三者会議に出られないお嬢様
転生令嬢のディーネは領地の改革にいそしんでいる。
目下の懸念事項は近々開催される予定の会議についてだ。
ホウエルン城砦の騎士、ゼフィアの聖職者、そしてバームベルクの三者間で新設の運河の利権を争うことになっていたのだが、ドラゴン騒動のせいでうやむやになっていた。
そこで改めて席が設けられることになったのである。
これはバームベルクの商業発展を考える上では非常に重要な会議だ。
なのでディーネとしてはぜひとも参加したかったのだが――
「どうしても、バームベルクで開催していただくわけにはまいりませんの?」
「今回はホウエルンで……ということで、決まってしまいましたから」
クラッセン家の本邸で開催してもらえれば、おもてなしのついでにディーネが顔を出すこともできたのだが、よその陣地でとなるとそれも難しい。もともとこの世界は男尊女卑が強いので、彼女が領主代行として参加したとしても、周囲から認めてもらえないのだ。
パパ公爵に任せておけばいいことではあるのだが、ディーネは個人的にホウエルン卿たちが気になっている。皇太子によると、ホウエルン卿たちはドラゴン騒動に一枚噛んでいるらしいから、今回の会議でも何か仕掛けてくる公算は高い。そうでなくても彼らのやり取りから今回の騒動の原因などが推測できるかもしれないのだ。
ディーネはどうにかして参加したかったので、ジークラインに頼んでみることにした。
「やめておけ。俺は絶対に許可しねえぞ」
一刀両断されてしまった。
「どう考えても罠だろうが」
「平気ですわ。有事に備えてなるべく多くの兵を連れてゆくようにいたします。父も参りますし、そう危ないことにはならないかと……」
「女の身空で吠えやがる。そういうセリフはてめえでドラゴンの一匹や二匹倒せるようになってから言いな」
「そんな……殿方だってドラゴンが倒せる方なんてほとんどいらっしゃらないではございませんか」
ドラゴン退治に関しては男とか女とか関係ない。
ジークラインが異常なのだ。
「今俺は忙しいんだ。お前に何かあっても助けにいけるか分からねえ。ドラゴンの襲撃騒ぎで俺の手がふさがってたらお前はどうするつもりだ? 俺に目の前の民を放り出してお前の救出に行けってのか?」
恩着せがましい台詞に、ディーネはちょっと鼻白んだ。
「バームベルクにだってドラゴン退治の備えくらいありますわ。ジーク様のお手を煩わせることは……」
「辺境の農民とお前とだったら俺は迷いなくお前のほうを取るぞ。俺にとってどっちが価値の高いものかなんて比べるべくもない。その場合、農民を見殺しにするのは俺じゃあない。お前の浅慮と愚行が大勢の人間を殺すんだ」
「ぐうの音も出ない正論」
ジークラインのこういうところがディーネは嫌いである。無辜の民を盾に取られたらもう何も言えない。
「……でも、その場合は本当にわたくしだけが悪いんですの? 被害が出るかもしれないとご承知の上で泳がせていることのほうが罪深いのではございません? 帝国の方々はいったい何をお考えですの?」
ジークラインは考え深げに視線を落とした。
「……オヤジの夢は大陸統一だ」
要領を得ない回答だ。ホウエルン卿が反旗を翻しても、それは内乱に当たるから、大陸統一と関係があるとは思えない。むしろ不穏な動きは早く潰してしまったほうがいいのではないだろうかとディーネは思う。
そこでようやくディーネは気がついた。思い返せばジークラインは言っていたではないか。今回の騒動の後ろにはもっと大きなものが動いている、と。
脳内でパズルのピースが組みあがった。
「つまり、他国への侵略の口実を探しているということですのね? ホウエルン卿に手を貸している大きな勢力がどこかにあって、帝国はそっちに狙いを定めている……と」
地理的にホウエルン砦に一番近い他国は北のフェンドルだ。より正確には、スノーナビアという大きな国の一部に属する、フェンドル公の領地というべきか。かの国は厳しい気候条件だが良質の魔法石を産出するので裕福で、天然のドラゴンが多数生息している。
スノーナビアが北上してくるワルキューレをうっとうしく思い、緩衝地帯を求めていたとするのなら、ソフィア川以南の独立を手助けする意味も出てくる。つまり、帝国貴族同士で勝手に争わせておけばスノーナビア側の出兵も少なくて済むというわけだ。
「呆れましたわ。ではドラゴンの騒動はスノーナビア側の関与がはっきりと証明できるまで終わりませんのね?」
おそらく、ひとりふたり証人を捕まえたぐらいではだめなのだろう。帝国民がスノーナビアを倒せと怒りの声をあげるぐらいの何かを狙っているに違いない。
そして、きっとそれは帝国内に甚大な被害をもたらすのだろう。
「……少し喋りすぎたな」
ディーネの推測はあながち外れてもいなかったのか、ジークラインは話には乗ってこず、これでおしまいだというようにあたりを手で払った。
「とにかく、俺は認めない。女が勇敢である必要はないんだ。大人しく守られていろ」
そうは言われても、ガキの使いではあるまいし、はいそうですかと聞いてもいられない。
「……使用人のふりをして忍び込むのはいけませんか?」
「あのな……いいわけねえだろ。代表として赴くよりもさらに悪い」
「でも、わたくしもう決めたのでございます。ご心配はありがたいのですけれど……」
「ダメなものはダメだ」
にべもない。そうきつく断られるとやっぱりちょっと面白くないと思ってしまう。
