元皇族の伯爵夫人(2/5)
公爵令嬢のディーネは敵対派閥の貴婦人にとっつかまった。
これから集団でイジメられる予定である。
分かっていてもしんどい。すでに目は死んでいる。
ヨハンナはメインディッシュを切り分けるがごとく、ディーネを自分の隣に座らせて、意気揚々と声をあげた。
「ディーネちゃんったら厨房で働いてたのよ!? ビックリでしょう!?」
ヨハンナの取り巻きをやっている女性がすぐさま応じる。
「公姫さまったら……お父さまがご覧になったらお泣きになるのではございません?」
「そうよぉ、あんまりお父さまにご心配をかけてはいけませんわ」
ひとしきり嫌な感じの笑いが起こった。
感じが悪すぎる。こいつらはいつか処刑だ――と、冗談まじりに考えてやり過ごす。
ふと誰かがつぶやいた。
「そういえばモーブリ伯爵家のお嬢さんってどうなったのかしら?」
「それがね、実家にお金がなくなって、とうとう彼女まで下働きをしているんですって!」
ゲラゲラと笑う一同。
「あちらのおうちでは使用人を雇っていられないから、奥方がご自分でお料理をなさるのだそうですわ」
「なんてこと!」
「みっともないですわねぇ」
――料理ちゃんとするなんて偉いじゃない。
というのは現代日本人の感覚であって、一般的な貴族の感覚からすれば、そんなものは庶民のやることだ。真の貴族とは生活をしない人たちである。ここで言う生活とは、農業や手工業、商業活動のことだ。
奥方が料理をする家は中流。
すべてを使用人に任せる家が真の上流なのである。
これはワルキューレが軍事大国であることとも関係している。戦争に兵を提供する『国王の家士』が『貴族』として認められるこの帝国には、新興の弱小貴族もまた多い。たとえ農民であっても、騎馬兵として従軍する者には褒美として小貴族の称号――『騎士』が与えられるからだ。貴族の総数が多いからこそ、歴史ある名門の貴族は弱小貴族との格の違いを見せつける機会を虎視眈々とうかがっている。
あなたたちとは違うのよ、という貴族の差別意識を究極的に煮詰めると、『商売などはしない』『奥方に料理など生活のこともさせない』家柄が真の名門ということになってくる。『宮廷で遊び暮らして』『何もしなくても裕福であり』『さまざまな遊興に通じている』女性が真の貴婦人なのだ。
要するにママ友同士のマウンティングのし合いのようなことを、ワルキューレの宮廷社会では延々と続けているのである。
さておき、なぜ彼女たちが突然モーブリ伯爵のご令嬢の話題を持ってきたのか?
決まっている。
お菓子作りが得意で、今も使用人にまじって仕事をしているディーネに当てつけているのだ。
――今のディーネは、ブログにあげた料理写真をこっぴどく叩かれている芸能人のようなものだった。
「お金がない方っていやあね」
「心が貧しいから、態度も悪くなるのですわぁ」
「そういう方って見たら分かるのよね、貧乏たらしさがお顔に出るっていうの?」
今この場に限って言えば、ディーネがにこりともせず彼女らの話を聞き流しているのは、当てつけに不快な思いをさせられているからだ。しかし彼女たちは何がなんでもディーネを貶めたいので、言いがかりもつけ放題である。
「ねえ、ディーネ様はどう思われます?」
「そうですわね。お金がないのは悲しいことですわ」
借金が山のように残っているおのが公爵領の現状を思い、ディーネが自虐的にそう述べると、彼女たちは大喜びした。
不快だが、公爵領に借金があって、その解消に向けてディーネががんばっていることは事実である。事実を指摘されたからといって何も動揺することはない。
笑いものにするこの女たちの根性がひねくれているからといって、同レベルで怒ったりする必要はないのだ。
