞いたのか知らないけど……わたくしを笑いものにしようというの!?」

「まあ、わたくしそんなつもりではございませんでしたわ。わたくしはただ、おかわいそうだと思って……」


 白々しく聞こえたのか、ヨハンナは血相を変えてディーネをにらみつける。


「あんたねえ……!」

「お待ちになって、わたくし本当にひどい話だと思いましたのよ。女性がお化粧を楽しんで何が悪いのでございましょう。いくら教会の方だとて、女性の装いの楽しみをあげつらう資格なんてないはずですのに……ヨハンナ様がお感じになった屈辱はわたくしにもようく分かりますわ」


 ディーネは手を広げてみせた。


「ねえ、教会の方々の鼻をあかしてやりたいと思いませんこと? わたくしそのために協力できることはないかと考えたのですわ。ご覧になって、こちらの化粧水もとっても効果的なんですのよ。ほら」


 トロリとした化粧水は、カゼインナトリウムを乳化剤に、油と水を混ぜて作った。ミツロウの乳化作用はあまり強くないが、カゼインナトリウムは強力で、大量の水を油と結合させられる。より肌への透過作用が期待できるというわけだ。


「毎日つけていただければ、きっと美しい肌が手に入りますわ。だまされたと思ってお試しになって」


 ヨハンナは激しくこちらをにらんでいる。


「……毒でも入っているんじゃないの?」

「まさか、こちらはすべて口に入れても大丈夫な素材でできておりますのよ。ほら」


 ディーネは化粧水を手に取って、なめてみせた。とたん、殺菌作用を期待して入れたローズマリーの強烈な味が舌を焼いたが、我慢をして笑顔を作る。この商品の素材はすべて食品にも使われるものなので、実際に害はない。カゼインナトリウムはコーヒーのミルクポーションや現代日本で市販されている化粧水などにたくさん入っている。


 ヨハンナはそれでようやく少し信用してみる気になったようで、まじまじとディーネが手にしている瓶を見つめている。


「ただし、こちらは腐りやすいですから、涼しいところに保管して、五日以内には使い切ってほしいですわ」


 にこりとヨハンナにほほえみかける。


「……きっと、五日後にはもっと欲しくなっていらっしゃるでしょうから、また改めて作ってお持ちいたしますわね」

「いらないわよ!」

「そんなことおっしゃらないで。お化粧品も置いてゆきますわ。ぜひともお試しになって」


 ディーネは一方的に手持ちの籠を相手に押しつけた。彼女が反射的に受け取ってしまったのは、おそらく中身に心惹かれていることの表れだろうと判断して、そのままピクニック地を後にした。


「使ってくれたらいいんだけど……」


 こればっかりは神さまにお祈りをするしかない。


「さて、それはそれとして、皇妃さまにもお渡ししなくちゃね」


 美肌の秘密はこの化粧水、となれば、彼女のシンパ、政治的な理由で仲良くしなければいけない官僚貴族たち、社交界の女性陣、その他もろもろ広範囲に影響を与えられる。

月経血を塗ると避妊に効果がある


”婦人の月経血を当人の身のまわりに塗るか、当人がその月経血を跨ぐかすると、避妊効果があると考えられている。”ディオスコリデスの薬物誌 97・PERI HAIMATON 血液 出版社: エンタプライズ (1983/05) 著 小川 鼎三 他

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