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元皇族の伯爵夫人(5/5)



「ディーネ様? 何を……」

「あぁーら! あらあら! たぁーいへん! ご結婚前から、もう浮気なんですの!?」


 ――この女喜びすぎじゃない?

 不幸を喜ぶ下衆な精神が隠せていない。


「やっぱり英雄の方は違いますわねぇ~!」

「公姫様、お気を落とされてはいけませんよ? ジークライン様はわが国の戦神なんですもの」

「ねえー! 今までが公姫殿下に甘すぎたぐらいなんですわ!」


 狙い通り大騒ぎする彼女たちに、ディーネはしおらしく続ける。


「それでわたくし、ご一緒に歩いていらした方を拝見して、また驚いてしまって……」

「どなただったんですの!?」

「アネシドラ様ですわ」


 アネシドラ。帝国がメイシュア教を国教にする以前、信仰されていた豊穣の女神。彼女は古代の神々の中でもっとも美しく情熱的だと言われている。

 この世界に魔物は存在するが、神々はいない。


 アネシドラの名前があちこちでつぶやかれるが、誰も意味は分かっていないらしい。

 ――非実在の女神と一緒に歩いていたとは、どういうことなのか?


 居並ぶ貴婦人たちの、『何を言っているんだこいつ』というような視線。ディーネは笑いださないように精一杯こらえながら、泣き声を作った。


「本当なんですのよ!? ジーク様ったらアネシドラ様と仲睦まじげなご様子でしたわ! 信じてくださいまし!」

「仕方がありませんわ、ディーネ様」


 したり顔の慰め。発言者のシスは早くもディーネの趣旨を読み取ったようだ。百回に九十九回は奇妙なことしか言わないが、こういうときは異常に察しがいい子だった。


「ジーク様ほどにもなると、女神さまがお相手でなければ釣り合わないのですわ」


 レージョもなんとなく分かったらしい。


「そうですわ、ディーネ様。たとえディーネ様が人間界一の美少女だったとしても、ジーク様にしてみればセミみたいなものですわぁ」


 ――またこの子、人のことセミ呼ばわりして。

 悪い子ではないが、こういうところは釈然としない。


「そうですわそうですわ。人間の女ごときがジーク様に相手にされると思うのが間違いなのですわぁ」


 ふたりしてうなずきあうシスとレージョ。

 貴婦人たちはあいもかわらずポカン顔だ。


「そうよね……わたくしが間違っておりました。ジーク様ほどの英雄ともなると、たくさんの女性を相手になさるものなのだと、こちらにお揃いの貴婦人さま方がわたくしをこんこんと諭すものですから、すっかりそのつもりでおりましたけれど、さすがに女神さまが相手では敵いませんわ……」