彼女たちはひとしきりディーネの反応を見て楽しんでいたが、やがてまた何か思いついたように、にんまりした。
「ねえ、カナミアの戦勝記念式典のジーク様も素敵だったわね」
今度はジークラインの話だ。
「よかったわね! 帝国語と教会の典礼言語とでご挨拶をなさったでしょう」
「すばらしかったですわあ。やっぱりああいう場面は殿方でないとだめね」
「女性はいざというときの度胸がありませんもの」
実はその式典ではジークラインに続いてディーネも挨拶をしていたのだが、彼女たちはそれを責めたいらしい。ジークラインを持ち上げて女性全般を批判することにより、間接的にちくちくやるという寸法だ。
あの式典のクラッセン嬢は、大観衆を前に緊張してしまい、大きな声が出せなかったのだ。
これは彼女たちの常套手段でもある。
ジークラインをほめたたえ、女性批判で間接的にクラッセン嬢を貶める。
ディーネはこの方法で何度となくイヤーな気分を味わわされてきた。初めて祝典で民衆の前に立たされたときのことなんか、数えきれないほど彼女たちにネタにされ、笑いものにされてきた。
ほんの十歳かそこらの、典礼言語を習いたての少女が、式典などでうまくあいさつできなかったとしても仕方がない、それだって同年代の子と比べればずっと優秀である――などという客観的な評価はこの際どうでもいいのだ。いい気になっている(と彼女たちには見える)小娘がいて、そのガキを攻撃できる手段を持っている。ならば、あいさつをしたときの仕草から発音間違い、文法違いまで、根掘り葉掘りほじくり出して攻撃してしまえばいい、というわけだ。
クラッセン嬢の場合は、ジークラインが飛びぬけて優秀であるのもよくなかった。彼と比べられたら誰だってかすんでしまう。
こうしてクラッセン嬢は、どんなに優秀であっても『未来の国母としては』という観点のもと、批判の矢面に立たされるという経験をいく度となくして、それが嫉妬や宮廷内の権力争いの一環にすぎないと知っていても、自分に自信が持てないようになっていった。
ディーネも、先ほどからしきりに胃痛を覚えている。この場から逃げ出したいと、クラッセン嬢が泣いているのだ。しかし。
――落ち着いて。大丈夫よ。
かつての彼女は、どうして自分がこれほどの悪意に晒されているのかが理解できず傷つくばかりだったが、今は違う。
――日本のイジメに比べたら大したことじゃない。
ワルキューレの宮廷社会は狭い。ほんの数千、数万の貴族家門の、そのまた一部が集って社会を形成しているに過ぎない。それに比べて現代日本では、必ず全員が小さなクラスに振り分けられて十数年を過ごすのである。
ディーネは前世で学校の裏サイトやSNSの連絡網を駆使したイジメ書き込みのいたちごっこまで経験済みだから、面と向かって少々嫌味を言われたぐらいでは何とも感じないというのが本音だった。
たまたま集団生活を送ることになった他人と気が合うか、合わないかなど、個人の資質でしかないし、どんなに人気があるアイドルにだって、反感を持つ人は一定数出てくる。
クラッセン嬢に何か問題があるのではない。単に彼女たちが、反感を持つ一定数の人間であったというだけのことだ。
気の利いた発言で相手をギャフンと言わせよう、などと思っては負けだ。
ディーネを傷つける目的で周りも抱き込んで仕掛けてきているのだから、何を言おうともいいように解釈されるに決まっている。
ここで彼女たちと争うのは得策ではない。刺激しないように話を合わせつつ、そっと抜け出すのが最善だ。
話題が落ち着いてきたころを見計らい、ディーネが席を立とうとした、そのとき。
「ねえ、公姫殿下。ジークライン様とのご結婚はいつになりそうなんですの?」
貴婦人Aが笑いながら言った。
ディーネは息をのみ、凍りつく。
それはクラッセン嬢が一番苦手な話題だった。




