元皇族の伯爵夫人(1/5)
転生公爵令嬢のディーネは領地の経営に力を入れている。
前世での見聞をフルに使ってまだこの世界にはないバンケットのサービス提供業なんかを手掛けているが、部下が過労気味なのが気になっていた。
ディーネは現在、とても悩んでいた。手には一通の依頼書がある。
手紙の差出人は有力な司教主。大規模なお茶会がしたいからと、通常の二十倍近い予算を提示してきている。
断るという選択肢は考えにくい、なにしろ二十倍規模だ。実入りを考えたらぜひとも受けるべきだった。
「問題は、先約をどうするかなんだけど……」
すでに依頼されている分を断ってしまってもいいのだが、その相手に少し問題があった。
ザクサーノ伯爵家、奥方はもと皇族のヨハンナ、二十二歳。先代皇帝の弟の孫娘で、ジークラインの再従姉。幼いころから洗練された皇宮の作法を見聞きして育つ。ぜいたくごのみで洒落もの。彼女がファッションのモードを作ることも珍しくない。教養があって華やかで、社交界を仕切るほどの度量の持ち主だ。ディーネとも旧知の仲である。
彼女の依頼を断ると、おそらくディーネはあることないことさんざんうわさされることになるだろう。それだけ宮廷社会に影響力が強い女性なのである。
セバスチャンはどちらも自分が請け負うと言って聞かないが、司教主からの依頼案件は片手間にこなせる規模ではない。
「やっぱりザクサーノ伯爵の宴会は私が行くね」
「お嬢様……」
苦渋の決断を伝えると、セバスチャンは心配そうにした。
彼はパパ公爵や公爵夫人のコンパニオンとして皇宮にも出入りするから知っているが、ヨハンナはバームベルク公爵夫人が大嫌いである。ふたりとも宮廷の華なので、なにかと比べられる機会も多いのだろう。水面下でライバル意識を燃やしている。
そして娘のディーネもヨハンナから蛇蝎のごとくに嫌われていた。
「司教主様のご依頼はお断りになったほうが……その分、私がまた働かせていただきますので」
「そんなわけにもいかないでしょう……ただでさえ働きすぎなのに」
「ではせめて、屋敷の者を向かわせましょう。今から仕込めばなんとか……」
「そんな暇あるように見える?」
ディーネだって行きたくはないが、仕方がない。
「裏方に徹して顔を出さなきゃたぶん大丈夫」
だと、思いたい。
「私もできるだけ行き来するようにしますので、ご無理はなさらないでくださいね。ヨハンナ様に何を言われても決してお気になさらないように……お嬢様はとても素敵な方です。誰よりもおやさしくていらっしゃいます」
セバスチャンの大げさな励ましは嬉しかった。
――それだけあの女がひどいんだけどね……
憂鬱になりながらも、当日はあっという間に来た。
ディーネは厨房を自分の陣地と定めて、あれこれ指図することにした。料理は基本的にバームベルクの屋敷であらかた仕込んでもらっているので、こっちでやるのは主に飾り付けだ。
ワルキューレの食事はテーブルに料理をいっせいに並べてする中世式だが、ディーネは時間差で一品ずつ出すようにしている。カトラリー類もふんだんに貸し出すことにしているから、手づかみの食事に慣れている人たちは戸惑うようだが、物珍しさもあってなかなか好評だ。
半分ほど時間が過ぎた頃に、それはやってきた。
「あらあら、ディーネちゃん、お久しぶり!」
黒煙が立ち込める半地下の厨房に顔を出したのは。
他の誰あろう、ヨハンナだった。
厨房は基本的にスタッフオンリーだから、コックや使用人たちもどよめいた。
「女性の使用人が執事の真似事をしているというからまさかと思って来てみれば……相変わらずおてんばなのねえ」
人違いで通そうかと思ったが、つかつかと近寄ってきたヨハンナにまじまじと顔を見られては、もはや誤魔化せそうにない。
「そういえばあなた、春の園遊会でも大活躍だったんですってね。勇敢で素敵だこと」
含み笑いは決して友好的なものではない。
彼女は嫌味で言っているのである。
「ねえ、せっかくだからいらっしゃいよ。一緒にお話をしましょう? 皆さんもきっと喜ぶわ」
もちろんこれも嫌味で、直訳すると『馬鹿め。飛んで火にいる夏の虫だ。私のテリトリーでお前をつるしあげてやる』になる。
「……まだ料理が残っておりますので」
「あら、そんなのいいわよ。残りは別の機会に楽しませていただくわ。それよりわたくしおてんばなディーネちゃんの武勇伝がききたいのよ、ぜひいらして?」
下手な断り方をするとそこからまた遊ばれかねない。ディーネが対応に苦慮していると、ヨハンナはぐいぐい腕を引っ張ってきた。
「いけません、ヨハンナ様、汚れてしまいますわ……」
「あら……」
ヨハンナは手のひらについたかまどの煤を見て、不愉快そうに顔をしかめた。急激に機嫌が悪くなったのを感じる。
「ディーネちゃんたら、こぉんなところに入り込むなんて、おっかしいわねぇ」
これはもう絶対に笑いものにしてやらなければ気が済まないという迫力だ。
ディーネは半泣きになりながら連行されていった。
気分的には市場へ連行される仔牛である。
「ルルルルルールールールー……」
ディーネがやけっぱち気味に前世で覚えた童謡をくちずさんでいると、ヨハンナは気味悪そうにした。
「まあ、ディーネちゃん、何のお歌なの?」
「ふるさとのはやり歌ですわ……ウシウシウーシーコウシー……」
「おかしな子ね」
歌詞の意味は分からないまでも、ものすごく嫌がってるニュアンスは伝わったのか、ヨハンナは不快そうにした。
一方的に叩きのめせるサンドバッグが、痛い痛いとわめいたらうるさくて不快……みたいな感じなのだろうと、ディーネは投げやりに考える。
これまでのクラッセン嬢は何をされてもにこにこ笑っていたから、余計に不快だったかもしれない。
広間に投げ込まれると、貴婦人たちから一斉に悲鳴のような声があがった。
「まああ、バームベルクの公姫さま!」
「いかがなさいましたの、その格好!」
今日のディーネは執事風ファッションだった。もちろん女性は執事になれないし、執事風といえども細部のデザインは明らかに男性向きではない。いろいろとツッコミどころのある格好だが、履き物がズボンだったので、仕事中の作業着として重宝していたのだ。
「信じられないわぁ」
ちなみにこの格好は教会の規則に思いっきり違反している。なので、あまり大々的に外へと着ていけるものではない。ディーネは公爵家の大きな後ろ盾があるので、いきなり捕まったりはしないが、かつてジャンヌダルクが男装の罪で死罪を言い渡されたように、ややこしい政略的な条件が重なったら魔女裁判もありえるという、非常にマナーの悪い格好だった。
彼女たちが『信じられない』と言っているのは、おそらくそのことだろう。
貴婦人たちがざわめき、さんざめく。
ワルキューレの服飾文化はなかなか多種多様で、明らかに地球の中世期より進んでいるから、大勢の貴婦人が並んでいる姿は壮観である。
彼女たちに笑われるあの嫌な感じを再び味わって、ディーネは一気に憂鬱になってきた。