よろしい、ならば戦争(クリーク)だ
パパ公爵がそわそわしている。
ディーネが作業をしている執務用の離れにやってきたかと思えば、世間話をハリムとしているのだが、何か心ここにあらずといった様子で会話がつるつる滑っている。
「お父さま、今日はお暇ですの?」
「いやあ、そういうわけではないんだが……」
なにか言いたいことがあるようだ。
「実は、金を用立ててほしくて来たのだよ」
「お金……ですの?」
「ああ。ほら、ドラゴン騒動で何かと物騒だろう? 久しぶりに軍隊を動かそうと思ってな」
ディーネは眉間をもんだ。
言うまでもないが、軍隊は、動かすとものすごいお金がかかる。それでなくとも赤字が続いているので、もちろんそんな無駄遣いは領主代行として認められない。
「今年はもう戦争をしないとわたくしとお約束してくださいましたわよね。あれは……?」
「いやあ……それがそうも言ってられない世情なのだ、わが娘よ。そなたもジークライン殿下が忙殺されているのを知っているだろう? われらの力が必要なときなのだ」
「あの方なら竜が千匹襲ってきたってピンピンしてますわよ」
「あいかわらず殿下に厳しいな。また喧嘩したのかい」
「いーえ。とにかく戦争はだめったらだめです」
パパ公爵は困ったようにハリムを見た。ハリムがディーネのほうに助けを求めて視線を泳がせる。ディーネはパパ公爵をにらみつけた。
「しかし、もう皇帝陛下からもゲートの通行許可証をいただいてしまったしなあ……」
軍隊は基本的に転送ゲートから転送ゲートを移動するのだが、ゲートの通行権はふつうその土地の領主が握っている。いかにバームベルク公爵が大貴族といえども、無断でゲートを使用することはできない。当たり前の話だが、たとえ同じ国であっても、他貴族の領地に軍隊を投入するのは明白な敵対行動である。そこの貴族からめっちゃ怒られるなんてもんでは済まず、最悪の場合はその場で戦争が勃発する。
戦時の特別な通行許可などは例外的に皇帝が行なうのだ。
そこまで来ると事実上、開戦の許可を得たことになる。
「今年はもう戦争しないってあれほど通告したではありませんの!」
「わが娘よ、ときと場合によるのだ。今動けばまた新たな国を支配下に置ける」
「……ちなみにどちらに攻め入るご予定ですの?」
「スノーナビアだ」
「なるほど、スノーナビア」
話が一本線でつながったので、ディーネは思わずぽんと手を打った。
「うむ。これはここだけの話なのだが、どうやらスノーナビアのフェンドル庶子公がアークブルム辺境伯と手を結んでいるらしい、という情報が入ってきておる」
「一連の竜騒動も彼らの仕業でしたわね」
ディーネは脳内から貴族名鑑を引っ張り出した。
フェンドル庶子公といえばスノーナビア国王の腹違いの兄ではないか。愛人の子なので王位は継げなかったが、父親に溺愛されて小さな国の公主に任命されていたはずだ。なのでフェンドル公国はスノーナビア王国の一部でありながら、半ば以上独立した領土として扱われている。
しかし、フェンドル庶子公がアークブルムと手を結んでいるというだけでは処罰できない。
「ではようやくスノーナビアが一連のドラゴン騒動にも関与していることが明るみになりそうですの?」
「まあ、聞きなさい」
パパ公爵は子どもに言い聞かせるように、話すペースを落とした。
「実は、フェンドル庶子公主導での王位簒奪計画が着々と進行中のようでな。これを好機と見て、計画遂行を黙認することにしたのだよ。フェンドル庶子公が王位につくまでは支援ないし黙認し、すべてが終わってから簒奪者討伐の名目で挙兵予定だ」
ものすごい陰謀をサラッと聞かされて、ディーネは目まいがした。
要するに、スノーナビアの王族を根こそぎ排除して乗っ取ってしまう計画なのだろう。
「……お待ちくださいまし、わたくしたちが挙兵しても、戴冠はできませんわよね? 皇帝陛下にはスノーナビアの継承権がありませんもの……」
戦争での勝利如何に関わらず、継承権があるかどうかは非常に重要視される。敵対国の王の首を取ったからと言って、すぐに敵対国の王を名乗れるわけではない。
しらみつぶしに探せばスノーナビアの王族から嫁いできた女性の末裔なども見つかるかもしれないが、そもそもかの国はワルキューレと同じくメイシュア教を採用しており、女性の継承権順位はいちじるしく低い。
「フェンドル庶子公を討ったら、今度はわたくしたちが簒奪者となってしまうのでは?」
「簒奪などではない。今回はな、スノーナビア王家の有力貴族をひとり押さえておる。彼の継承権を盾に、武力による実効支配と傀儡王権でなし崩しに」
「結局簒奪ではございませんか」
「ふん。なにを青いことを」
パパ公爵は得意げである。
「よく覚えておくがよいわが娘よ。ワルキューレはこうして大陸一の大帝国に発展したのだ。そなたもワルキューレの国母となるからには、いまのうちにこの父のやり方をようく見ておくのだぞ」
「お父さま……」
なんて邪悪なやり方なのだとディーネは震撼した。パパ公爵はディーネを何に仕立て上げたいのだろう。邪悪な国母だろうか。敵国の領土を上手に略奪する愛され皇妃か。そんな女は今のうちに排除しておいたほうがいいのではあるまいか。
「ともかく、三十万だ。いつ必要になるか分からんから、すぐ使えるようにプールしておいてくれ。なに、いつもの金融屋から借りればよい」
パパ公爵は一方的に言いつけて出ていった。
ハリムと顔を見合わせて苦笑する。
「困ったことになりましたね」
「ねえ、金融屋さんは貸してくれると思う?」
「先日、巨額の踏み倒しをしたばかりですからね……」
「そうだよね……怒って貸してくれないと思った方がいいよね……」
そうなると別の借り手を探さねばならないだろう。
困ったことになった。
「フェンドル公国ってそもそも三十万もかけて攻略するほど実りの多い土地だった?」
「北国ですから、農作物は期待しないほうがいいでしょうね。魔法石の鉱脈を押さえられれば収支がプラスになる可能性はありますが……」
「でもあそこ、野良ドラゴン多いんでしょう? 討伐が大変で収支はトントンって聞くけどなあ……」
ディーネは魔法石を巡る攻防についてはノーアイデアだ。
だって前世には魔法など存在しなかった。ディーネはただの歴オタなので、地球史に前例がないことは予測がつかない。
戦争というと真っ先に思い浮かぶのはジークラインだ。彼は一騎当千の軍師にして魔術師なので、まず負けることはありえないだろう。ここでなるべく出兵協力をして勝ち馬に乗っておきたいと考えるパパ公爵の考えも分からないではない。
――俺なしでは何もできないってようく分かったろう?
ふいに過去にいただいたありがたいお言葉を思い出し、ディーネはむかむかしてきた。
「三十万かあ……」
頭の痛い問題が増えてしまった。