 ディーネはそれはもうあざとく、チラリと貴婦人がたを見やった。


「人間の女性であれば、まだしも争う手段もあったのですけれど!」


 こらえきれなかった誰かの笑い声がした。もちろんディーネの侍女たちの仕業である。

 ジージョなどは激しくせき込んでいる。わざとらしいにもほどがある。


「それはそうですよね。人間の女性でしたら、こういっちゃなんですけど、ディーネ様とは勝負になりませんし」

「だってこのべっぴんさんですのよ? この妖精のようなディーネ様とですのよ? 勝てる要素が何かひとつでもおありなんですの? って思っちゃいますわよねぇ~」


 嫌味ったらしくお揃いの貴婦人方を見渡すシス。

 これがトドメだった。


「あ……あらぁ~。公姫様のところの侍女さんたちは、ずいぶん熱烈に公姫様を慕っておいでなのですわね」


 平静を装っているが、ブチ切れているのは手に取るように伝わってくる。

 さっそく侍女たちの絶賛を身内びいきということにしようとしているようだ。


「でも、公姫様って、ちょっと近寄りがたいところおありになりますものねぇ~」

「おきれいですけど、殿方が好きになるとは限りませんわぁ~」

「あらぁ、おきれいかしら? わたくしの好みとは少し違うようですわねぇ~」


 遠回しにブスだと言いたいようだ。


「それに、女性の魅力は外見だけではございませんわよねぇ?」

「そうですわ。女性は殿方の気持ちをうまくくすぐれてこそ輝くのですわ」


 侍女たちは顔を見合わせた。


「あら、中身でもディーネ様と勝負するのはご遠慮させていただきたいですわ。ディーネ様のご教養はまさに皇太子殿下の御伴侶にふさわしいレベルかと」

「ディーネ様は聖書でも古代帝国語の叙事詩でも何でもよくご存じなのですわぁ」


 クラッセン嬢は腐っても公爵令嬢。くわえて本人がなんでも思いつめる性格なので、お勉強にも過度の熱が入った。

 小さい頃から何かと意地悪な貴婦人がたにいじめられてきた経歴も少し影響しているかもしれない。彼女はジークラインにふさわしい妃になろうと必死だったのである。


「そのうえ魔術までよくお出来になるでしょう?」

「そうですわぁ~。皇太子殿下は魔術がお好きですから、何の教養もない女性とは話していても退屈でしょうねえ~」

「もしも帝国で一番ジーク様のお気に召す可能性がある女性を選ぶとしたら、ディーネ様でしょうね」

「だってディーネ様は正真正銘の『お姫さま』ですもの」


 レージョは手の甲を口に添え、ふんぞり返った。いわゆる悪役令嬢のお決まりポーズだ。


「ちょーっと男に媚びを売るのがうまいからっていい女ヅラしてるそこらへんの凡庸なブスとは格も器も違いますものねぇ~」


 さすがにそれは言いすぎだったが、ヨハンナとその取り巻きたちをムカつかせる効果は抜群だったらしい。

 美しく装った貴婦人がたのお顔がえらいことになっている。


「いやですわ、もうこんな時間!」


 激怒している女性たちをその場に残して、ディーネは立ち上がった。ここからの収束や巻き返しは絶対に無理だ。このまま逃げるに限ると判断し、慇懃に礼をしてその場を辞する。


「ねーディーネ様ごらんになりましたぁ~? あの顔! 最高でしたわぁ~!」

「ちょっと! 聞こえるでしょ!」


 これ以上はいくらなんでもやりすぎである。


「でもディーネ様も、ちょっといい気味だったのではございません?」

「……ちょっとね」


 長期的に考えれば、こういうちょっとしたやり取りで敵を増やすのはけっしていいこととは言えない。それでも引っ込み思案な公爵令嬢だって言うときは言うのだと示してやれたのは少なからず爽快であった。


「でもみんな、どうして来てくれたの?」

「セバスチャンが呼びにきたのですわ」

「ディーネ様がヨハンナ様に捕まってしまったって」

「ヨハンナ様といえば、あのいやみ三昧の御方でしょう? ディーネさまが泣いてらっしゃるのではないかと思って急きょ飛んで参りましたのよ」

「みんな……」


 ディーネは侍女を順繰りに見つめた。ジージョはいつもディーネをかばってくれる。シスだってレージョだってナリキだって同じだ。


「ありがとう。助かったよ」

「でも先ほどはびっくりしましたわぁ!」

「分かりますわ、だってディーネ様が言い返してらしたんですものね!」

「あんなディーネ様は初めて見ましたわ。いったいどうしたんですか?」

「うん……」


 本当はもっと早くにああするべきだったのだ。いつまでも何も言い返せなくてオロオロするだけのディーネを、きっとヨハンナたちは侮りきっていたのだろうから。


 ほっとしたら緊張の糸が切れてしまったのか、急に涙が出てきた。


「いやですわ、ディーネ様、泣かないで」

「やっぱり怖かったんですのね?」

「怖いの怖いのとんでけーですわぁ」


 守られているばかりではいけないと思うのに、今はその事実がうれしくて、もう少しだけ彼女たちに甘えていたかった。


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