「……ジーク様、わたくしだってジーク様がいらっしゃらなければ何もできないわけではありませんのよ」
ディーネは彼がいないと何もできないと思われているらしいが、そんなことはない、と自分では思う。
「わたくしがこのままジーク様と結婚したとしても、ずっとそのようにわたくしを万事から遠ざけておくおつもりなのでございますか?」
この際だから抗議しておこうかと投げた球は、ジークラインのどこにヒットしたのか、不機嫌そうな表情が返ってきた。
「何を言っている。それがお前の望みだったろう」
「まあ……わたくしがいつそんなことを申しあげました?」
小さな頃からずっとジークラインに釣り合うようになりたいと思っていたし、そのつもりで努力していたのに、彼にはそれが分からないのだろうか。
「お前のことは俺が一番よく知っている」
「誤解ですわ。わたくしは……」
ふいにズキリとこめかみが痛んだ。
帝国始まって以来の大器と呼ばれた婚約者に比べて、あまりにも卑小な『自分』。大勢の女性が集う祝祭ではいつも皇太子の婚約者たる自分――クラッセン嬢が話題の中心だった。
笑い声がする。
静かで、それでいて耳障りで、決して逃れられない、嫌な笑い声が。
女性たちのひそやかなささやき声が封じ込めていた記憶の底から蘇り、ディーネはゾクリと戦慄した。あの頃のクラッセン嬢は、非難や嘲笑の的になることに傷つき、疲れ果てていた。そんなときはいつも、守ってもらいたい、彼の陰に隠れていたいと願っていた。
自分でも分かっている。
それは確かにクラッセン嬢の望みだった。
「俺は、女がどれほど愚かしかろうが見捨てたりはしねえよ。ただそこにいりゃあいい」
古傷のような記憶にやられかけ、返す言葉を失ったディーネに、ジークラインの言葉がうつろに響く。彼にそれを言わせているのは自分だとふいに理解できた。
彼のような天才ではない自分が恥ずかしかった。彼の目から見た自分がどれほど愚かなのかを思うと怖かった。人間はペットを可愛がることもあるが、愛されなかったペットは死ぬしかない。彼に釣り合うためにはいったいどこまでがんばればいいのだろう? いつだって先が見えなくて、甘やかしてもらえるとホッとした。同時に怖くもなった。
――もう、何もできないままでいるのは嫌。
強くなりたかった。守られているだけの愚かな女でいることに耐えられなかった。それでも人は自分以外のものになることはできない。どんなに嫌いでも、愚かな娘こそが自分自身だった。
ジークラインとの会合を終えて、自宅に戻ってからも、嫌な感覚がディーネに付きまとった。
――いやだな、しばらく忘れていたのに。
たくさんの女性がひしめきあい、さざめき笑う。
笑われているのはディーネだ。小さな頃から同じ目に遭わされてきた。
トラウマを持て余し、体調が悪い日が続いたが、時間は待ってはくれない。
すぐに三者会議の日になった。
「ねえお父さま、今日はホウエルンの砦にお行きなのでしょう? 会議の席でそれとなくドラゴン騒動のことを話題にしていただけないかしら」
パパ公爵に頼むと、彼はけげんな顔をした。
「……もちろんそのつもりだが、どうしたのだわが娘よ。ジークライン殿下から何か言われたか?」
「ええ……何か陰謀が動いているようなことは少しうかがいましたわ。お父さまも……」
「承知しておる、当然だろう」
ディーネは安心した。パパ公爵は内政が苦手だが、侵略・国防の話では頼りになる。任せておいてもよさそうだ。
「今日の会合が罠かもしれないともうかがっております。どうぞお気をつけて」
「なに、心配することはないぞ、わが娘よ。バームベルクの軍隊は世界一だ。帰ってきたらゆっくり話そうではないか。お土産も期待していなさい」
「うれしいですけれど……お父さま、怒涛の勢いでフラグを立てるのはおやめくださいまし」
その日は一日中、なにかあるかもしれないとディーネも身構えていたが、予想に反して会議はつつがなく終了した。
パパ公爵によると、ごく普通の会議だったらしい。
ホウエルン卿もドラゴン騒動については憂慮しているとかなんとか、当たり障りのないことを言っていたそうだ。
万が一ドラゴンの襲撃に見舞われても、現状の装備では撃退できない。満足に民を守ってやれない自分たちが歯がゆく、先行きに不安がある、という話にはパパ公爵もうなずいたらしい。軍人同士らしい会話だとディーネも思った。
それからパパ公爵はお土産にと小鳥のイラストが入ったレターセットをくれた。
紙は獣皮でなくやわらかな植物繊維の高級品で、ほんのりと甘い香りがしみこませてある。枠線の装飾は凝っていて美しく、余白にはつがいの小鳥と一緒に恋人たちの守護聖人も描かれていた。
これで殿下にお手紙でも書くといい、とパパ公爵は言っていたが、ディーネにしてみればとんでもない。
ワルキューレには年に一度、女性が男性に手紙を書いて告白をする日というのがある。
そのシンボルがレターセットに書かれている守護聖人と、つがいの小鳥だ。
つまり仲良くしろと言いたいのだろうが、余計なお世話だ。
クラッセン嬢は手紙を書くのが好きだった。
ろくに返事も来ない手紙をせっせと書いていたのは、楽しかったからではない。
ジークラインのために何かしていないと不安だったのだ。
婚約を破棄しようと決めた現状ではもうそんな気持ちも起きない。
ジークラインもほとんど返信はしてこなかったから、きっと内心では面倒くさく思っていたのだろう。ズキリと胸が痛んだ。
レターセットは机の隅に押しやって、ディーネは違う作業を始めた。